| メイン |

2007年01月29日

シュメール人の都市国家統合手法

メソポタミア地方の都市国家を統合したシュメール人は、どのような手法で統合したのであろうか?
古代シュメール人が、メソポタミア地方を統合する手法は、武力で強制的に服従させたイメージを持っていましたが、かなり高度な統治方法を持っていたようです。
この頃のメソポタミアでは各都市毎に守護神を持っており、その守護神信仰を上手に利用したものと理解できます。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_rel.htmlのメソポタミア宗教史によると
>2.シュメール人による神々
すべてのものに宿る神々は、それぞれの格を数字で表していた。最高は60で、格が下がるごとに数が減っていくのである。この世に共通するものに関する神はそれだけ格が上で、各都市の神とは主従の関係をなしていたと思われる。・・・・・・・・
によく表わされています。
大集団の統合手法は、力を背景として、各都市の守護神に序列を付けを行いそして民衆の統合軸であった守護神宗教を多いに利用したのでしょう。
その事は、宗教の語源が「参加すること、結合すること」にあったことを思うと理解できます。
>「宗教」の語源は、幕末期にReligionの訳語にあたる語が必要になるにあたり、宗教一般をさす語として採用された語である。一般には明治初期に広まった。この元になった単語 Religion は、ラテン語の単語 religare から生じた語である。religare はもともと「参加すること、結合すること」という単語であり、そこから人間と神をつなぐこと(縁)を意味すると理解されていた。
参考フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

投稿者 ryou : 2007年01月29日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/01/124.html/trackback

コメント

なるほど。ヨーロッパの大国も元は遊牧民の侵略を受けての玉突きで発生したんですね。
「後発国が先進国を支配することで覇権国となるという形があることを示した。」
そう言えばその後の世界の覇権国の歴史はまさにこの予告どおりに起きてきましたね。ローマ→フランス→ドイツ→スペイン→英国→米国・・・そして次は。
ヨーロッパはどの国もかつては農業国でフランス革命が始まるまでは世界の中では文化的に最も遅れたの地帯だったそうです。現在の歴史教育に有史以前の史実が少ないのは資料が少ないのではなく、西洋文明の歴史以降を有史としている紀元という発想が大きく影響しているようですね。

投稿者 tano : 2007年2月6日 01:00

古代ローマは興味深い時代です。古代人のむき出しの欲望がそのまま、軍事力に結集したような時代。それがローマの強さと持続力の源だったのだと思う。
その後のゲルマンの時代にキリスト教が支配する中世に突入していくのも、ローマ人の頽廃をゲルマン人をみていたからかもしれないですね。

投稿者 Hiroshi : 2007年2月7日 22:43

コメントしてください

 
Secured By miniOrange