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2007年07月19日

死者を身近に祀るのは古来の慣わしか? -インカのミイラ-

こんにちは。 😀
7月1日から数回のシリーズで放映されているNHKスペシャル「失われた文明インカ・マヤ」の第1回でインカのミイラが紹介されていました。みなさんご覧になりましたか?
ph_who_02.jpg
(インカ滅亡後にインカの末裔が伝承により描いた図 出典:NHKスペシャル)
私達の生活習慣では、まったく縁遠いミイラ ですが、インカではかなり生活に密着していたようです
そして、多数のミイラがあるばかりでなく、王様のミイラは特別な役割を課せられて崇拝されていたようです。
 これを見ていた友人から
「インカのミイラって、仏像とかキリスト像みたいなものだったのでは?」
という話がありました。つまり具体的な拝む対象だったということです。
そこで気が付いたのですがこれは逆ではないか?と。
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 死者を身近に埋葬したり崇めたりするのは古来からの集団の自然な姿 であり、むしろ徹底的に本源集団が破壊された中東(→西洋)やインド(→東洋)の方が、その代わりとして仏陀やキリストといった超有名な死者を祭り上げたのではないでしょうか?
それに対してインカのミイラはむしろ、古来からの集団の自然な姿を残し、インカはそれを他部族も含めた広大な地域の統合に使おうとしたのではないか? 
という事です。
インカは1部族から100年程度で広大な部族・地域を統合しましたが、その必然性があったはずです。
おそらくそれは諸部族間の緊張状態 😡 に対してある秩序をつくる必要性だったであろうと考えられますが、そのためには古来からの集団統合の風習(ミイラ)や信仰(太陽神や山の神)をより階層的に整備するのが有効だったと思われます。
これは、かねてからの「インカの国家・集団統合はどうなっていたのか?」という疑問に肉薄できるテーマかもしれません。
そこで、
「死者(ミイラ)はどういう役割を果たしていたのか?」というお題で投稿を募ります 😀
関心ある方はぜひ

投稿者 bunbun : 2007年07月19日 List  

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コメント

弥生人というより、大和朝廷と呼んだほうがいいように思います。明確な国家的意思があるから、序列従わない民を侵攻したのだから。

投稿者 Hiroshi : 2007年8月7日 23:49

そうですね。
としても、明らかな侵略戦争に立ち向かったのは事実です。
hiroshiさんが言うまさに国家的意思を明確に否定したわけです。結果は玉砕でしたけど・・・。
力ずくで封じ込める圧力に対しては徹底的に戦うという意思がある。後世の我々にも残っていると信じたいですね。

投稿者 tano : 2007年8月8日 00:10

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