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2018年09月06日

縄文体質とは何か?第1回“縄文人にとって自然とは”

先週の実現塾で「縄文体質を持つ日本人が人類滅亡の危機を救う最も最先端に居る。」という認識が語られた。
これはいったいどういう事だろうか?

私たち日本人の中には平均して12%の縄文人のDNAが残っているという。~リンク
このわずか12%、されど12%もの縄文人の素養、素質が知らないうちに私たちの最も深いところで意識を作りこんでいる。

縄文体質とは何か、さっそく固定したくなった。
しかし、待てよと。これまでこの縄文ブログで散々投稿してきた内容が縄文体質ではないか?あるいはそんな深いものを一言で言ってしまえるのだろうか。言ってしまってよいのだろうか?

ただ、今回のこのシリーズではできるだけコンパクトにこの縄文体質を言い表したい。
6のキーワードを設定する。
“自然”・“職人気質”・“仲間意識”・
“はたらく”・“性”・“信仰”

できれば最後には図解のようなもので体系化を試みたい。
第1回は自然から始めたい。

今週9月4日の台風21号で25年ぶりの大風が列島を襲った。さらに大阪に限定すればおそらくここ100年にない極めて凶暴な暴風だった。車を持ち上げ、建物を破壊していく。我々はどうしたか、吹き飛ばされる恐怖を感じながらも自然の凄まじい力に只、唖然とするばかりだった。まさに自然への畏怖の念が沸き起こった。

今年は災害の当たり年で6月18日に大阪で深度6強の地震を経験し、その後も西日本豪雨、さらに今日の北海道地震とわずか2ヶ月の間に大きな自然災害を4つも経験している。いったい日本はどうなってしまうのだろうか?
しかし、この自然への恐怖、畏怖の念、そして台風が去った後の穏やかさを与える自然への感謝の念。自然には決して抗えない、生かされている意識、それらが我々日本人(かつては縄文人)の心に刻み込まれてきた

3つの投稿を紹介。最後は西洋の近代科学の自然観で、対比しています。

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寺田寅彦「日本人の自然観」に学ぶ 

【日本人の自然観】
日本人の先祖が何処から渡ってきたかは別問題として、有史以来2千有余年この土地に土着してしまった日本人がたとえ如何なる遺伝的記憶をもっているとしても、その上層を大部分掩蔽するだけの経験の収穫をこの日本の環境から受け取り、それにできるだけしっくり適応するように努力し、また少なくとも部分的にそれに成功してきたものであることには疑いがないであろうと思われる。そういうわけであるから、もし日本人の自然観という問題を考えようとするならば、まず第一に日本の自然が如何なるものであって、如何なる特徴をもっているかを考えてみるのが順序であろうと思われる。
(中略)
動かぬものの例えに引かれる我々の足下で大地が時として大いに震え、動く。そういう体験を持ち伝えてきた国民と、そうでない国民とが自然というものに対する概念においてかなり大きな懸隔を示しても、不思議ではないだろう。このように恐ろしい地殻変動の現象はしかし過去において日本の複雑な景観を作りあげる原動力となった大規模の地変のかすかな余韻であることを考えると我々は現在の大地の折々の動揺を特別な眼で見直すことも出来はしないかと思われる。

同じ事は火山においても云われるであろう。そうして火山の存在が国民の精神生活に及ぼした影響も単に威圧的なものばかりではない。日本の山水美が火山に負うところが多いということは周知のことである。火山はそれが作り出す自然美だけでなく、火山の噴出は植物界を脅かす土壌の老朽に対して回春の効果をもらたすものとも考えられる。
このように我らの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈愛をもって我々を保育する「母なる大地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭を振るって我々をとかく遊情に流れやすい心を引き締める「厳父」としての役割も勤めるのである。

人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した。何故に東洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかったかという問題はなかなか複雑な問題であるが、その差別の原因をなす多様な因子の中の少なくとも一つは上記のごとく日本の自然の特異性が関与しているのではないかと想像される。

すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くて、その慈愛に対する欲求が充たされやすいために住民は安じてその懐に抱かれることが出来る。一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさが身に染みて、その禁制に背き逆らう事の不利をよく心得ている。その結果として十分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめてきた。

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縄文時代の様相1~自然外圧と縄文人の自然観・宗教観~

縄文土器・土偶など縄文芸術の背後には、自然界の強大な力があり、それを動かしている、神の力に対する敬意が込められている。
縄文土器・土偶は、縄文人の精神そのものを形にしたのではないか
(中略)
森羅万象すべてに神を見た縄文人は、台風は風の神、雨は天の神、洪水は水の神、津波は海の神、噴火は山・火の神、山火事は森の神などを、恐れおののき敬虔にその怒りを治めるため、ひれ伏したと考えられる。
過酷な天災という自然外圧は、突然現われる神の訪れであったと見られ、又四季の変化は、人々に食料の恩恵を与える一方で、周期的に移り変わる自然環境として、日常的に適応すべき、不可避の外圧であったと見られる。
と云うように、日本人の縄文気質の根源には、「過酷な天災」という非日常的な大きな自然外圧と、「四季の変化」という日常的な自然外圧とが常に並行作用していた。
それら自然外圧を「活力源」として、ムラを挙げて適応してきた半面、それらに恐れおののき、自然に平伏す敬虔な祈り・祀りを忘れなかった。
縄文人の自然への畏怖・敬意を表現する姿勢は、人間の持つ根源的な存在意義を示しているだけに、縄文人を理解することは、様々な問題への対処療法の手がかりとなり、且つ現代社会のあり方を示唆していると云える。
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近代科学の正体~自然を拷問にかけて白状させる~科学者たちの言葉から

近代の自然認識への転換を象徴するのが、ガリレオの実験である。その実験は、滑らかな斜面を用いることで落下時間を引き延ばして時間の測定を容易にし、かつ空気抵抗の影響を低減させるというもので、これは自然界には存在しない真空中での落下という理想化状態に人為的に近づけたものである。その実験の目的は、それまでの技術者による試行錯誤を通じた技術の改良ではなく、時間と空間の関係としての定量的法則を確立することであった。

このガリレオの実験の意義を、【カント】は次のように述べている。
「理性は一定不変の法則に従う理性判断の諸原理を携えて先導し、自然を強要して自分の問いに答えさせねばならない。そのことを自然科学者が知った」
「それはもちろん自然から教えられるためであるが、しかしその場合に、理性は生徒の資格ではなく本式の裁判官の資格を帯びるのである」
カントだけではない。17~18世紀の科学者たちは、自然を攻撃し征服・支配することを善とする言葉を堂々と口にしている。

【ロバート・ボイル】
「私は元素の混合によって生ずるといわれている諸物体そのものを試験し、それらを拷問にかけてその構成原質を白状させるために忍耐強く努力した」
【ジョセフ・グランヴィル】
「自然は、より穏やかな挑発では明かすことのできないその秘められた部分を、巧みに操られた火の暴力によって自白する」
【デカルト】
「私たちは自然の主人公で所有者のようになることができる」

投稿者 tanog : 2018年09月06日 List  

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