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2010年01月14日

アイヌは縄文人の末裔か?(8)アイヌは和人以上に日本人である

こんばんわ。ご愛読ありがとうございます。
11月から初めて7回に渡り探求してきたアイヌシリーズもいよいよ最終回となります。
私たち日本人の中にも当然縄文的要素は残っているが、別の形で残された北方狩猟民族―アイヌ人の共認内容を見ていけば、私たちには失われている縄文人の共認内容に迫れるかもしれない。新テーマ「アイヌ人は縄文人の末裔か?」
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最終回はシリーズ冒頭に立てたこの問題意識を元にアイヌ民族やその祖先の縄文人に我々が学ぶべきものは何なのか探っていきたいと思います。
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まずは恒例の近3回の記事をダイジェストにしてお伝えします。
第6回「アイヌ語と日本語の関係」
永田良茂さんの研究よりアイヌ語と日本語が同じ南東祖語に属した類似言語である事を紹介しました。また、アイヌ語が縄文語を基層とした言語である事をあきらかにしました
言語研究者の中にはアイヌ語と日本語が別物であり故にアイヌ民族は日本人と全く別のルーツを持つとする学者もいますが、抱合語という文法を使う北方系の古モンゴロイドに南方系の南東祖語を用いる南方系古モンゴロイドが混血してアイヌ民族の原型ができあがったことが言語学からも証明できます。
第7回「アイヌ民族の婚姻様式」
アイヌの婚姻が古モンゴロイドが定着した大陸の他の地域(高句麗、イヌイット)の婚姻形態に近似しており、そのいずれもが集団の中で女性を高く位置づけています。
アイヌは北方狩猟民族からの文化に多く影響を受けてきましたが、婚姻様式は縄文人の母系制を残存させておりそれ故に集団の体制を長く維持することが可能だったのでしょう。最後まで私有という意識に染まらなかった理由は婚姻制維持に理由があります。
第8回「アイヌ民族の信仰」
アイヌは口承文化故に多くの神話体系を残してきました。神話はいつの時代も集団を統合し、共認形成する為の観念として機能しており、アイヌの神話体系を見ていくことで、彼らの礎としている共認内容が透けて見えてきます。
それは自然の摂理という秩序体系の追求と集団統合の為の様々な規範体系です。彼らは神話によってそれらの基礎共認を何世代も数百年間も継続させてきたのです。そしてアイヌ民族の信仰の根幹にあったものは「再生」という概念であり、祖先から連なる神話体系を守り続け、集団の秩序を守る事でした。文字に頼らず口承という伝承手法にこだわったのも、それらの意図=集団規範をより深く伝えていく為だったのです。
今日の記事の最初にこのシリーズを始めるきっかけとなった書籍「アイヌ人は原日本人か」の中から一つ紹介したいと思います。
「アイヌ人は和人以上に日本人である。」という小節です。
少し長いですが、今回のシリーズで一番伝えたかった内容が衝撃的な形で最後に発せられます。
梅原猛氏と埴原和郎氏の対談からの紹介です。
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(梅原) 8)  縄文の文明というのは西日本中心の文明とは異なっている。弥生以降はだんだん西日本中心になって、2千年のスパンで見れば日本の文明は西日本中心の文明になる。ところがあきらかにそれ以前は縄文土器、人骨の出土具合をみてもやはり東日本中心のひとつの巨大な文明があった。それはもちろん以後の文明のような文字文明はもたないし巨大な建築れもたないけれど、にもかかわらずそうとうに高度な文明ではなかったかと思う。
ことに土器は比較的残るけど木器は残らない。しかし縄文文化の基本は木器文明ではなかったかと思うのです。あれだけの精巧な土器が出てくるのなら、精巧な木器が作られていたとしても不思議ではない。そしてそこに相当なレベルの高い文化があったに違いない。その文化がアイヌ文化の中に残っているのではないか。その文化はかなり精神的に高い文化だと私は考えている。(中略)
アイヌ語は自己反省の多い言語だ。アイヌの精神文化は自己反省の強い文化だということができる。それは礼儀とも繋がっている。そういう言葉自体の中に非常に繊細な感受性や自己意識が含まれている。
江戸時代の村上島之丞がアイヌの生活を本に書いている。彼はアイヌ社会の特徴を礼とみている。アイヌ文化とは礼儀の正しい文化であるということは言語構造からもはっきりといえることで、その文明というのはかなり精神の高い文明ではないかと思われる。
じつはそういう文化がアイヌのなかには縄文時代からあまり変わらずに生きているのではないか。(中略)
弥生時代に外来民族が来て混血をしながら勢力を拡大していったが、その混血の場合どうも土着の血である母方が多く、母方の文化が継承されやすい。そう考えるとアイヌ文化のもっている~おそらく縄文から伝えられたであろう~精神性の高い文化は和人の中にも何らかの形で受け継がれているだろう。したがってアイヌのなかに残された精神文化の意味合いをよく見つめて、それが和人の文明の中にどのような形ではいっているか、それをきちんと認識すべきではないかというのが私の基本的な考えかたなのです。
(埴原) :P  人種的にいいますと、やはりいまのアイヌは和人よりより濃く縄文時代人の身体的伝統を引いてる人達である事はほぼ確実です。
学問というのは面白いもので、一つ視点を入れて考えると、いままでわからなかったものが次々とわかってくるということがありますね。ここでひとつ、アイヌというものを入れた日本人論―もちろん琉球も入りますがーの基礎が固まっていくと、理科系、文科系の研究者達の共同研究が可能になり、日本および日本人についての学問が、かなり急速に前進するのではないかという気がします。
発想の逆転とか転換とこの頃よくいわれますけど、あえてそういう言い方をすれば、いままで日本人というと、どうしても和人が中心になり、和人こそ日本人であるというような発想がごくふつうであった。しかし、少しラジカルにいえばアイヌとか琉球人のほうが、和人より日本人であるという発想も成り立ちうると思います。(以上抜粋)

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アイヌ民族は北海道という日本の中でもある種非常に特殊な環境下で存続してきました。
北海道は本州から切り離された列島の北の玄関口です。さまざまな北方の部族が渡来し、それを受け入れる文化が縄文時代に既に形成されていた事は明らかです。
また列島が現在より2度温暖化した縄文中期には現在の関東地方と同等の温暖化した地域となっており、道南地域は東北地方と併せて非常に豊かな地域を形成しました。
また本州とは津軽海峡という難所を経て対面しており、弥生時代以降は本州和人の影響を受けない独自の文化を醸成するのに適していました。
そんな中でやはり、アイヌ文化とは大きくは縄文時代に形成された認識を基盤としながら他文化を吸収し存続してきた文化と言えるのではないかと思います。
これまでの探求から、私たちはアイヌ人の歴史に何を学ぶべきでしょうか?次の投稿に続きます。 :roll:

投稿者 tano : 2010年01月14日 List  

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コメント

 こんにちは♪
 鎌倉幕府を開設した頼朝は、流罪の身であったため、下を良く見ていたと思います。武士の領地の線引きを決める裁量権を持つ幕府という在り方を、考えだしたわけですから。
 清盛が貴族化したのは、新しい発想を持ち合わせていなかったという点では仕方ないかもしれませんが、秀吉が関白の座を選び、征夷大将軍の地位を求めなかったのは何故なんだろう…とても不思議です。幕府の設立とともに、国家鎮護だった仏教に新しい要素(浄土宗)が出現し、一般庶民に広がったことにも注目したいと思います。

投稿者 milktea : 2010年3月31日 07:39

武士の登場は日本史を扱う上でも重要な事項です。
非常にうまくまとめていただき、よくわかりました。
流れをおさらいします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中央集権体制の綻び

農地管理は荘園制度で代行

農地拡大→地方の力の増大

縄張り間の水利争いの顕在化
又は生産量の格差による略奪

秩序崩壊

自衛の必要性

武士の登場
武士は中央集権体制の崩壊を引き金に登場したのですね。
一方、商人はこのような混乱期には密かに成長していきます。
(十字軍遠征でベネチア商人が成長したように・・・)
くわしくは次の投稿で扱っていきます。

投稿者 tano : 2010年3月31日 13:00

milkteaさん、コメントありがとうございます。
返事が遅くなって申し訳ありません
>鎌倉幕府を開設した頼朝は、流罪の身であったため、下を良く見ていたと思います。武士の領地の線引きを決める裁量権を持つ幕府という在り方を、考えだしたわけですから。<
確かに流罪の身であったことの影響は大きく、下からの圧力・期待を結集できる立場であり、その力量も備えていた結果ではないでしょうか。
>幕府の設立とともに、国家鎮護だった仏教に新しい要素(浄土宗)が出現し、一般庶民に広がったことにも注目したいと思います。<
この当りは、既存体制及び市場に変わる新たな市場拡大という事があるような気がします。どこかで扱いたい内容ですね。
今後もよろしくお願いします。
*********************
tanoさん、コメントありがとうございます。
>武士は中央集権体制の崩壊を引き金に登場したのですね。
一方、商人はこのような混乱期には密かに成長していきます。<
商人・市場の発達とは体制の転換期・動乱期に乗じて、両体制を天秤に掛けて幻想価値を吊上げ成長していくものであるように思います。
今後もよろしくお願いします

投稿者 yoriya : 2010年4月3日 01:59

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