2007年3月28日

2007年03月28日

漢字の到来・・・文章語としての日本語

さて、日本語の一番のポイントは漢字文化の到来です。
漢字とは言うまでもなく中国の文化ですが、楽浪郡という朝鮮の民族国家の亡命者を介して日本に移入されました。
それまでは縄文語だったわけで、通常、言語を変えるという事は魂を売るに等しい事です。漢字文化を注入されながらも日本流に加工して使いこなしたのです。
ここでも1万年に渡る日本人の精神性が発揮されます。
再び司馬先生の文章を掲載します。
「文章語としての日本語」より

古代、朝鮮半島に、漢の直轄領がありました。これが、楽浪郡であった・・・。紀元前108年からほぼ400年つづいた特別な地域でした。ここに、中国から役人や学者、あるいは画家や建築家などがやってきて、中国文明を移植しました。中国文明を牛乳にたとえるならば、楽浪郡はコンデンス・ミルクのように濃縮された文明の缶詰でした。ところが、4世紀初頭に楽浪郡がほろびます。すでに力を蓄えていた地元の朝鮮民族が、古代的な民族国家をつくります。失業した楽浪郡の知識人や技術者たちあるいはその子孫たちは、その後、朝鮮の民族国家に貢献するとともに、日本にもやってきました。

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投稿者 tano : 2007年03月28日  

2007年03月28日

縄文言語と日本人の精神性

縄文語ってどんな言葉だったんでしょうか?
司馬遼太郎の随筆の中に母音が中心の言語だったのではないかと書かれています。所謂、あ・い・う・え・お・・・ですね。
母音中心の言語は広く南~東南アジアに共通するようです。
日本語の系譜をわかりやすく書いたものに過去のるいネットの投稿(リンク)があります。
ところで、縄文語はどのような言葉であったのか。
 これまで日本語はいろいろな言葉と比べられてきたが、日本列島周辺の言葉のうち、となりの中国語、韓語・朝鮮語、日本国内のアイヌ語などは日本語とまったく系統的関係がないことが明らかになっている。逆にいえば、これらの言葉はそれぞれが独自の長い歴史を持っていることを意味する。
 そして比較研究の結果、現在、日本列島をはさんで北と南に大きく広がるツングース諸語とオーストロネシア諸語が日本語を産みだした最有力候補で、縄文時代中期以降、これらの言葉が日本列島でたがいに接触し、その後、混合することによって現在の日本語の母体を形成したことが分かってきた。
 このようにして、日本語の中の単語の多くはオーストロネシア語に、助詞や助動詞という文法要素は大部分をツングース語に負っていることになるが、奈良時代までまだ盛んに用いられていた接頭語はオーストロネシア語の要素を受け継いでいる。
~国立民族学博物館 崎山 理教授の研究を紹介するHPの引用

司馬遼太郎氏は縄文言語と日本人の精神性を以下のように表現しています。 🙄
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投稿者 tano : 2007年03月28日  



 
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