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2014年09月25日
ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る~④ ロシア人にあるコサック魂
ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る~プロローグ
ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る①~ロシア民族の本源性の秘密は、その起源にあり。森と共に生きてきた民族
ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る②~シベリア征服はスラブ諸民族による開拓であった
ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る③~防衛のためにウクライナという毒を飲み込んだロシア
これまで4回にわたり大衆の目線から見るロシアについて追求を重ねてきました。
さて、今回は、コサックダンスで有名なコサック集団についてです。
では、みなさん、コサックっていうとどんなイメージを思い浮かべますか?
コサックダンス、兵士、野蛮、乱暴・・・??などあまり良いイメージがないのではないかと想像します。
シリーズ②『シベリア征服はスラブ諸民族による開拓であった』でも少し触れたように、シベリア開拓が成されたのは、コサックの功績が多大でした。そして、その手法は略奪でなく原住民との『共存』によって実現されました。
そこで、今回は、欧米のグローバル化に対抗し、民族主義を訴える昨今のロシアの動向を掴むためにも、コサックを知ることが必要ではないかと考えました。
コサックの歴史
~圧政を逃れ辺境の地に住みついた集団~
15世紀ごろから『コサック』という名が史実に登場します。この時代、ロシアの農民には人頭税が掛けられており、農奴は重税に苦しんでいます。元々狩猟民だったスラブ人の中で、国家からの押し付けに反し、争いを避け、国家と縁を切り辺境の地へ新たな棲家を見つけるために移動した集団がコサックと呼ばれるようになりました。(「コサック」という語は、チュルク諸語で「自由人、冒険探求家、放浪者」の意味を持ちます。)コサック達は土地に根ざすと、半農・半猟で生計を立て生活を維持していました。
~共同体性を維持しながら自治集団として生きてきた集団~
ロシアの河沿いには、それぞれ河や土地の名前を取ったコサック達『ドン・コサック』『ヤイク・コサック』が集団を作って生活していました。
辺境の地とは言っても、カスピ海沿岸や、ドン河周辺には、いつ遊牧民が襲ってくるか分りませんし、国家の圧政の力もいつ加わるか分りません。そこで、集団内には、いくつもの役割が決められており、その中でも、コサックの首長は『アタマン』と呼ばれていて、今で言う『自治』という意味を持っていました。有事の際には、共同体がそのまま騎兵団を構成し、軍事戦略も民主的に議決しました。この様に、自治集団だったコサック達は「集団に役に立つことならなんでもやる」という本源的資質が、最も大事なこととして保存され、集団を維持してきたのではないでしょうか?
それは、現代のコサックの人たちから発せられる言葉にも象徴されています。
~国家にも一目おかれていたコサック~
コサックは、生まれながらにして戦闘術を叩き込まれ、兵士として教育を受けて育ちます。
その屈強な精神と肉体は、集団を守るという自治精神と相まって、コサック達に深く刻まれています。一方、国家にとってこの屈強な集団は、周辺部族から国家を守る武装集団として、一役かっていました。国は、コサック集団に自治権と免税を施し、コサック集団は国の境界線上の国防を担う事で、平時に置いては互いに折り合いを付けて均衡を維持してきましたが、ひとたび国がコサック集団を侵害しようとすれば、コサックたちは国に対し反旗を翻します。
17世紀、ステンカラージンというコサックがいました。ラージン自身は裕福なコサックの出でしたが、貧しく圧政に苦しむコサックを守るために国家への反乱を主導し、現在でもスラブ人からは英雄と崇められている人物です。ラージンは、海賊軍隊を率いてトルコ沿岸を略奪、モスクワから派遣された兵隊をも退け、ヤイク市を占領しました。同胞を救うために立ち上がった救世主のラージンでしたが、国家にとっては反逆者なので、赤の広場にて処刑されてしまいました。しかし、彼の伝説は、歌となり、今でもロシア民謡の代名詞として「ステンカ・ラージン」は名前を残しつづけています。
そうした複雑な関係ではありましたが、コサックとの仲が平穏な時は、国はコサックを積極的に国家の領土拡張に利用し、17世紀以降、国家戦略としてのシベリアへの領土拡大を推し進める事になります。
~ソビエト連邦時代弾圧されたコサック~
15世紀、重税を逃れて辺境の地へ住み着いた流浪の民。17世紀以降、自治集団として地位を確立しながら、国家の領土拡大に大いに貢献したコサック達でしたが、20世紀以降ソビエト連邦設立と共にその地位を追われていきます。
共産主義の下、国民を均等に支配したかったソビエトにとって、スラブ人の自治性、闘争性を保存するコサック達は、反乱の脅威であり、少数とはいえ徹底的に排除する対象だったのでしょう。
現代に残るコサック魂
現在のロシアでは、コサックの存在感が高まっています。先のソチ冬季五輪では、自警団を形成し、警備に当たりました。また、直近のウクライナ情勢では、南部クリミア半島をロシアが制圧した際に姿を現し、現在は東部の親露派武装集団に加わっています。
ロシアはソビエト時代に受けたスラブ民族の自治力を回復する起点として再びコサックに注目しているのです。プーチン自身が警察の出であり、国家防衛にコサックが必要不可欠であるという計算もあっての事だとは思います。
ここで一つの疑問が沸いてきます。日本もコサックも、嘗ては共同体として自分達の生きる場を自分達の手で作ってきましたが、国家によってその共同体を破壊されてしまった点は同じです。現代の日本においては、自分達の集団を守る、ましてや国を守るという意識は極めて薄いのが実情です。
なぜ、ロシアは集団発で国を守るという意識が現代に息づいているのでしょうか?
それは現代にも残るコサック魂、それを育んだロシアの国土にあるように思います。
集団と国家の関係⇒ロシアの本質
ロシアはその地域に特徴があります。
かねてから黒海沿岸の肥沃な草原地帯は、いつ遊牧民が攻めてくるか分らない地域です。
スラブ民族は、その脅威に対しコサックに代表される共同体連合を形成し、防衛してきました。
シリーズ③でも述べた様に、ロシアの支配層の歴史は外からの異民族によるスラブ人支配の歴史だった事がわかりました。大多数を占めるスラブ人は彼らの脅威に脅かされる中でどのように生き延びて行くか試行錯誤し生み出して行ったのです。
古代は横長に続く草原と森林の間を出たり入ったりしながら、森の民として生き延びていきます。
その中では元来は単一集団で生きていた共同体が連帯を作り、有事には結束して対抗します。
力での対抗だけでなく情報も含めて横に繋がり地域を越えてネットワークを形成していきました。
つまり、ロシア全土に散らばるスラブ人にとって国家とはかりそめの存在で、遊牧民族の脅威には、部族連合を形成することで対抗してきたことが考えられます。その根底には同胞を守るという意識が働いていたのではないでしょうか?そういう集団と国家の関係がロシアの本質ではないかと思われます。
中国の様に相手国に攻め入り征服する事で強者になっていった民族と違い、民族同士が横に集団を越え連携することで国家として適応してきたのです。力の原理による私権時代は現代すでに終焉しようとしています。力を持って他国を征服するアメリカ的な手法が批判され、プーチン率いるロシアが脚光を浴びているのも、古代からのロシアの成り立ち、民族の繋がりがあっての所以だと思います。
今回はコサックに注目してきましたが、スラブ人として同胞のために戦う民族意識はコサックだけでなく、例え薄まっていてもロシア大衆に広がっている意識だと思うのです。
(by nisi-ka)
投稿者 tanog : 2014年09月25日 TweetList
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