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2014年06月04日

日本における仏教が果たした足跡6~天台宗に見る宗教の本質とは

宗教とは古今東西に関わらず所詮は権力闘争である。まさに天台宗の発生と今日までいたる足跡を見ると、そう捉えるのに反論が出ません。今回は天台宗の発生から見ていきながら、それを検証して行きたいと思います。

 【最澄では始まらなかった天台宗】

天台宗は教科書で習い誰もが知っている最澄から始まります。少しその発生の背景を見て行きましょう。桓武天皇によって京都に建てられた平安京ですが、当時桓武天皇が求めたのは護国仏教であった奈良仏教に代わる新しい仏教でした。京へ都を移して以降も災いが絶えず、天災や疫病が続き、遷都による祟りだと囁かれていました。桓武天皇は大衆や官僚の不安を沈める為にも学問型の仏教ではなく、行動が見えやすい祈祷型の仏教=密教を求めていました。

平安京の7年前、785年に最澄は18歳で奈良の東大寺で得度を受け国に認められた正式な僧侶になります。いわゆる秀才、エリートだったわけです。彼はその後比叡山に篭り修行の生活に入りますが、桓武天皇から白羽の矢が立ち、莫大な国の支援を受け803年唐に向かいます。

天台宗は中国では隋の時代からあった古い宗教で、中国では密教ではありません。ただ、大衆を対象化した大乗仏教で天台小止観で言われるように禅宗に繋がる宗教も言われています。中国では既に最澄が入唐した時には衰退過程にあり、中国ではやがて消えて行く宗教でした。天台宗を巨大宗派に拡げ、国家宗教に引き上げたのは、日本国内だったと言えます。

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最澄は2年間の滞在で膨大な書写をして中国のあらゆる仏教経典を持ち帰りますが、帰国して後にそれらが傍流であることが判明し、桓武天皇の命には応える事ができませんでした。逆に当時、一留学生としてもぐりこんだ空海が桓武天皇の求めた密教を完全に身に付け持ち帰り、国内でさらに体系化、真言宗を打ち立てます。

嵯峨天皇の代に入り空海が登用され、国家と真言宗は密接な関係になります。しかし、仏教が国家権力に利用されている事を理解した空海は自ら京を離れ高野山の山奥に拠点を形成しました。彼はそこで仏教を学びの場(=今の私立大学)として打ち立てたのです。(~「日本における仏教が果たした足跡5~空海が求めた宗教とは」http://web.joumon.jp.net/blog/2014/05/1778.html

自らの中国での学びの誤りに気が付いた最澄は空海に教えを請いますが、エリートであり、仏教の奥義に精通していない最澄に対して空海は心を開きませんでした。結局、宗派も拡大することなく53?歳で死去、天台宗の開祖と言われる最澄とは極論すると宗教人としての中身がなく、何も成果を残せていないのです。この最澄がなぜ未だに高僧とされるかは疑問が残るところです。

 

【天台宗は国家の出先機関として拡大した】

さて、天台宗を実質作っていったのは円仁、円珍でした。

円仁(794~864)は15歳の時に最澄(当時42歳)に弟子入りし、日本版天台宗の内実を作っていきます。特に円仁は838年再び唐に入り、9年間修行を積み、847年帰国します。この時の唐での巡教は細密に渡り記録されており、著書「入唐求法巡礼行記」はわが国最古の旅行記とも言われています。

円仁は帰国後死去するまで17年間ありますが、その間に東北、関東に天台宗を拡げていきます。比叡山を拠点とする天台宗がなぜ東北に向かったのか、それが最大の謎ですが、逆に言えばそこに天台宗の本質が隠れています。ブログ「貂主の国」http://blog.goo.ne.jp/north_eurasia/e/8d1f427591e43da644c39d7a0beedd87では以下のように書かれています。

>天台宗は東北地方への仏教浸透を担った。朝廷の東北経営とも関係の深い存在ですが、宗教だけではなく物流や情報の流れを支えるインフラとしての役割も果たしていたと思われます。そもそも延暦寺の立地自体が北陸方面から琵琶湖の内水航路を経て京都とを結ぶ、交易路のターミナルとして重要なポイントとなっています。

天台宗は円仁の時代から朝廷と手を結び、国家の諜報組織として地方にネットワークを広げていった事が伺えます。朝廷は空海という高僧を失い、それを円仁に乗り換えたのです。当時東北は蝦夷と言われ、朝廷の及ばない地域でした。武力で制圧し、拠点を作っていきますが、反乱を押さえ大衆を本当の意味で朝廷の監視下に置く為には彼らが必要だったのです。円仁はその命を察知し、進んで東北に教義を広め、土着宗教も巻き込みながら東北天台宗を作っていきます。東北地方の寺院で、円仁の開基と伝えている寺院は百四十寺、中興とするものが二十二寺、円仁に関係する仏像などの遺芳[いほう]があるのは百六十九寺もあって、この数値は、他の地方を圧していました。

東北天台宗中尊寺

 少し遅れて登場した円珍(814~891)は同様に唐に5年間学び、比叡山を拠点として京の足元で禅、念仏、密教を融合した天台の教義を作っていきます。平安中期には天台宗は表の顔は総合大学としての仏教の学びの場であり、裏の顔は各地に拠点を広げ着々と国家の諜報ネットワークを広げる国家出先機関でした。このように日本の仏教は奈良から平安にかけて朝廷の系統は代わったとは言え、国家と密着に繋がった官僚仏教だった事がわかります。またその裏の本質から、天台宗は国家と似て非なる存在、あるいは国家と持ちつ持たれつの存在と言うこともできるでしょう。 

【ミニ国家となった天台宗】

さて、円仁、円珍によって拡大した天台宗は平安後期には日本国内では他の追随を許さない存在になっていきます。同時に唐の圧力がなくなったこの時代、朝廷内部はガタガタになっていきます。その隙をついて、広大な寺領、荘園を運営するようになった天台宗の各拠点は徐々に自力で経済力、軍事力を付けていきます。それまでは国家の庇護の下存在していた天台が、この時代に一気に自立し国家に対抗する集団になっていきます。比叡山の僧兵は数千に登り、武装集団化していきます。白河法皇の著名な言葉がそれを表しています。

>自分の意のままにならないもの(天下の三不如意)として「賀茂川の水(の流れ)、双六の目、山法師(比叡山の僧兵)」を挙げており、僧兵の横暴が朝廷の不安要素となっていたと言われています。~ウィキペディア「天台宗」より 

天台の武装集団化はその後も続き、秀吉の刀狩、信長の比叡山焼き討ちに至るまで、常に社会の不安を作り出し、至るところで武力を用いた搾取、弾圧が存在していた事が伺えます。鎌倉以降に次々と登場する日蓮、浄土真宗といった新宗派に対しても武力による弾圧、殺戮がくりかえされました。言わば平安後期以降の天台宗は国家と対等に立つ言わばミニ国家だったのです。 

 

【天台宗は武力によって社会悪になっていった】

ウィキペディアで僧兵を探すと天台宗に関係するものだけで以下に上ります。

・ 延暦寺 天台宗の開祖。山法師と称された数千人の僧兵を擁したが1571年に信長による焼き討ちに遭い、軍事力を喪失した

・白山平泉寺 延暦寺末寺として最盛期には8千人の僧兵を抱えて越前に勢力を伸ばす

・山岳寺 天台宗山門派の大寺院で数百人の僧兵が居て信長と一戦を交えている。

・大山寺 天台宗の寺院で鎌倉時代には3千人の僧兵を擁していたが、度々僧兵同士の武力衝突を起こし、秀吉の刀狩で軍事力を喪失した

・鰐淵寺 天台宗の寺院で広大な領地と多数の僧兵を抱えた出雲の勢力

・出羽三山 修験道場として隆盛し、最盛期には8千人の僧兵を擁した。

 武士の登場が鎌倉以降に発生しますが、この国家宗教である天台は度々武家と衝突していきます。武士が何の為に登場したのかについては様々な理由が建てられていますが、私は天台宗に代表される仏教集団による武力を押さえ込むために武士という役割が登場したようにも思います。そう考えると、歴史的には冷酷な武将として言われる事も多い信長ですが、世の安定を求める為に社会的元凶であった天台の勢力を殺ぐことを目したのかもしれません。 

天台宗は信長の時代に一旦勢力を失いますが、再び江戸時代には天海に通じた家康による取り計らいによって、息を吹き返し、東北、関東を中心に拡大します。武力は失われても脈々と各地に流れている諜報組織としてのネットワークが登用されたのでしょう。このあたりは策士、情報戦略家の家康ならではの特徴と言えます。 

【今も息づく国家の地下組織?】

以降、現代に至るまで天台宗はどのような位置、役割にあるのでしょうか?既に室町、江戸を通じて浄土真宗や日蓮宗が仏教集団の巨大組織になっていきますが、やはり未だ以って天台宗は国家と繋がっているのではないかと思います。

伊勢神宮に始まる神社ネットワークが現在でも一定国家と繋がっているように、その諜報組織としての利用価値だけが、あるいはそれこそが仏教の今日の国家的役割として残っているのかもしれません。天台宗の開祖最澄が歴史的にはほとんど成果がないにも関わらず未だに高僧として教科書に取り上げられているのは、天台宗が国家と繋がっている所以と考えるのは考えすぎでしょうか? 

表題に書いたように宗教の本質とは大衆の為というのは方便に過ぎず、国家や宗教集団自身の私権獲得そのものにあったと思われます。これは国家が最初に登用した天台宗に顕著に見られますが、天台宗を批判し反面として登場した後の浄土真宗なども同じ道を歩んでいきます。次はその浄土真宗を初め天台宗から派生し誕生した鎌倉の大衆仏教を見ていきます。

投稿者 tanog : 2014年06月04日 List  

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