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2012年12月11日

アンデス・マヤ2大文明の“伝え”7~『時間』を識るとは『自然の摂理』を識ること

マヤ文明 聖なる時間の書―実松 克義 (著) の中で、著者がマヤのシャーマンに「時間とは何ですか?」と聞くところがあります。
シャーマンはこう答えました。『時間とは生命そのものである』と。
みなさんこんにちは。アンデス・マヤ2大文明の“伝え”シリーズは第7回目を迎えました。さて、今回はいきなり難解なシャーマンのメッセージで始まりました。
みなさんは「時間とは何ですか?」と聞かれたら、どのように答えますか? 私達が『時間』について考えるとき、時間とは『過去から現在、そして未来へと一直線に流れるもの』と捉える事が多いのではないでしょうか?
それに対して冒頭のマヤのシャーマンは『時間とは生命そのものである』と答えています。おそらく が付いた方も多いのではないかと思います。
今回はこの難問『マヤの人達の時間観って何?』をテーマに、マヤの人達から『時間とは何か?』を学んでいけたらと思います。
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古来よりマヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていました。
例えば、約5000年前に作られた1年365日という暦も、現在と17秒しか違わない精度だったといわれています。そしてマヤの人々は現代よりはるかに多種多様な暦を使っていました。
なぜマヤ人達はこれほど『時間』に対して拘り、追求を重ねてきたのでしょう?そして、マヤ人の持つ『時間観』とは一体どんなものなのでしょう?
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   <太陽の暦石>
●マヤ人の時間観①~あらゆるモノはリズム(周期)を持っている。
そもそも暦とは『あるモノの周期』の事です。
考えてみれば、私達も一日を24時間で刻む時計。そしてひと月を30日、1年を12ヶ月で区切るカレンダーを使用しています。
1日とは地球の自転のリズム(周期)、ひと月とは月の公転するリズム、1年とは地球の公転するリズムの事です。
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自然界のほとんどのモノは、この『リズム』(周期)を持っています。動物が一番わかりやすいかもしれません。
心臓のリズム。呼吸のリズム、月経のリズム。脳波も波ですからリズムですね。私達は普段何気なく「気が合う」などと使っていますが、中国の『気』というのもリズムだと言われています。
自然界でも雨が降り、それが川となって海に流れます。そして海の水が蒸発して雲を作り、また雨を降らせます。水の動きをみても大きな周期すなわちリズムがあります。
このように見ていくと、あらゆるモノはそれぞれ固有のリズム(周期)を持っています。
●マヤ人の時間観②~あらゆるリズムを識ることが集団を守ること
では、なぜマヤ人は様々なモノのリズム(周期)を識ろうとしたのでしょうか?
それにはマヤの地域特有の厳しい外圧環境が絡んでいます。
マヤは海浜地域で最初の文明が生まれますが、その後は数百年単位で内陸部へ転々と移動していきました。
マヤがあるユカタン半島には火山が集中しています。さらに太平洋と大西洋に挟まれた狭い地域にあり、両方の海洋の影響を大きく受けます。マヤはそのような立地にあり、砂漠から雨林帯まで狭い地域の中にさまざまな気候を内包しています。
短期間で大量の雨も降れば、長い期間乾燥にさらされ、その土地が全く住めなくなる事もありました。完全な砂漠地域、あるいは恒常的な雨林帯なら全く人が住めないか、適応して安定した生活を送っていくのですが、マヤはそれらの地域とは異なり、極端に変動する気候や火山地域特有の噴火、地震、津波による自然の脅威に晒されています。
その結果、マヤ人は自然の変化を丹念に注視する民族になっていったのでしょう。環境変化を予測し、それに合わせて移動し、生きていく事が集団として求められたのです。
なぜ彼らが多くの暦を要しそれを活用したのか、その答えは世界でも稀な、かなり特殊な環境外圧にあったと思われます。
マヤ人にとって自然界にある様々なリズム(周期)を掴むことは、未来を予測し危機を察知すること、そして集団を守る事と直結していたのです。
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<海岸地域のマヤ遺跡> <フエゴ火山> <グアテマラの砂漠>
●マヤ人の時間観③~『時間とは生命そのものである』
それでは冒頭のシャーマンの「時間とは生命そのものである」とはどういう意味なのでしょう?私達は「生命」と聞くと、動物や植物と捉えます。
けれどもマヤの人達は、地球やそれをとりまく宇宙も含め「あらゆるものは生命である」と捉えてきました。
上記②で展開したようにマヤの人たちは厳しい外圧環境の中で、生き延びてきました。彼らは私たちが捉える生命観同様に、その思考方法を生命活動の源である根源的な天体や宇宙という対象に向けたのではないでしょうか?だから彼らは天体現象を動植物と一体のものとして見たのです。環境外圧の厳しいマヤ人が「天体法則」を見出してきた背景にはこのような連続したモノの捉え方があると思われます。
人類は「精霊」を措定した時に同類に対して使った共認回路を自然に対して適用しました。マヤ人も天体現象に対して共認回路を使い、とてつもない宇宙現象をあたかも仲間や同類のように捉えようとしたのではないでしょうか。
日々流れる時間を、あらゆる生命のリズムと感じ、それを敬いながら逆らう事無く生きていく。マヤ人が暦をいくつも作りその周期の中で生きているのは、あらゆるモノに生かされている事を知っているからでしょう。この点については私達日本人の祖先と非常によく似ているものを感じます。

●『自然の摂理』の中で暮らすとはどういうことか?
これまで数々の書籍の中で、マヤ・インカの人達は『自然の摂理』に則った生活をしてきた。
とありましたが、ようやくその真意が見えてきました。
すなわち、あらゆるモノを自分達と同じ生命としてとことん注視し、そのリズムに逆らう事なく生活する。
考えてみれば、時間を『過去から現在、そして未来へと一直線に流れるもの』と捉えても、そこからなにも見出す事は出来ません。
時間を様々な対象のリズムとして捉えるからこそ、自然と調和した生活が生活が送れるのです。
翻って、現代の西洋文化の中では、自然の循環やリズムを無視し、それを遮ってまで目先の利益優先で欲求を押し通そうとする。
その結果が現代の「環境破壊」はじめとする様々な問題であり、そのまま自分達に跳ね返ってきているのではないでしょうか?
私達も、マヤ人そして私達の祖先のように、取り巻く生命のリズムを識り、それに逆らう事なく暮らしていきたいですね。
そして「時間」単に流れているものとしてではなく、私達を生かしてくれる生命のリズムとして大事にしていきたいものです。

投稿者 shinichiro : 2012年12月11日 List  

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