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2007年10月28日

マヤ・メキシコの「生贄」は、なんで?パート1

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(チチェン・イツァー 出典:ラテンアメリカ博物館)
こんにちは
生贄にはまりつつあるbunbunです
いままで、マヤの生贄について見てきました。生贄文化未経験の私としましては、なんで生贄? ・・・という疑問が常にあるのですが・・・改めて生贄が行われたのはなんで?を追いつつ更にはまって生きたいと思います。
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 マヤは1100年前頃に大半の都市が滅亡していますが、そのなかで、唯一その後の繁栄期(後古典期)に繋がる「チチェン・イツァー」という都市があります。(大きなピラミッドがあります)
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(チチェン・イツァー 出典:ラテンアメリカ博物館)
 このチチェンイツァー新旧の2つのエリアに分かれているのですが、ここ2つのエリアの違いみると面白い事がわかります
それは、生贄が頻繁に行われたのはこの内、新エリアに限られている :ってことですD 。
 新エリアを作ったのはメキシコから来た部族。つまりマヤの生贄はメキシコから来たものだと考えれるのです。
【平和なチチェンイツァー旧エリア】
 有名な天文台だといわれる円形の建物があります。
なかに螺旋階段があるところから、カラコル(巻貝)とよばれている雨の神チャックやモザイク模様で、壁面が複雑繊細に装飾された、「尼僧院」「教会」とよばれる建物があります。
【血の臭いのするチチェンイツァー新エリア】
 城塞カスティーヨ。ククルカンのピラミッドともいい、9層で高さ30m
ここには、守護神と思われる「羽毛あるヘビ」ククルカンが、天上から舞いおりた図があります。
ククルカンは、メキシコ中央高原ではケツァルコアトルとよばれています。
ククルカンのピラミッドのむこうに見えるのが、「戦士の宮殿」。皆さんおなじみの?チャック・モールの像があります。あの、腹部に生贄の人間の心臓をのせたという・・・。
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(チャック・モール 出典:メキシコ旅行写真集)
さらに、メソアメリカ最大といわれる「球技場」があります。
道具をつかって、ボールを受けたり打ったりしたようで、首をぶらさげた図もある。競技といっても、これは宗教的儀式であり、勝者が生贄にささげられたという
球技場の近くに、周囲がびっしりとドクロでおおわれた基壇(ツオンパントリ)が・・・
 このうえに犠牲者の首がならべられたらしい
「生贄の泉」を底ざらえしたとき、金器のほかに、たくさんの人骨もあがりましたが、この「生贄の泉」も新エリアにあります。
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(生贄の泉 出典:NHKスペシャル)
いかにも生々しい凄惨な血の匂いがしてきそうですが、この新エリアは、10~13世紀のものです。
つまり、10世紀、衰退したマヤの地域へ、ケツァルコアトル神を信じ、犠牲をささげる習慣をもった軍事的な集団がメキシコ中央高原から進出してきました。それが、トルテカ族です。
さらに987年には、トルテカの王ケツァルコアトル・トピルツィンまでもやってきました。
そして、この時期より「生贄」が盛んに行われていくようになったと考えられます。
以上から、マヤの生贄はメキシコのトルテカ族によってもたらされたものらしいということが考えられます。
次回はそもそも、「なぜ生贄なのか???」という根本の課題を探って行きたいと思います。

投稿者 bunbun : 2007年10月28日 List  

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