2007年10月30日

2007年10月30日

マヤ・アステカの生贄は、なんで? パート2

前回の記事で、マヤの生贄はメキシコのトルテカ族によってもたらされたものらしいという事がわかってきましたが、そもそも一体なぜ生贄なのか?ここに迫ってみたいと思います。 🙄
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マヤ・アステカの生贄の特徴は、
1.血液を放出する事(王族の放血儀礼:王は性器、王妃は舌を傷つけて同時に血を流す)
2.心臓を抉り出す事(生贄:生きたまま心臓を抉り出し、神殿の階段の上から血の飛び出る心臓を転して落とす)

このように、血液を重視した彼らの精神世界が垣間見れる「神話」をたどってみる事にします。
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投稿者 nandeya : 2007年10月30日  

2007年10月30日

著書『縄文「ムラ」の考古学』からの新たな視点

こんばんわ 😀
縄文担当のtanoです。
このブログも最近マヤ、中国に押されて日本(縄文)の影が薄くなってきています。 🙁
ということで、私のグループではしばらく縄文時代を分野毎に追求していくことにしました。
今日はその第1弾です。
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最近読んでいる本で縄文「ムラ」の考古学という著書があります。川崎 保氏という長野県立歴史館専門主事学芸員の方が執筆・編集されています。⇒一部をネットで見れます
この本は長野県の縄文遺跡を長く調査してきた川崎氏がご自身の研究成果としてまとめられただけでなく、縄文時代のムラを長野県の遺跡を下敷きにして道具、居住、交流、男女の役割等の観点で再現しようとする壮大な試みです。
この書の優れている点は考古学的データーだけでなく考古学に長年触れてきた著者の直感や仮説が各所に展開されている点です。今日は考古学資料の転載まではできませんが、著者の捉えた縄文時代のムラのありようについて連続シリーズでいくつか紹介してみたいと思います。(著者の川崎氏には大変申し訳ないのですが、紙面の都合で一部私の文章でまとめなおしている部分があります)
「縄文ムラの誕生」
定住とはなんだろうか?竪穴式住居跡があってもそこに連続して住んでいたという根拠がなくてはならない。住居の中に石や炉があったとしても定住化への発展的段階である可能性も残る。やはり定住的という以上は住居跡群に明確な特徴が必要になる。直線的や環状配置など明確な意図をもって人間集団が構成されていることを定住的と呼べなくもない。しかし最も目安となるのが「モニュメント」や「ランドスケープ」を持ってムラが形成されている場合である。
モニュメントって何?と思った人ポチッと。
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投稿者 tano : 2007年10月30日  



 
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