2014年6月4日

2014年06月04日

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~8.最終回 現代に必要な帝王学とは

安部内閣

写真はこちらからお借りしました。

みなさんこんにちは。
「日本の帝王学」シリーズもいよいよ最終回となりました。

 今回のシリーズは、原発再稼動ごり押しや、TPP、秘密保護法等、重要な法案がろくに議論も説明もされずに密室で決められていくように、支配者層の暴走と傲慢さが際限なく悪化していると感じたことからスタートしています。
日本の支配者層は、何時の時代も現代と同じように傲慢で、社会全体や人々のことなど考えない、権力に胡坐をかいた存在だったのか、それとも現代がおかしいのか。

 そのような疑問から、支配者層の人格形成に直結する、支配者層の教育=帝王学はどのようになっていたのかを、各時代に沿って検証していきました。

最終回記事の前に、先ずはいつものように応援お願いします。
(さらに…)

投稿者 katsuragi : 2014年06月04日  

2014年06月04日

日本における仏教が果たした足跡6~天台宗に見る宗教の本質とは

宗教とは古今東西に関わらず所詮は権力闘争である。まさに天台宗の発生と今日までいたる足跡を見ると、そう捉えるのに反論が出ません。今回は天台宗の発生から見ていきながら、それを検証して行きたいと思います。

 【最澄では始まらなかった天台宗】

天台宗は教科書で習い誰もが知っている最澄から始まります。少しその発生の背景を見て行きましょう。桓武天皇によって京都に建てられた平安京ですが、当時桓武天皇が求めたのは護国仏教であった奈良仏教に代わる新しい仏教でした。京へ都を移して以降も災いが絶えず、天災や疫病が続き、遷都による祟りだと囁かれていました。桓武天皇は大衆や官僚の不安を沈める為にも学問型の仏教ではなく、行動が見えやすい祈祷型の仏教=密教を求めていました。

平安京の7年前、785年に最澄は18歳で奈良の東大寺で得度を受け国に認められた正式な僧侶になります。いわゆる秀才、エリートだったわけです。彼はその後比叡山に篭り修行の生活に入りますが、桓武天皇から白羽の矢が立ち、莫大な国の支援を受け803年唐に向かいます。

天台宗は中国では隋の時代からあった古い宗教で、中国では密教ではありません。ただ、大衆を対象化した大乗仏教で天台小止観で言われるように禅宗に繋がる宗教も言われています。中国では既に最澄が入唐した時には衰退過程にあり、中国ではやがて消えて行く宗教でした。天台宗を巨大宗派に拡げ、国家宗教に引き上げたのは、日本国内だったと言えます。 (さらに…)

投稿者 tanog : 2014年06月04日