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2009年07月13日

ハマ貝塚って何?

突然ですが、貝塚には大きく分けて2つの分類があること、ご存じでしたか
1つは「ムラ貝塚」そして1つは「ハマ貝塚」です。
「ムラ貝塚」のムラとは村のこと。一般的に貝塚は集落の中に形成され、貝殻のほかに土器、石器、獣や魚の骨などの生活ゴミを多く含んでいますが、要するに居住地にともなうそれを「ムラ貝塚」と言います。たぶん殆どの人が“貝塚”といってイメージするのはこの「ムラ貝塚」です。
ではもう一つの「ハマ貝塚」とは何か
いつものように お願いします :wink:
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↑写真は北区烏山博物館  よりお借りしました。これ、ハマ貝塚です!
  ※中里貝塚は平成12年9月に、国指定史跡として指定されました。
   最大約4.5メートルの厚さの貝層をもち、長さ約1キロメートル、
   幅約70~100メートルにわたる日本最大級の貝塚です。

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ではもう一つの「ハマ貝塚」とは何か? 「ハマ貝塚」のハマとは浜のこと。そして「ハマ貝塚」の特徴はその規模が極端に大きいこと。そして「ムラ貝塚」と異なり生活ゴミが殆ど出ていないんですね。またそれを裏付けるかのように「ハマ貝塚」の周囲には竪穴住居跡もみつかっていないんです。
ちなみにその極端に大きいその規模とは、代表的なのは東京都北区上中里にある『中里貝塚(なかざとかいづか)縄文時代中期中ごろ~後期初め』ですが、なんと長さが1km以上、幅が70~100m、そして貝層の厚さは最大で4.5mもあるんです
 えっ、東京にそんな所あったっけ?て思っている人も多いのではないでは
また『中里貝塚』においては、貝塚背後の砂地から焼き石を投入し、水を沸騰させて貝のむき身をとったとされる木枠付き土坑(どこう)や、焚き火跡(たきびあと)、木道などが確認されているそうです。さらに幅約40メートル、長さ1キロにわたって、おびただしい数の棒(杭)が浅瀬に立ち並んでいたことがわかっており、海水の干潮の差を利用して、付着するカキを採る=カキの養殖法が行われていたのです。
ちなみにこの養殖法、江戸時代以降の広島や、現在のフランスにおこなわれているムール貝の養殖法とほぼ同じ技術だそうです。縄文人すげーっ
では、この「ハマ貝塚」とは何だったのか
そうですね、食品(貝の)加工場だったと言われているんです。
  2009年6月12日 asahi.com から 以下の記事を紹介します。

縄文貝塚「干し貝工場のごみ捨て場」 奈良の研究者新説
縄文時代の貝塚は、貝の身に海水の塩分を濃縮させた「干し貝工場」のごみ捨て場だったのではないか――。アフリカ・セネガルで約4千年前から続く貝活用法をヒントに、奈良文化財研究所(奈良市)の松井章・埋蔵文化財センター長(動物考古学)がこんな新説を打ち出した。製塩土器ができるまでは動物の血液などから塩分をとっていたというこれまでの説を覆す可能性があり、研究者の関心を集めそうだ。
松井さんは08年4月、セネガルの首都・ダカールの南約50キロに広がる貝塚群を調査した。数万平方メートルの広大な貝塚の上にある集落で、約100人が古代と変わらない漁労生活を営んでいた。最古の貝塚はダカール大学の調査で約4100年前から続く。
住民は太古から、カキや巻き貝のむき身を海水で煮込み、水分を蒸発させてから天日干しをして大量の干し貝を作ってきた。身には塩分が濃縮され、そのままでは食用に適さないが、スープの固形だしとして使う。現在は近隣都市の市場で販売され、現金収入源になっている。
日本にも、宮城県東松島市の里浜貝塚(6千~3千年前、東西約640メートル、南北約200メートル)、千葉市の加曽利貝塚(5千~3千年前、長径300メートル)など大規模なものがある。両貝塚とも2~3メートルにわたって貝殻が積もり、自家消費用にしては多すぎるとの見方もあった。
松井さんはセネガルの例をもとに「日本でも集落全体で塩分を濃縮した干し貝を生産し、内陸部との交易品としていたのではないか」と考えた。セネガルの干し貝を奈良県工業技術センターで分析したところ、サケやサバの干物の約3倍の塩分が確認された。縄文時代の技術では、海水から塩を作るより、貝のむき身に塩分を濃縮させる方が効率的だったのではと推測。今夏にも学会誌に発表する。
貝塚は干し貝の加工場跡の可能性があるという考え方はあったが、塩分濃縮説は初めて。日本では3千~4千年前の縄文時代後期になると、火を通しやすい薄い製塩土器が登場し、海水を煮詰める製塩技術が広がったとされる。(土居新平)

ここでいくつか疑問が沸いてきました。
   干し貝が開発される前はどのようにして塩分を摂っていたのか
   なんでそんなに大量の干し貝(塩)を作ったのか
   干し貝工場は単一の集団で運営されていたのか
   分業はこの頃から行われていたのか
   干し貝(塩)は内陸部との交易品だったと言うのは本当か

これらはまた別途考えて行きますが、何方か教えていただければ、続いて投稿してくださいね

投稿者 mrran : 2009年07月13日 List  

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コメント

うららさん、始めまして。2310です。いや、昔の人は、本当に表現力豊かというか、同化能力が高いというか?言語能力の高さに驚くしだいです。
『恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛しき 言尽くしてよ 長くと思はば』など、いまの男女関係にはない謙虚さと男女の関係だけでなく、人との関係をいいあらあわしているようで、なかなかですね。第2弾よろしくお願いします。

投稿者 2310 : 2009年8月21日 17:10

うららさん、こんにちわ~
柿本人麻呂って、おっしゃるとおり、人間を超えてますね。万葉歌を手がかりに婚姻制度から考えると、このブログで探求された古代の混乱と不思議なパワーの実態に迫れるかも…。一服だけじゃなくて、あっと驚く大胆な仮説を期待させていただきます。
次回には、おばさんの大好きな志貴皇子のあのお歌も出てくるかなぁ~? 楽しみで~す。

投稿者 タツ : 2009年8月21日 17:21

2310さん、ようこそ、はじめまして。
本当にそうですよねー。表現は、みたままありのまま、
直接的なのに、なぜかイメージが無限に広がっていくんですよね。
万葉集は「ますらおぶり」、古今・新古今は「たおやめぶり」を表現しているとよく言われますが、ドッシリと骨太な歌風は、先っぽではなく、体やこころの「芯」に響いてきます。
少しでも近づいていきたい言語感覚です。
第2弾、オタノシミニ~。

投稿者 うらら : 2009年8月22日 18:53

タツさん、おひさしぶりです。
万葉歌と婚姻制度ですか。なかなか味な視点ですね。
「あっと驚く大胆な仮説」いいですねー。
研鑽を重ねて、挑戦したい!
斉藤茂吉は、その著書「万葉秀歌」で、自分のメガネに適った歌を選りすぐり、ほとんど断定的に評価を下しています。今読むと、?という解釈もあるのですが、いっそ気持ちいいくらいです。
次回はもちろん志貴皇子の登場。
山の湧き水のような、上等な大吟醸酒なような歌を詠まれる方ですネ。

投稿者 うらら : 2009年8月22日 19:03

うららさん、このシリーズいいですね!
歌もいいけど解説もGOODです。
それにしてもかな文字と漢字が入る日本語は美しい。
柿本人麻呂さんの漢文と比較するとよくわかります。
第2弾、中級編、上級編楽しみにしています!!

投稿者 tanoyam : 2009年8月23日 00:49

tanoyamさん、
いつもながらのご支援、ご支持ありがとうございます。
確かに日本語は美しいですね。
ただ、万葉集は原文表記はすべて万葉がな=漢字です。
それをああでもない、こうでもないと
かな交じりの日本語に置き換えてくれたのは、
契沖や荷田春満(かだの あずままろ)・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤といった江戸時代の国学者たちです。
とはいえ、現在でも詠み方のわからない歌があり、
あの額田王の歌ですら解読できない歌があるそうです。
(斉藤茂吉は独自に訳していますが)
人麻呂くらい端的になると、漢字もいいな~と
思います。

投稿者 うらら : 2009年8月28日 10:55

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