中国文明&縄文:漢字はなんで必要になったか?~支配のためだった? |
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2007年03月23日
文字の起源 メソポタミア編
言語学者でない私でも、文字の起源には興味が沸きます。 🙂
文字自体がいくつかの意味を表すのが「表意文字」。文字自体には意味がなく、それらがいくつか組み合わさって意味を成すのを「表音文字」というんだそうです。 🙂
日本語は、表意文字の漢字と表音文字のカナを駆使して表現されています。一方英語は表音文字だけの組み合わせです。 🙄
最近の絵文字などは、表意文字を超えて感情や空気感までもを伝えようとしているんでしょうかね? 🙄
遡ること数千年、紀元前のメソポタミアの文字の変遷について、お馴染み「南風博物館」に興味深い内容をを見つけたので紹介します。続きを読む前にクリックして! byヒロシ
以下引用です。
引用始め~
●シュメール語の発明
絵文字から発達した最古の楔形文字は、それ自体でひとつの意味を示す「表意文字」と呼ばれる形式である。たとえば、「空」という文字を見れば、それ一字で空を表す文字として成立するのと同じである。だが、それでは語彙のバリエーションに乏しい。とすれば、「空」という文字に、同時に「神」とか「天」、「優れたもの」といった関連する意味をもたせることでそれは解決する。
だが話し言葉となると、それでは名詞の羅列になってしまう。そこで発明されたのが、「音節文字」であった。たとえば「手」という文字には、それ自体で「持つ」「叩く」「つまむ」という意味があるが、発音を変えることで、もっと簡易に、別の意味であるということを伝えられる。書き言葉にそれを応用したのが音節文字であった。
絵文字は年代が進むとともに複雑化していく。その中から、絵を描くのではなく、平面状の粘土板に、木製や竹製のヘラで押し刻んでいける楔形文字が生まれたのではないだろうか。移行時期は、紀元前2500年から紀元前2300年ごろとされている。楔形文字の発明によって促進されたのは、簡略化と抽象化である。また、そのころ頻繁に侵入を繰り返していたアッカド人が、子音を3つ並べて表すだけの表音文字しか知らなかったことも、アッカド語との融合という時代的な必要から生じた変化だった。それにより、当初は表意文字のみだったシュメール語は、音価を示す記号をつけることによって簡略化されていったのであろう。 アッカド人が侵入する前のウルクで見つかった粘土板からは、2000種類以上の文字が確認されている。表意文字は、言葉のバリエーションが増えるのに比例して文字も増えていくことを如実に表している。だが、時代が進むごとに、確認される文字の数は減少していく。特定の表意文字に、音節記号をつけることで意味を示せる形式に変わっていったためと思われる。古バビロニア王ハンムラビの時代には、およそ1000種類の文字が確認されたにすぎないのだ。
もっとも完成されたシュメール語の書記形式は、粘土板に長方形の囲みをつくり、その中にいくつかの文字を刻むというものだった。それはアッカド時代になって改正され、まず二本の線を平行になるように引き、その間のスペースに連続して刻むというものに変わっていった。ちょうど、ノートの罫線をあらかじめ引いてから文字を書くのと一緒である。それにより、長大な文書を限りなく書くことができるようになったのである。
~引用終わり
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_cul.html
日本人が漢字を輸入して、やがてカナを発明し、文章表現を発達させたのと、何か不思議な共通点があるように感じました。合理的な欧米人にはまどろっこしいかもしれませんが、表意文字と表音文字の組み合わせで、文章を表現するというのは、言葉の奥深さを感じる私たちにとっては、妙な親近感を感じてしまいます。
投稿者 hiroshi : 2007年03月23日 TweetList
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コメント
投稿者 tano : 2007年4月5日 03:09
tanoさん、こんにちは~
日本人は古来「以心伝心」の文化ですよね。
(最近はそうもいきませんが…)
英語圏には、それに相当する言葉は無いようです。
西洋の精神文化を知る上で、聖書は重要ですが、聖書では、次のような有名なくだりがあります。
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
「はじめに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神であった。」
西洋は古来、言葉でハッキリ伝える文化なのです。
でも、言葉っていうのは、心の一部しか伝わらないんですよね。
投稿者 くまな : 2007年4月5日 14:15
西洋人が言葉巧みで日本人が愚鈍で口下手というのは周知のことですが、その理由が少しわかったように思います。
特に女性に気持ちを語るときには西洋人は頂点に昇らすような歯の浮く台詞を平気で吐きます。それは必ず最後に○○が付いているのです。「神の御心に誓って・・・」
それで大概はコロッと騙されるのですが、この神に誓う事で自らの台詞の白々しさをきっと反転させているのですね。
そう言えば多神教の日本には神様は助ける時にしか出てきません。
おれはお前を愛している。水の精霊に誓って・・・とは言いませんものね。
口がうまいのはどうやら考え物のようです。