シリーズ「インドを探求する」第8回~インドにカーストが発達した理由、継続した理由~ |
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2010年07月21日
シリーズ『イスラムを探る』 第9回 イスラム法は共同体の充足規範体系
こんにちは。
シリーズ『イスラムを探る』、今回で8回目です。
『イスラムを探る』 プロローグ
第1回 イスラム社会ってどんな社会?
第2回 イスラム教誕生前夜の状況
第3回 ムハンマド登場と急拡大したイスラム教
第4回 急激な市場化の中で生まれたイスラム
第5回 イスラムの経済原理
第6回 イスラム共同体:規範と貨幣により結合された超共同体
第7回 イスラム帝国の拡大と分裂
第8回 イスラム教とユダヤ教、キリスト教を分けたもの
今回はイスラム法の成り立ちについて見ていきます。
ラマダン明けの祭りを迎えたメッカの様子、、、写真はこちらからお借りしました。
いつものように応援お願いします。
まずは、これまで何度も紹介されていますが、イスラム前夜の状況から。
以下、扶桑塾からの引用です。
●アラビア人が求めた民族団結、連帯意識の復活
6世紀から7世紀にかけてのアラビア半島では同じアラビア人内での激しい抗争があった。また裕福ゆえの腐敗が横行し伝統的な秩序が乱れ、内部からの崩壊も始まっていた。
このように内外からの危機が迫る中で彼らが求めたのは団結心の充実であった。伝統的部族集団を支えていた団結心、連帯意識の復活が不可能であると考えた彼らが求めたのは超部族意識の到来であった。
新秩序への期待は、狭い範囲では部族、大きな範囲では民族と言う単位での集団社会の救済を目的としている点である。それゆえ同一秩序における団結心の充実、連帯意識の完成がその最大の目的となる。団結心、連帯意識の充実と完成こそ大陸世界にして沙漠的環境を背後に持つ民族生存の戦術であったのである。
部族集団の団結心と連帯意識を母胎とした超部族意識、民族統合こそが彼らが求めていたものだったのですね。
そこに登場したのが、アッラーを超越神とするイスラム律法=クルアーンでした。
当時の彼らは部族毎の偶像崇拝だったわけですが、彼ら自信が部族を超えた民族の統合を待ち望んでいたからこそ、部族の偶像崇拝を捨ててまで一神教を受け入れ、収束出来たのだろうと思われます。
イスラム以前の部族における団結心と連帯意識とはどのようなものだったのか、一端を紹介します。
同じく、扶桑塾より。
●アラビア式民主主義
イスラーム教降誕以前のアラブ世界には立法機関として「マジリス」と呼称される制度が各部族の中にあった。アラビア語「マジリス」は「ジャラサ」という「座る」という言葉から派生されたもので、部族構成員が坐って部族のさまざまな問題を検討解決する会議である。この会議の特長的なことは、決議は全員一致でなければならないということであり、一人でも反対した場合は、その法案は成立しないということになる。
アラビア人はこれを称して「アラビア式民主主義」と自慢しているが、このようなイスラーム以前の制度が存在していたことが、イスラーム教の示す、アッラーの前ではすべての教徒は平等であるという啓示を極く簡単に理解できた感覚をもたらしたものと思われる。
部族の課題を全員参加の場で、全員一致で決めていくという手法は正に部族共同体であった証かと思います。このような土壌であったからこそ、民族団結に際し、誰かが決めたわけではなく、超越神たるアッラーが決めた律法=クルアーンだからこそ、忠実に帰依していくことが可能であったのだろうと思われます。
「マジリス」は現代でもイスラム国家における、国会、国民会議、議会などの言葉として残っています。最初から答えの決まっている西欧型の多数決による議会制民主主義、選ばれた一部の人間のみが作る立法制度などは、今でもイスラムにとっては受容れられないもののようです。
現代まで続くイスラム法とは、どのような構成になっているのでしょうか?
その法体系について紹介します。
ウィキペディアより。
●イスラムの法体系
イスラーム教における宗教に基づく法体系をシャリーアと云う。
シャリーアは宗教によって定められる法ではあるが、その内容は宗教的規定にとどまらず民法、刑法、訴訟法、行政法、支配者論、国家論、国際法、戦争法にまでおよぶ幅広いものである。
シャリーアのうち主に宗教に関わる部分をイバーダート(儀礼的規範)、世俗的生活に関わる部分をムアーマラート(法的規範)と称する。イバーダートは個々人と神との関係を規定した垂直的な規範、ムアーマラートは社会における諸個人間の関係を規定した水平的な規範と位置づけられる。
主な法源は、以下の4つ。
1.クルアーン
2.ハディース(預言者の言行)
3.合意(イジュマー)・・・複数の法学者の合意
4.類推(キヤース) ・・・過去の判例による類推
学派によって違いがあるが、基本的にはこれら諸法源に基づいて、イスラーム国家の運営からムスリム諸個人の行為にいたるまでの広範な法解釈が行われる。法的文言のかたちをとった法源がなく、多様な解釈の可能性があるため、すべての法規定を集大成した「シャリーア法典」のようなものは存在しない。
続いて、イスラム教の規範性と普遍性(るいネット)より。
●イスラム法=義務の体系
西欧近代の法体系が「権利の体系」を骨格として構築されているのに対して、イスラーム法は「義務の体系」をその基礎としているといえる。(中略)
いわゆる西欧近代文明が、ここ2世紀の間行なってきたことも、権利の体系の樹立であった。権利の主張のみがあって、それを実現する義務を負う者がいなければ、権利の体系は破綻する。権利の体系の樹立の必要は、西欧の歴史や社会の文脈があってはじめていわれる、いわば歴史的なものであることを忘れてはならない。大切なのは、権利と義務のバランスである。
イスラーム法の目的は行為規範の確立にあるようです。
人と神との関係規範、人間同士の関係規範とに分かれる点などは分かりやすいです。
人と神との関係規範とは部族を超えた集団統合のために必要としたものであり、人間同士の規範とは部族共同体の日常規範そのものではないでしょうか。
イスラム教は民族の団結心と連帯意識の復活を望む統合機運より生まれた。
だから、徹頭徹尾、民族共同体の秩序を維持する規範に貫ぬかれている。
キリスト教やユダヤ教のような、バラバラとなった個人の権利だけを正当化する倒錯観念体系とは全く異なるのは当然ですね。
イスラム教は共同体の規範体系であり、それは充足規範とも云えるように思えます。
わが日本も同じように共同体規範をベースに持ちながらも、西欧の近代思想を受け入れた果てにガタガタになってしまいました。昨今はイスラムの経済原理に注目が集まっていますが、秩序性・規範性の高さにこそもっと注目すべきかと思います。
投稿者 nishipa : 2010年07月21日 TweetList
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コメント
投稿者 2U : 2010年10月21日 19:11
なるほど!
北から流入したら北方適応しているという先入観が問題だったんですね。
文章の構成も解りやすくすごくスッキリしました。
投稿者 dai : 2010年10月21日 19:12
>・南方系の古モンゴロイドが日本の北方,南方から流入し縄文人を形成した。
・古モンゴロイドの子孫=新モンゴロイドが、弥生時代に大量渡来してきた。>・南方系の古モンゴロイドが日本の北方,南方から流入し縄文人を形成した。
・古モンゴロイドの子孫=新モンゴロイドが、弥生時代に大量渡来してきた。<
この渡来人が長江文明を作り、稲作漁労を行っていたわけですが、ということは長江人は既に北方適応した新モンゴロイド(醤油顔)ということになりますね。
そういう理解をするとかなりすっきりします。
投稿者 ryujin : 2010年10月21日 22:47
北方・南方の区分でとらえると確かに混乱しました。
古モンゴロイド、新モンゴロイドの定義のほうがすっきりすますね。