2007年10月31日

2007年10月31日

縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か?

三内丸山遺跡などでも有名だが、ストーンサークルと呼ばれる遺構は、北海道から東北地方に集中している
図・写真は「大湯ストーンサークル館」より引用
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これらの遺跡は約3,500~4,000年前にできたと言われているが、何故、この時期に現れ、しかも、北方にしか発達しなかったのか?
また、当ブログでもnaotoさんが「縄文人にとってお墓とは何だったのか?」でも述べていますが、
>彼らが望んだのは、集団の永続的な安定と繁栄。成員の死に際しても、個人の死→埋葬という行為を超えて、集団の共同行為として墓制をとったのではないでしょうか?
と言うように、何故、この時期に集団統合力を強める必要があったのか?
考えれば考えれ程、ますます疑問が湧いてくるばかりです。
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投稿者 simasan : 2007年10月31日