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縄文人の故郷、スンダランド

😀 くまなです。
縄文人のふるさとと思われるスンダランド [1]について調べていたら、日本人の起源についての記述がありましたのでご紹介します。
まず、予備知識として…
縄文人の遥か祖先、始原人類は500~700万年前に出現し、180~150万年前にはユーラシア大陸に進出し、40~50万年前には北京原人やジャワ原人として存在しています。その頃、旧人がアフリカを出て、10万年前頃には東アジアまで到達します(図1)。ただし、それら原人や旧人は絶滅しています。縄文人につながる現生人類(新人)は15~10万年前頃にアフリカを出ます。
図1:原人・旧人の拡散
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九州大学ミュージアム「モンゴロイドの形成」 [2]よりお借りしました。人類発祥は最大700万年前に遡る可能性があります。)
図2:現生人類(新人)のスンダランドへの道のり
190825.JPG
(サイトJOURNEY OF MANKIND [3]よりお借りしました。なお、新人の骨は南アフリカから発見されている⇒参照日本人はるかな旅展 [4]
図2によると、現生人類の祖先(新人)は9万年前頃に紅海を渡り(既に船を利用か)、海岸線沿いに移動し、8~7万年前頃には東南アジア(スンダランド [1])から東アジアに到達します。 彼らがモンゴロイド [5]を形成します。モンゴロイドは、北方に移動する人々とスンダランドにとどまる人々に別れ、それぞれの気候・風土に合わせて適応します。北方適応した人々を新モンゴロイド [6]と呼ぶのに対して、南方にとどまった人々を旧モンゴロイド [7]と呼びます。
図3:スンダランド
map-sunda.gif
(図はサイト米と酒と鳥と貝 [8]よりお借りしました)
スンダランド(Sundaland)とは、現在タイの中央を流れるチャオプラヤー川が氷河期に形成した広大な沖積平野で、現在ではタイ湾から南シナ海へかけての大陸棚として海底に没している。72000年~16000年前頃の氷河期には海面が100メートル程度低く陸地で、14000年前~6000年前にわたる海面上昇により海底に没した。
スンダランドのモンゴロイドが、数万年に亘っていくつかの経路から日本列島に到達し、混血してできたのが縄文人といわれています。
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●縄文人の基盤となった新モンゴロイド(北方狩猟民族)
旧モンゴロイドが縄文人の基盤を形成するようすについてはKNブログ [11]によくまとまっているので引用します。

この旧モンゴロイドはインドシナ半島南部から東部にかけてヴュルム氷期に存在した広大な陸地であったスンダランドに多数が居住し、一部はマンモスを追って北上していき、一部は海洋民族となって太平洋に広がり、一部はスンダランドから海を渡りオセアニアに移住してオーストラロイドになりました。
マンモスを追ってスンダランドから北上していった旧モンゴロイドの多くはシナ大陸に分布していきましたが、3万年前にシベリアにまで達した一部の集団の血統は極端な寒冷適応の形質を獲得し、またマンモス狩りを繰り返すことによって狩猟民族としての高度な技術力を有するようになりました。これが新モンゴロイドです。
このシベリアに居住していた新モンゴロイドは狩人であったので、ヴュルム氷期が最盛期を迎えた2万年前に寒さに耐え切れずに南下した動物を追って、ユーラシア大陸全域において先住民を圧して人口を増加させて広がり始めたのです。
ただ、ユーラシア大陸西部にはコーカソイドが多数居住していたために新モンゴロイドの進出は阻まれ、新モンゴロイドは主に人口密度の比較的低かったユーラシア大陸東部において旧モンゴロイドを南に押しやって広がっていったようです。
こうして新モンゴロイドは今から2万年前にシベリアから南下してモンゴル、中央アジア、シナの華北地方、チベット、ヒマラヤ地方などに広がっていき、またベーリング海峡にかかった氷の橋を通ってアラスカへ移動し南北アメリカ大陸に分布していった新モンゴロイドもいました。
このヴュルム氷期の最盛期においては日本列島においても津軽海峡や瀬戸内海などは全て地続きで、更に北海道から樺太を経て沿海州までは氷の橋が架かり、そして対馬海峡も氷の橋が架かっており、しかも日本列島はヴュルム氷期を通して動植物の繁殖が続いたという恵まれた環境であったのでシベリアから南下した動物は必ず歩いてこの2本の氷の陸橋を渡って日本列島へ到達したのであり、新モンゴロイドの狩猟民はそれを追ってこの北方ルートと朝鮮半島ルートの2つのルートで歩いて日本列島に渡ってきたと推測されます。
これ以前に日本列島に現生人類が居住していなかったのかというと、おそらくそんなことはなく、スンダランドを根拠地にしていた旧モンゴロイドの海洋民族がいくらかは生活していたであろうとは思いますが、この2万年前の新モンゴロイドの南下はさすがに歩いて移動出来ただけあって数が多く、これによって日本列島における現生人類の数は一気に増えたと想像できます。
こうして新モンゴロイドの狩猟民族を多数派として、旧モンゴロイドの海洋民族を少数派とするような状態が2万年前の日本列島において出来上がったのだろうと思われます

図4:日本人の形成
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(図はサイト「いま、アジア最古の顔が初めてわかる。 [12]」よりお借りしました。)
まずは北方に移住したモンゴロイドが縄文人の基盤になったということですね。少数派である旧モンゴロイド(海洋民族)の波状的渡来については「黒潮圏の考古学 [13]」に詳しくあります。
●旧モンゴロイドの波状的渡来(2万年前まで)
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第1波:5.0~4.0万年前
約5万年前頃スンダランドの海岸地域に、海洋適応戦略を成功させた新人段階の旧石器人が定着していた。かれらは東南アジア内陸部の熱帯雨林に展開した「礫器文化」に対峙するように、海岸や島嶼部を拠点に「不定形剥片石器文化」を発達させた。
第2波:3.5~3.0万年前
神津島の発見者は、黒潮海流を北上してきた新期(後期)旧石器時代人である。かれらは琉球列島を経由して、種子島や四国・本州島の太平洋岸地域を遊動拡散してきた新人集団と考えられる。種子島の立切、横峯B遺跡(約3万年前)、東京の西之台B、中山谷遺跡(約3万5千年前)で出土した礫器、大型幅広剥片石器、錐状石器、クサビ形石器、磨石、敲石などの「重量石器」を特徴としている。同様な旧石器群は、ベトナム、香港、台湾島などにも分布が認められている。
第3波:2.5~2.0万年前
黒潮海流を北上した旧石器文化の第二波が、奄美諸島の土浜ヤーヤ、天城遺跡(約2万5千~2万年前)で確認された。磨製石斧片、チャート製の台形状石器、スクレイパーに特徴をもち、九州島から列島内部に展開される「ナイフ形石器」が伴出しない。 そしてこの旧石器群は南方型旧石器文化と分布圏を同じくするが、トカラ海峡を越えて北側の列島内部には発見されていない。
長くなりましたので、続きは次回にします。ご期待ください。

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