まとめ・・・・お墓の変遷 |
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2007年05月06日
文字がない社会って?!
こんばんは~ 、みつこ 😀 です。
今日はゴールデンウィーク最後の日でしたが、あいにくの雨 でしたね。
みんさんはいかがお過ごしになられましたか?
さて、今日は、ずーっと私の宿題 だった(tanoさん、期待してくれてありがとうございます!)、無文字社会について。
>支配や徴税の為に文字が生まれたというのは本当でしょうか? by tanoさん
なかなかに深い問題です。
これについては、もっと正確に語る必要があるようで、
確かに文字がもつ不変性、個別参照性(記録を参照する者が個別であるということ。翻せば口承などでは個別参照性はないということ)、遠隔伝達性は、市場や国家の成立及び拡大に、大いに寄与したということは言えそうですが、レヴィ=ストロースが言ったように「文字の使用と大規模な政治組織の出現とは一致する」とまでは言い切れない、みたいなんです。
というのも、南米インカ帝国も、アフリカのガーナ帝国やマリ帝国も、いずれも無文字社会であったけど、広域支配を成していたし、2~300年続いた帝国だからです。
じゃぁ、無文字社会ってどういう風だったの?
気になりますよね 8)
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ありがとうございます
■南米インカ帝国の結縄(キープ)
写真は国立民族博物館より、紹介文はこちらよりいただきました。
インカ帝国は、スペイン軍に滅ぼされるまでに、現在のエクアドルからチリに至る広大な範囲を領土としていました。緯度の幅にすると約30度という巨大な国家でした(緯度幅30度というと、北海道の最北端からグアムまで)。しかしながらこの広い地域を支配していたにもかかわらず、文字を持っていませんでした。
ただし、数を記述する方法はありました。それがキープと呼ばれるものです。縄の結び目の形で数を表現するため、「結縄(けつじょう)」と呼ばれています。日本でも沖縄で明治中期ごろまでは、ワラザン(藁算)という数量表現がありました。
インカ帝国では、王や役人は人民の統治に必要な情報(総人口や兵士の数、納税品の量)などをキープに記録していました。このキープの作製およびその解読を行うキープカマヨックと呼ばれた専門家(公務員)がいました。しかし、10種類の結び方とその読み方さえマスターすればよいのにどうして専門家が必要なのか、と疑問に思うかもしれません。実は、結び目の形だけが情報を持っているわけではありません。紐の色、結び目の位置など結び目の形以外にも情報が含まれていました。これらの情報は、数量というよりも、何の数を示すものかを表しています。人口なのか、ジャガイモの量なのか、はたまた王の演説回数なのか、数量化できるさまざまな事項を区別することが必要だったのです。
うーっむ、キープは文字とみなしてもいいくらいかもしれませんねぇ・・・。
■声の文化 の特徴(『声の文化と文字の文化』より)
1.言葉に宿る力が信じられる
2.記憶が重視されるため、長老は尊敬され、知識はリズミカルに唱和されるような形を取る (韻を踏んだり、太鼓によるコミュニケーションなど)
3.批判的で冷静な思考の構築は難しく、むしろ共感的な言葉が大切にされる
4.思考の範囲は生活経験に密着している
ふむふむ。無文字文化では記憶することが重要で、だから忘れないように反復したり、歌にしたり、、って工夫をしているんだぁ
■アフリカのスーダンに住むヌアー人の時間感覚(引用はすべて京都精華大学人文学部社会メディア学科WEB授業公開 社会メディア論第4回よりいただきました。) 長いですが、イメージしやすいので がんばってお読みください
アフリカのスーダンに住むヌアー人は無文字の民族ですが、彼らには2種類の異なった時間があるのだそうです。一つが「生態的時間」で、もう一つが「構造化された時間」です。
まず、生態的時間のほうから。これは四季に関わっています。1年があるじゃないですか。その1年のあいだに、この時期になると種を撒(ま)くとか、この時期になると何をする。たとえば、牧畜だったら、草が生えてきて、じゃあどこに何を連れて行く、というふうに、1年周期のそれぞれの時期は、生活、農業なり牧畜なりの行事とくっついているわけです。
ですから、彼らの言い方では、3月に何をするとか、5月に何があったという言い方ではなくて、「種まきの時期に何々をしよう」といった言い方になる。つまり、時間の表示が、暦のように、1月、2月、3月と区切られて、しかもそれが太陽暦で、非常に精密に区切られているのではなくて、生活行事にくっついたかたちで時間が区切られている。そういう仕方で、1年は、雨季や乾季、また、農業や牧畜と結びついた、ある暦のようなものになっているわけです。
これは1年の単位ですが、じゃあ、1日のなかはどうなっているのかというと、1日には、牛時計というのがあるのだそうです。
(中略)
牛を飼うのをおもな生活の手段としていますから、10時に何をしよう・10時に何が起こったと言う代わりに、「搾乳の時間にどういうことが起こった」とか、「仔牛を牧草地に連れて行くときに、こういうことが起こった」と表現する。ようするに、牛とともに生活をする1日の節目節目が、時間をあらわす物差しとなっている。これが牛時計です。
以上が「生態的時間」でした。これと、「構造化された時間」とはどうちがうか。
まず生態的時間は1年間を超えない。牛時計の1日と、四季の1年が単位。では、この1年を超える物事についてそれをどう位置づけるかというときに、構造化された時間という、もう一方の時間が出てくるのです。
「構造化された時間」の一つは、地域集団全体の共通の重要事項に言及するという方法です。たとえば、だれとだれが結婚した、ということがあるとしますね。結婚式って、すごく重要じゃないですか。そうすると、「だれだれの結婚式のちょっと前に、こういうことがあった」というふうに表現することができる。こうやれば、1年を超えた過去についてもいちおう時間のなかに位置づけられる。構造化された時間にはさらに別の二つの方法があって「三重の体系」になっています。簡単にいっておくと、年齢組に言及する方法──約10年間隔の年齢組というのがあって、たとえばそこでの成人式に言及するわけです。さらに、共通の祖先に言及する方法もあります。
ただ、あまり詳しいことを言っても意味がないので、どこがポイントになるのか、ということです。「構造化された時間」についてエヴァンズ=プリチャードはどう整理しているかというと、
全面的に社会構造に関わっている。──時間表示は、集団の共通事項・年齢組・共通祖先に言及するわけですから、そうなります。太陽歴や太陰暦といった自然の運行にもとづいた整理された抽象的な暦をもたない。
(中略)
もう一つは、数字、いわゆる日付がないということですね。これは、何度も言ってきました。
さらに、過去の時間感覚も、最大限延びて50年だそうです。生態的時間が1年で、それを超えたものは構造的に位置づけるのですけれど、これもせいぜい延びて50年。年寄りの記憶が及ぶのがそこまで、ということかもしれません。
少し、彼らの感覚が分かった気がします~。
無文字社会といってしまうとなんだか遅れた社会のようなイメージを抱きがちですが、文字を必要としなかった社会というだけなのだろうなって
実際私たちの現代社会の中にも、不文律といった文字化されない部分はあるわけですから、文字社会と無文字社会という具合に二項対立的に歴史を捉える視点は誤りなのでしょう
最後に、今回参考にさせてもらった『無文字社会の歴史』(川田順三 2001年)より
東洋の書道は、無数の文字の氾濫する現代にあって—-そこでは、伝達される内容についての人々の合意はますます希薄になるにもかかわらず、コミュニケーション手段の技術上の発達にとおなって、情報の量と速さだけは、狂ったように増しつつある—、ことば以前の合意がなければ、人と人とのあいだにやりとりされる文字は、所詮形骸にすぎないという原始的真理を、ひかえめに証言しつづけることであろう。
マスコミによるペンの暴力が目立つ昨今、日々忘れないでいたいことです
投稿者 mituko : 2007年05月06日 TweetList
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コメント
投稿者 Hiroshi : 2007年5月23日 00:23
yuyuさんこんばんは、
縄文のビーナス不思議な顔してますね。癒されるような感じ。
後期の土偶って、普通首がとれていたり破壊されているものが多いと聞きましたが、これは土偶とはちがう地母神的な像なのかな~?