2010年1月22日

2010年01月22日

「贈与」に何を学ぶべきか!~1、交換取引と市場は根本的に異る原理

こんにちわちわわです。
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アメリカに端を発した経済危機で、市場が国家を食い物にして自己破壊のサイクルを作り出す様を露呈しました。
市場における交換取引は「だまし」であると薄々感じていた人達も、この経済危機の有様を見て確信したに違いありません。そもそも交換取引の起源を突きとめてみると超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場であるにあるように、

交換取引は、武力闘争(およびその帰結たる身分制度による私権拡大の封鎖)からの抜け道として登場した。それどころか、最初に交換関係が登場した動機は、額に汗して働くよりも、(相手にこの品物が大きな可能性を与えてくれると信じ込ませることさえ出来れば)交換によって得る益の方が、ずっと大きいからである。
実際、古代市場も、女の性的商品価値を一層高めてくれそうな宝石や絹や毛皮を主要な交易品として、拡大していった。(なお、近世→近代も、呉服や毛織物やレースが起点になる。)それに対して日常の主食品(米や麦やイモなど)に対しては、その様な幻想的な可能性など描き様がない。
この幻想共認(幻想への可能性収束)によって作り出された、市場商品の価格と一般農産物の価格との価格格差こそ、市場拡大のテコとも原動力ともなった市場の秘密の仕組みである。(異国の食品や、無農薬の食品は、幻想共認の形成が可能であり、だからこそ一定の市場化も可能なのである。)
そこでは当然、農耕の労働価格は、幻想商品の労働価格にくらべて、異常に低くなる。この価格格差(価格差別ともいえる)の秘密こそ、途上国が一貫して貧困状態に置かれ続けてきた真の理由であることは、いうまでもない。

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投稿者 tiwawa : 2010年01月22日