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2022年11月28日

縄文人が捉えていた太陽の規則性と数の概念!?

大湯ストーンサークル

縄文時代の出土品として、土偶や土器などはよく取り上げられますが、他にも多くの遺跡が残されています。今回は、縄文人が理解していたと言われていている太陽の規則性や数について、調べていこうと思います。

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〇太陽の規則性を知っていた!? 全国各地に残された天文学的なモニュメント

モニュメントには、環状列石や配石遺構と呼ばれる石を並べたもの、木柱列と呼ばれる木を並べたものなどがあります。ここでは、大きく3つのモニュメントを見ていこうと思います。

 

1┃木柱列―二至二分を知る、巨大な日時計としての活用説―

三内丸山遺跡内の集落で見つかった6基の巨大な柱跡。穴の大きさは最大で直径2m、深さも2mほど。各穴の底から腐食を免れたクリの木が見つかったことから、6基の穴には巨木が建っていたと見られています。

柱の間隔は等間隔(4.2m)で3本ずつ2列に並んでいます。これらの配列は、二至二分(春分・夏至・秋分・冬至)を知るための日時計として作用する仕組みになっているとも言われています。

大型掘立柱建物(三内丸山遺跡センター)

二至二分と三内丸山遺跡の木柱列の配置

⇒なぜ二至二分をわかる必要があったのか?

生活のすべてを自然の恵みに頼っていた縄文時代、季節を少しでも間違えれば穫れるはずの獲物が穫れなくなったり、採集できるはずの木の実類が採集できなくなります。

他にも、造設に多くの時間と労力を要する壮大な木柱列には、実利以上の何か大きな意味として、太陽信仰もあったと言われています。

 

2┃環状列石―組石の延長線上に夏至の日没を臨む―

世界遺産にもなっているイギリスのストーン・ヘンジの造設と同じ頃、縄文人もまた、同じようなものを造っていました。

日本で最も規模の大きい環状列石は、円周の直径が50mにも及ぶ大湯遺跡(秋田県)。野中堂環状列石・万座環状列石の2つから成り、その中心点の延長線上には、それぞれ日時計状の組石も造られています。

使用されている石の数は、全部で7200あまり。7kmも離れた川の上流から、大きな石を運んできて(中には150kgを超す石も)並べています。100年、200年という途方もない時間をかけ、石を並べていたと考えられています。

大湯環状列石では、2つに並んだ万座・野中堂環状列石の中心点、およびそれぞれのそばに設けられた日時計状組石の延長線上に夏至の日没を臨むことができます。

シンポジウム『縄文時代の考古学』学生社

 

3┃数を示す土版か。「数」と「身体」を融合したデザイン感覚

大湯環状列石で発掘された土版。縦5.8×横3.7×厚さ1.5センチ、重さ48.3グラム。手のひらに収まるほど小さい人体を模した土製品。

数で人体を表現しており、縄文人の数に対する認識をうかがわせるともいわれています。。。CTスキャンの結果、口の穴と底部の穴が空洞化した内部でつながっていたことが判明。表面中央に一回り大きな円点は口、上方両肩の円点2つを目。右横腹に3、左に4、真っすぐ上下に5つ並べています。裏面の肩胛骨にあたる各々の3を足すと6になり、それに倣って表面の円点も足していくと、1から9までが出現するようになっています。

大湯環状列石出土 数の土版

 

〇最後に

大湯環状列石(鹿角市)の日時計や三内丸山遺跡の大型掘立柱建物(六本柱)が太陽とのかかわりは多く論じられていますが、それでも研究はまだ初期レベルにあり、どこまで縄文人が追求していたかはまだまだ未知のようです。

ただ、三内丸山遺跡のように都市的で、広域交易をやり、栽培まではじめていたという複雑な社会であれば、集団をまとめる今回のような仕組み、装置があったようにも感じられます。

投稿者 anase : 2022年11月28日 List  

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