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2012年11月04日

アンデス・マヤ2大文明の“伝え”4~アンデス文明は、徹底して「自然の摂理」に則ることを重んじる文明

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アンデス山脈こちらからお借りしました。
みなさん今日は。アンデス・マヤ2大文明の“伝え”第4弾です。前回までメソアメリカのマヤ文明について扱ってきました。まず前回、第3弾の結論を振り返っておきます。
>マヤも徹底して観念収束した社会と言えます。
マヤがここまで観念収束したのは究極的には戦争回避ではなかったのでしょうか?
農耕が始まり、人口が増大し、水や土地を争い必ず戦争が始まる状況が発生します。マヤ人はその状況下でいかに戦争を回避して共存できるかを考えた。そして辿り着いたのが、認識力で決する評価競争の地平だったのでしょう。<
マヤ文明とは、ひょっとしたら「共認社会」の構造に近いかも?と思わせるような認識が得られましたね。まだ、まだ続きますが、一旦今回は、もう1つの新大陸の文明「アンデス文明」を扱います。 ではまず、アンデス文明についての概要です。
●アンデス文明の歴史の概要
アンデス文明は主に高原地域で発展していきます。ペルーからチリ北部にかけての太平洋沿岸地域はほとんど雨の降らない砂漠に近い地域です。灌漑は可能ですが大河もなく農業にとってはほとんど不毛といっても良い環境です。ところが2千メートル以上のアンデス高地は気候はより湿潤になり、土壌も豊かになり、農業に適した地域が存在するのです。
さらにペルーからボリビアにかけてはこの高度が4千メートルにまで上昇します。標高3813mのチチカカ湖がある一帯でアンデス文明が生まれます。それは紀元前3千年にさかのぼり、高度な石器、治金を有する文明として始まりました。
乾燥地帯に囲まれていますが、高地には比較的農業に適した地域があり、高度な文明が発達したようです。では、旧大陸の4大文明と比較したアンデス文明の特徴を、「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」(杉山三郎、嘉幡茂、渡部森哉著)から引用しながら述べていきます。

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●効率を追求する利器を用いず人力にこだわる、自然の摂理を重んじる文明

西アジアや、ヨーロッパを中心とする旧大陸では、動物や風や火など自然の力を最大限に利用する、非常に「効率」を求める技術が発達した。しかし、アンデスでは、家畜はリャマ、アルパカなど少数で、動物に牽かせる車輪も発達しなかった。回転運動を利用する道具が無く、「ろくろ」も実用化されなかった。
ヨーロッパでは、人々の利用する道具は石器から、青銅器、鉄器へと変化し強度や作業効率が高まっていった。ところがアンデスでは製鉄技術は生み出されなかった。鉄を加工するためには、息を吹き込んで温度を上げるという人間の肺活量に頼った方法では駄目で、「ふいご」や作りのいい窯が必要になる。(中略)
アンデスの人々は自然の力、動物の力を積極的には利用せず、人間の等身大の技術にこだわった。山から石を切り出して運ぶのも、加工するのも、温度を上げるのも、石や貝を磨く作業も、大量の労働力を動員して、莫大な時間を費やして仕上げた。そこには、動物や機械に頼らない人間の身体と自然との直接的な関係が究極的な形で示されている。

「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」(杉山三郎、嘉幡茂、渡部森哉著)

現代人は、当たり前のように科学技術に頼った生活をしていますが、それによって、人類本来の身体機能、観念機能が、損なわれているのは言うまでもありません。アンデスの人々は、「文明の利器」に頼ることの危険性を感じ取り、自然の摂理にそった生き方をすることの重要性を感じ取っていたと思われます。そのような意味でもう1つ重要な事例があります。
●弓矢の利用を抑止し戦争回避、集団秩序を脅かすような技術は封印

アンデスの人々は、弓矢を用いていない。ヨーロッパやアジアでは新石器時代に槍から弓に移行し、狩猟具の威力は増大した。日本では縄文時代から弓矢が使われた。ところがアンデスの民は弓矢を頑なに拒んだ。東のアマゾンの人々は弓矢を用いたので、アンデスの人々はその技術を知っていたにもかかわらず、あえて弓矢を受け付けなかったのだ。

「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」(杉山三郎、嘉幡茂、渡部森哉著)

これはアンデスでは便利で効率のいい良い道具がかならずしも受け入れられるわけではないことを示す、注目すべき事例だと思われます。勿論、彼らが、早くから農業をするようになっていたため、相対的に狩猟道具の必要が低かったと言う事情もあろうが、「弓矢」という究極の道具を用いなかった理由としては不十分と思われます。なぜ用いなかったのか。
アンデスは、オアシスや高原に生産力の高い土地があるのは事実ですが、一方極めて過酷な生存環境の地域もあり、かつ気候変動にも晒されます。日本のように極めて生産力の高い土地と違い、ややもすれば「小競り合い」の圧力が働きます。その様な土地である以上、集団秩序を破壊したり、互いに合い争う戦争へとつき落としかねない危険な技術は、あえて封印したのではないでしょうか。ここにも、利便性に流されることことなく、総合的な判断において「弓矢」の利用を抑止している、自然の摂理にそった価値観を見ることができます。
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エル・ブルホの壁画 戦争捕虜を描いたの壁画。戦争が全く無かったわけではないが、弓矢を描いたものは全く存在しない。
●交換(や市場)に委ねず自給自足にこだわる

アンデスでは貨幣経済は発達しなかったし、旧大陸やメソアメリカで発達した市場も展開しなかった。かといって物々交換の制度が高度に機能していたわけでもない。基本的に自給自足経済であり、自分たちで食べるものは自分たちで作った。トウモロコシを作る集団、ジャガイモを作る集団、リャマを飼う集団、と分業し、それぞれの生産物を交換したほうが効率よいのであるが、そのような仕組みは広まらなかった。
自分たちで出来る労働を誰かに委託することをせず、自分たちで生産することを尊び、職業分化はすすまず、個人主義的な価値観は育たなかった。共同労働をし、みんなでお祭りをし、酒を飲んだ。また織物も交換によって入手するのでなく、あくまで自分たちでつくることにこだわった。各共同体でワタから、あるいはアルパカの毛などから糸を紡ぎ、それを腰機で織った。丹念に糸を織り合わせ、紋様を組み立てていった。

「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」(杉山三郎、嘉幡茂、渡部森哉著)

他集団との交換や市場に依存しないことは、現代人には非効率に感じることですが、本来、食料をはじめ集団に必要なものは「自給する」のが当然であり、集団の死活を外部に委ねることなどありえません。この点においても、アンデスの人々は、自然の摂理にそった生き方をしていると言えそうです。
●物財でなく労働そのもの、そして共同体の紐帯、それが生む充足そのものに価値をおく
徹底的に人力のみで全ての労働をこなすアンデスの世界。織物や土器に現れる突出した手工芸の美しさをみると、一体どのくらいの時間とエネルギーをかけたのだろう、と思うことがあります。彼らは効率を求める現代人とは異なった価値観の持ち主でした。労働すればするほど、人々の期待に応えてエネルギーをかければかけるほど、価値が高まると考えていたのです。
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こちらからお借りしました
われわれ現代人は豊な人というと、お金を持っている人、家を持っている人などと考えてしまいますが、アンデスで重要なのはどれだけモノを持っているかではありませんでした。豊かさとは、その人を助ける人がどれだけいるかでした。一般の人々あればどれだけ家族、親戚が多いかであるし、王や首長であれば、臣下が何人いるかでした。
お金、土地など蓄積された財産でなく、共同体の紐帯、相互に期待しあう関係が生み出す労働力、生産力そのもの、そして、そのような繋がりが生み出す共認充足の力そのものに価値を見出す。彼らの価値観は、実は、ある意味で極めて全うと言え、人類本来の価値観を持ち続けていると思われます。
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■ここまで見てきたことを纏めると、アンデスの人々は、利器や技術に過剰に頼ることを避け、身体能力と観念機能をフルに使って生きてきました。当然集団を脅かしかねない技術は封印して生きてきた。交換や市場に頼らず自給に徹し、また労働そのものの価値を強く共認し、集団の繋がりとその共認充足に価値を置いて、適応してきた。つまり、根底的に、自然の摂理にそって集団を維持してきた人々だと言えると思います。

投稿者 fwz2 : 2012年11月04日 List  

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