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2006年10月22日

始原の都市=シュメールの都市

その昔々、はるかかなたの地、紀元前3500年頃になるとメソポタミア南部にシュメールの都市 が現れ始める。
それは、神殿を中核とした城壁に囲まれた都市 だった。 神殿は神(主神)をまつるもので、時代を下るほど巨大になっていき前3100年頃には街を見下ろすほど巨大になっていく。面白いのは当初は、巨大な神殿はあるが、王の宮殿や王墓などはなく、かなり後になって前2700年頃に登場してくることだ。都市の中心は神殿であり、神官が力を持っていたらしい。この頃文字 も登場してくる。 
shumer_6.jpg

[ウルクの都市予想図、中央にジグラッドが見える]
by Hiroshi

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>祀殿には、それぞれの都市の主神が祭られていた。エリドゥでは、エンキ(地の神)、ウルクではアヌ(神々の父)とイナンナ(豊穰の女神)の2神、ウルの場合は、ナンナ(月の神)という具合にである。
(http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_2_m.html
上の都市予想図でみると、巨大な神殿が都市の中に聳え立っている。神殿域・神殿複合体と見られる区域が城壁で囲まれて一種要塞化している。しかも神殿は二重に城壁で囲まれている。
これは、いざ外敵から攻め込まれたときに立てこもったり、都市の人々に対して神殿の権威を示すこともかねているのだろう。この時代の神殿は、巨大な倉庫を持ち穀物を保管していたというが、神殿を囲んでいるのはこの倉庫だろうか?そして広々とした中庭がある。ここで儀式を執り行ったりしていたのだろう。
始めて文字で書かれた領収書を生み出したのも、次第に複雑さを増す神殿の出納だったという。最古の象形文字を刻んだ粘土板が前3100年ごろのウルクから出土しいる。書く技術は、書記たちの手に委ねられ、彼らを養成する学校が神殿内にあった。
shumer_3.jpg
[ジグラッド]
これらの都市の日常的な組織については、殆どなにも分かっていないようだが、神殿を中心にしていたことは間違いがないだろう。
(参照:世界考古学地図 P124~125 朝日新聞社)
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投稿者 ihiro : 2006年10月22日 List  

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