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2007年08月25日

縄文人の故郷、スンダランド

:D くまなです。
縄文人のふるさとと思われるスンダランドについて調べていたら、日本人の起源についての記述がありましたのでご紹介します。
まず、予備知識として…
縄文人の遥か祖先、始原人類は500~700万年前に出現し、180~150万年前にはユーラシア大陸に進出し、40~50万年前には北京原人やジャワ原人として存在しています。その頃、旧人がアフリカを出て、10万年前頃には東アジアまで到達します(図1)。ただし、それら原人や旧人は絶滅しています。縄文人につながる現生人類(新人)は15~10万年前頃にアフリカを出ます。
図1:原人・旧人の拡散
1132S.jpg
九州大学ミュージアム「モンゴロイドの形成」よりお借りしました。人類発祥は最大700万年前に遡る可能性があります。)
図2:現生人類(新人)のスンダランドへの道のり
190825.JPG
(サイトJOURNEY OF MANKINDよりお借りしました。なお、新人の骨は南アフリカから発見されている⇒参照日本人はるかな旅展
図2によると、現生人類の祖先(新人)は9万年前頃に紅海を渡り(既に船を利用か)、海岸線沿いに移動し、8~7万年前頃には東南アジア(スンダランド)から東アジアに到達します。 彼らがモンゴロイドを形成します。モンゴロイドは、北方に移動する人々とスンダランドにとどまる人々に別れ、それぞれの気候・風土に合わせて適応します。北方適応した人々を新モンゴロイドと呼ぶのに対して、南方にとどまった人々を旧モンゴロイドと呼びます。
図3:スンダランド
map-sunda.gif
(図はサイト米と酒と鳥と貝よりお借りしました)
スンダランド(Sundaland)とは、現在タイの中央を流れるチャオプラヤー川が氷河期に形成した広大な沖積平野で、現在ではタイ湾から南シナ海へかけての大陸棚として海底に没している。72000年~16000年前頃の氷河期には海面が100メートル程度低く陸地で、14000年前~6000年前にわたる海面上昇により海底に没した。
スンダランドのモンゴロイドが、数万年に亘っていくつかの経路から日本列島に到達し、混血してできたのが縄文人といわれています。
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●縄文人の基盤となった新モンゴロイド(北方狩猟民族)
旧モンゴロイドが縄文人の基盤を形成するようすについてはKNブログによくまとまっているので引用します。

この旧モンゴロイドはインドシナ半島南部から東部にかけてヴュルム氷期に存在した広大な陸地であったスンダランドに多数が居住し、一部はマンモスを追って北上していき、一部は海洋民族となって太平洋に広がり、一部はスンダランドから海を渡りオセアニアに移住してオーストラロイドになりました。
マンモスを追ってスンダランドから北上していった旧モンゴロイドの多くはシナ大陸に分布していきましたが、3万年前にシベリアにまで達した一部の集団の血統は極端な寒冷適応の形質を獲得し、またマンモス狩りを繰り返すことによって狩猟民族としての高度な技術力を有するようになりました。これが新モンゴロイドです。
このシベリアに居住していた新モンゴロイドは狩人であったので、ヴュルム氷期が最盛期を迎えた2万年前に寒さに耐え切れずに南下した動物を追って、ユーラシア大陸全域において先住民を圧して人口を増加させて広がり始めたのです。
ただ、ユーラシア大陸西部にはコーカソイドが多数居住していたために新モンゴロイドの進出は阻まれ、新モンゴロイドは主に人口密度の比較的低かったユーラシア大陸東部において旧モンゴロイドを南に押しやって広がっていったようです。
こうして新モンゴロイドは今から2万年前にシベリアから南下してモンゴル、中央アジア、シナの華北地方、チベット、ヒマラヤ地方などに広がっていき、またベーリング海峡にかかった氷の橋を通ってアラスカへ移動し南北アメリカ大陸に分布していった新モンゴロイドもいました。
このヴュルム氷期の最盛期においては日本列島においても津軽海峡や瀬戸内海などは全て地続きで、更に北海道から樺太を経て沿海州までは氷の橋が架かり、そして対馬海峡も氷の橋が架かっており、しかも日本列島はヴュルム氷期を通して動植物の繁殖が続いたという恵まれた環境であったのでシベリアから南下した動物は必ず歩いてこの2本の氷の陸橋を渡って日本列島へ到達したのであり、新モンゴロイドの狩猟民はそれを追ってこの北方ルートと朝鮮半島ルートの2つのルートで歩いて日本列島に渡ってきたと推測されます。
これ以前に日本列島に現生人類が居住していなかったのかというと、おそらくそんなことはなく、スンダランドを根拠地にしていた旧モンゴロイドの海洋民族がいくらかは生活していたであろうとは思いますが、この2万年前の新モンゴロイドの南下はさすがに歩いて移動出来ただけあって数が多く、これによって日本列島における現生人類の数は一気に増えたと想像できます。
こうして新モンゴロイドの狩猟民族を多数派として、旧モンゴロイドの海洋民族を少数派とするような状態が2万年前の日本列島において出来上がったのだろうと思われます

図4:日本人の形成
05.jpg
(図はサイト「いま、アジア最古の顔が初めてわかる。」よりお借りしました。)
まずは北方に移住したモンゴロイドが縄文人の基盤になったということですね。少数派である旧モンゴロイド(海洋民族)の波状的渡来については「黒潮圏の考古学」に詳しくあります。
●旧モンゴロイドの波状的渡来(2万年前まで)
sundakara.jpg
第1波:5.0~4.0万年前
約5万年前頃スンダランドの海岸地域に、海洋適応戦略を成功させた新人段階の旧石器人が定着していた。かれらは東南アジア内陸部の熱帯雨林に展開した「礫器文化」に対峙するように、海岸や島嶼部を拠点に「不定形剥片石器文化」を発達させた。
第2波:3.5~3.0万年前
神津島の発見者は、黒潮海流を北上してきた新期(後期)旧石器時代人である。かれらは琉球列島を経由して、種子島や四国・本州島の太平洋岸地域を遊動拡散してきた新人集団と考えられる。種子島の立切、横峯B遺跡(約3万年前)、東京の西之台B、中山谷遺跡(約3万5千年前)で出土した礫器、大型幅広剥片石器、錐状石器、クサビ形石器、磨石、敲石などの「重量石器」を特徴としている。同様な旧石器群は、ベトナム、香港、台湾島などにも分布が認められている。
第3波:2.5~2.0万年前
黒潮海流を北上した旧石器文化の第二波が、奄美諸島の土浜ヤーヤ、天城遺跡(約2万5千~2万年前)で確認された。磨製石斧片、チャート製の台形状石器、スクレイパーに特徴をもち、九州島から列島内部に展開される「ナイフ形石器」が伴出しない。 そしてこの旧石器群は南方型旧石器文化と分布圏を同じくするが、トカラ海峡を越えて北側の列島内部には発見されていない。
長くなりましたので、続きは次回にします。ご期待ください。

投稿者 kumana : 2007年08月25日 List  

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コメント

アポカリプト 06/米 メル・ギブソン監督

 台詞は全てマヤ語となっている点では異色の映画。一般にアメリカの先史文明について、日本ではなじみが薄いが、帝国と名の付くものを徹底した悪の存在に
すると…

投稿者 トーキング・マイノリティ : 2007年9月15日 21:14

こんばんは、初めてコメントさせて頂きます。
私はマヤ文明をまるで知りませんが、生け贄の話なら聞いたことがあります。
現代人からすれば生け贄など、聞くだけでも恐ろしいですが、死生観がまるで違う背景もありますね。
マヤを描いた映画「アポカリプト」を見ましたが、かなりひどい内容でした。

投稿者 mugi : 2007年9月15日 21:23

mugiさん、おはようございます。「アポカリプト」という映画は見たことはありませんが、メルギブソンが監督の映画ですね。映画などはとかく主観が入りがちで、必ずといっていいほどどちらかが正義でどちらかが悪として描かれますが、本当に当時の人々の死生観に同化しないと、誤った先入観で思い込まされてしまいます。その当時のそういう習慣が何故必要とされるに至ったのかを、きちんと調べて行きたいと思います。

投稿者 saah : 2007年9月16日 13:35

神は形あるものを食さず、形ないものを食す・・・。
そして心臓を捧げるのも、形のない「心」を神に捧げるため。という話を聞いたことが有ります。
でも、心を捧げるだけでなく、皮を被ったり、手足を食べたり・・・となると、なんか、儀式の形式ばかりが神の手を離れて先行していってしまった様に感じました。

投稿者 bun : 2007年9月18日 11:42

bunさん、>形のない「心」を神に捧げるため<は納得ですね。思うに、当時の人達は自分達の一番大切にしているものを捧げることで、神への信仰心を表していたのではないでしょうか。そしてその大事なものの恩恵を自分達も受けたいということで、生贄の皮をかぶったり、手足を食したり、なのかも知れませんね。

投稿者 saah : 2007年9月18日 19:00

>マヤの人は、この世よりあの世を本当の人生であり、この世は魂が修行をするための世界でしかないと考えていたので、死を恐れていなかったと言われている。神へ捧げられることは、更にステージの高い天国へ行けることを意味していたので彼らにとっては最高に光栄なことだったらしい。
本当に?という疑問点が3点ほどありますが誰かお答え願いますか?
①現在の中南米の人やアマゾンの原住民を見ると現世を充分謳歌しているように見えますから、当時のマヤの人もきっと現世を謳歌していたのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
②(「マヤ(チチェンイッツア)遺跡・カンクン」~より)のコメントは、キリスト教・イスラム教・仏教等に通じる「現世の苦しみはどうしようもなく、せめてあの世では救われる」と言う風な被支配民族のどうしょうもない人生のように思えます。キリスト教等の世界観でマヤ文明を想像したように思いますがどうでしょか?
③また生贄にしても、現実を必死に生きようとしている集団(生物界を見渡しても)にとって、考えにくい行為のように思いますね。きっと人殺しを経験した略奪集団でないと思いもよらない行為ではないかと考えますがどうでしょか?

投稿者 中年のおじさん : 2007年10月10日 13:35

完結にまとめてあり、非常に勉強に成りました。
私の読んだいくつかの文献
(英文でしたがスペイン語か何かラテン語系をそのまま直訳したような本)
では、居住地区により身分が分かれているのは当然として、
身分の高い者は権限を得たその代償として、任期満了時には祭壇で心臓を抉られるというのがありました
(身分が高い人は装飾品以外にも髪が短いのですぐわかったのか?)
また、罪人や捕虜にはカード(?フトマニ的な?)を選ばせ、その絵柄に依って無罪放免や各処刑方法を定めていたというのがありました。
現在どこの国でも大抵は裁判で決めていますが、
やはりそこは生け贄文化、
罪の裁定も神(というか運?いやそれこそが神のご加護があるか無いかという捉え方なのか?)の意思一つで運命が変わったようです。
その血を祭壇に塗り、神の息吹のかかる土地(神殿云々)は真っ赤だったとか…
もしかしたらインカ、アステカ等と混じっている可能性もありますが、いずれにしろ現代ではとても理解できないようでいるが見方を変えれば(それが常識として生きて来たのなら)合理的とも言える不思議な文化だとは思います。
ただ、テロやいちゃもんつけて一般市民を平気でクラスター爆弾で殺す現代にあっては、むしろ皆が崇める神のため、神の裁定によるくだされる審判による処刑とそれにともなう生け贄という考え方の方が、まだ平和というか筋は通ってるような気がする今日この頃です。
お邪魔しました。

投稿者 masa : 2009年3月1日 01:25

完結にまとめてあり、非常に勉強に成りました。
私の読んだいくつかの文献
(英文でしたがスペイン語か何かラテン語系をそのまま直訳したような本)
では、居住地区により身分が分かれているのは当然として、
身分の高い者は権限を得たその代償として、任期満了時には祭壇で心臓を抉られるというのがありました
(身分が高い人は装飾品以外にも髪が短いのですぐわかったのか?)
また、罪人や捕虜にはカード(?フトマニ的な?)を選ばせ、その絵柄に依って無罪放免や各処刑方法を定めていたというのがありました。
現在どこの国でも大抵は裁判で決めていますが、
やはりそこは生け贄文化、
罪の裁定も神(というか運?いやそれこそが神のご加護があるか無いかという捉え方なのか?)の意思一つで運命が変わったようです。
その血を祭壇に塗り、神の息吹のかかる土地(神殿云々)は真っ赤だったとか…
もしかしたらインカ、アステカ等と混じっている可能性もありますが、いずれにしろ現代ではとても理解できないようでいるが見方を変えれば(それが常識として生きて来たのなら)合理的とも言える不思議な文化だとは思います。
ただ、テロやいちゃもんつけて一般市民を平気でクラスター爆弾で殺す現代にあっては、むしろ皆が崇める神のため、神の裁定によるくだされる審判による処刑とそれにともなう生け贄という考え方の方が、まだ平和というか筋は通ってるような気がする今日この頃です。
お邪魔しました。

投稿者 マサ : 2009年3月1日 01:27

マサさん、コメントありがとうございました。
少し古い記事だったので、自分でもどんなテーマでアップした記事か把握するのに時間が掛かりました(笑)。
古代文明を考える時、一番のポイントは現代人の価値観で見てはいけないということですね。あくまで当時の人々にとことん同化することで、そこで行われていた様々な慣習がどのような必然性があったのかが見えてくると思います。

投稿者 saah : 2009年3月4日 11:39

メッチャ役にたった

投稿者 松下 純士 : 2010年12月8日 11:47

マヤ文明って興味深いデスね。

投稿者 匿名 : 2012年8月28日 06:19

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