毛人の国の考察 ー 3 |
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2009年07月11日
文明が興ったのはなんで?~古代メソアメリカ~
メソアメリカでの文明発祥をもう少し調べてみました。
注目したのは文明発祥の地と土器の分布の関係です。
図は「メソアメリカにおける土器の起源を求めて」さんからお借りしました。
下の図が3500~3350年前に、南メキシコからグァテマラに至る太平洋地域で独自の様式を確立し、その後広い範囲でみられるようになった「オコス式土器」です。
注ぎ口が無く口が狭くなって丸い形をしたものは「テコマテ」と呼ばれています。(3本の足つきのものもあります)
形はきれいですが、実は使いにくかったかも?
●メソアメリカの服属支配社会と、最古のオルメカ文明の「サン・ロレンソ遺跡」
約3200年前~スペイン人の侵略を受けるまでのメソアメリカ(メキシコ、グァテマラ、ホンジュラス、ベリーズ・・・)の文明は、ある地域を特定の支配者集団が統治し、なかでも有力な支配者集団が他の地域の集団を服属するという2段階構成になっています。
約3200年前頃、メソアメリカ最古の文明であるオルメカ文明は、土盛りや貯水池や排水溝などの土木事業と、ピラミッドや神殿、石彫刻そして暦を伴っており、その様式が後の様式との共通点がある事から始原メソアメリカ文明の一つであることは確かです。
そのもっとも初期のものが「サン・ロレンソ」遺跡ですが、この遺跡の高台は、熱帯雨林の氾濫原にあった自然の台地にさらに土を盛って建設されています。
この土木事業から、治水を契機に他の集団を服属させる(助ける?)集団が発生したのではないか?と考えましたが、その出自を調べてみたところ、外来人であるようです。
●「オコス式土器」の分布とメキシコ湾岸の低地
アメリカでの土器の発明は南米の方が早く、今のところエクアドルでの5200年前のものが最古です。
メキシコでは4000年前頃から土器が使われ始めていますが、南米のものに比べると造りが粗野で、メキシコで独自に発明されたものと考えられています。
一方、3500~3350年前に、南メキシコからグァテマラに至る太平洋地域でメキシコ独自の土器の形態的特長と、南米の土器に見られる彩色の特徴を合わせもった「オコス式土器」が現れ、山間の谷間だけでなく(直線距離でも400km離れた)メキシコ湾側低地にまで広がります。これは、土器技術をもった農耕定着民集団(オコス人)が拡散したものと考えられています。(拡散とともに「オコス式土器」はその様式を若干変化させますが、南メキシコ・グァテマラ地域では変化は殆どありません。)
~地図は「浅川嘉富の世界へようこそ」さんからお借りしました。~
●技術を持った「オコス人」が拡散し、メキシコ湾岸低地で文明を興した?
「サン・ロレンソ」遺跡の盛土の下からは、「オコス式土器」が(メキシコ起源の様式の土器とともに)発掘されており、オコス人たちがこの地で原住民であるメキシコ湾岸低地人と接触したことは間違いないようです。
また、「サン・ロレンソ」の立地は、南メキシコ・グァテマラの太平洋側出身のオコス人たちがメキシコ湾側の低地に至った基点となる地である事から、このあたりがメキシコ湾岸低地人と接するきっかけとなった場所だと考えられます。
このとき、どうような事が起こったのか?具体的な事ははっきりしません。縄文人が渡来人を受け入れて弥生人になったような状況であったのか?それともオスコ人が原住民を駆逐したのか?
●流動的だった「集団の階層化」
ここからは仮説ですが、
オコス人には(当然メキシコ湾岸人にも)、武器的なものが見当たらないことから、彼らがメキシコ湾岸低地に拡散したのは侵略目的ではなかったと思われます。
また、オコス式土器の広がりを考えると、オコス人はあちこちで開拓or他集団を駆逐or受け入れられるor他集団に技術供与するだけの新しい技術(土器だけでなく、農法or土木技術)を持った集団であったと思われます。
更に、その後現れたオルメカ文明が、氾濫原にあって多人数を収容する事ができる「高台」を建設し(対自然圧力の技術)、偉大な人物を讃えるような彫刻群を持ったものであることから、メキシコ湾岸低地人が知恵のあるオスコ人を戴いて(自然圧力+期待圧力で)階層化したと考えるのが妥当ではないか?
当然、オスコ人がメキシコ湾岸人を駆逐or支配した可能性もあり、また、サン・ロレンソが放棄された時にその巨石頭像がすべて倒された事を「破壊」とみるか?石像の「埋葬」とみるか?微妙な問題もあります。
しかし、これは、集団間で一旦、階層化が起こったとしても安定的なものではなく、後世では支配者層が居なくなったり、また「支配+服属」と化すこともあり、複雑に変化しています。
その流動的な体制の変化は、(武力支配と身分制によって王家を固定した)私権統合社会との違いを示唆しているのではないでしょうか?
投稿者 nandeya : 2009年07月11日 TweetList
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コメント
投稿者 犬 : 2009年8月16日 17:32
犬さん、コメントありがとうございます。とにかくフェニキア人はどこからこんなに商才を身に着けたのか、その経緯を探ってみたいと思っています。
その後、カルタゴ→ローマが地中海覇権を握るようになってフェニキア人の名前自体は歴史上から姿を消してゆきますが、どうも歴史の裏舞台ではしぶとく(?)生き残っていそうですね。
投稿者 saah : 2009年8月19日 10:39
フェニキア人が現在のお金持ちのルーツを探る上で、鍵になるだろうと思ってます。ローマ帝国に滅ぼされて以降どうなってしまったのか。カナンと聞くとユダヤを連想してしまいますが、ユダヤとの関係はどうだったのか?ローマ帝国内でのキリスト教の拡大に何か関連しているのか?いろんな謎がありますが、是非追求してください。