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2009年11月20日

縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-7~親子について~

「縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?」のシリーズもいよいよ最後です 😀
突然ですが、親兄弟など血のつながった関係って絆も深いし、無条件で信頼できる って思っていませんか
私は少なからずそう思っていました 🙄
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でも、その血縁信仰( )それは近代に入ってから植えつけられたものだったようなのです
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るいネット「オヤとコ。」から引用します。

日本の農村の半分以上は親類のことをオヤコと呼んでいた。オヤコやイトコのコは家の子のコである。家の子は労働単位であり、これを指揮するのがオヤであった。そのオヤは共同体の作業の頭であった。本物の親よりも長男のことをオヤカタと呼ぶ方言が広く知られているが、それは総領が労働の頭としての機能をもつ名残りであった。親類をオヤコと呼ぶのは、労働のための共同体が今日よりはるかに強大であったことを示している。現在のように家族の父母に限ってオヤと呼ぶことは、かなり新しい現象である。

また、中村吉次氏が『日本の村落共同体』で以下のことを述べているそうです。
真の共同体は「一人が欠けても、一人が多すぎてもならぬ。不分割な一体なのである。そして、それは、生産手段もまた不分割であること、分割してもしょうがなく、分割する要もなく、分割できぬものである」生物的な血縁か非血縁かにこだわらず、共同体を形成する集団は、社会的にまた観念的に血縁の同族組織である。そうした組織の中心がオヤであり、それにしたがうものがコであった。

私婚を中心とする親と子、特に近代以降の一対婚家庭での親と子は、その紐帯を血縁関係、せいぜい解脱にしか拠り所を求めるしかなくなっています。人として、実は非常に淋しい関係といえます。
外圧を前にして、生産を第一課題として統合されていた共同体内では、成員それぞれに役割・課題も与えられ、オヤとコの関係は解脱・闘争など多重の紐帯で結びついていて、濃密であったと思われます。オヤに対するコの信頼感も今の親と子の関係よりもはるかに高かったに違いありません。また、数十人といった規模の共同体では、成員どうしお互いの関係も多重であり、現在の親子関係よりもはるかに人としての充足感(共認回路の充足)も大きかったに違いありません。

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今で言うオヤコってずばり「父親と母親とその子供」を指すけど、そういった括り方はとっても歴史の浅いものだったんですね 🙄
本来、人間にとって仕事(闘争)と親和(解脱)はなくてはならないもの
昔の農村(共同体)ではそれが一体であり、そこには、親子関係=血縁を超えた繋がりがあった様子が読み取れます 😀
ところが現在は仕事(会社)と親和(家庭)が分離されて、仕事(会社)の場では信頼関係(親和)が築けない。⇒親子ぐらいしか信頼できる人間関係がなくなってしまったので、親子関係は絶対 みたいになってしまいました
でも、上の記事を読むと、親子関係って絶対なものではなく、共同体の集団に頃に比べると薄~いものだったんだ ってことがわかります
仕事と生殖・解脱が一体
そんな集団の方が結束が強くってとっても充足できそう
今で言うオヤコより、ず~っと深くて ず~っと充足する 繋がりが、昔のオヤコにはあったんですね

投稿者 pingu : 2009年11月20日 List  

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コメント

弓矢の発明により洞窟から出て行動域を拡大した人類にとって、他集団との接触→緊張関係は必然です。初めて他集団の存在を知った人類は、同類(闘争)圧力を緩和するため“贈与”という方法をとりました。
これは優れたシステムです。
なぜなら、縄文時代後期の人口減少(餓死→集団消滅)という危機的状況においても同類闘争(≒戦争)を顕在化させず、かつ絶滅に至らなかったこと、また、贈与を基盤として“騙し”に拠らない物流のネットワークを形成し得たことです。
物流ネットワークについては次の投稿からも垣間見られます。
海洋民族としての縄文史観(1)~古代交易ネットワークの形成
海洋民族としての縄文史観(2)~弥生時代の担い手も海洋民
海洋民族としての縄文史観(3)~東西の2つの海洋経路
そのような集団関係が、なぜ、どのように実現できたのか。
その解明は、市場社会での取引関係(騙し)を超えた新しい集団関係のヒントを与えてくれると思います。

投稿者 くまな : 2010年1月26日 14:55

私権社会に慣れきってしまった私は、”贈与”という適応方法がいまいちわからずにいました(^^;)
でもこの記事を読んで、良好な人間関係を築くために”贈与”って案外日常的にしてることなのかもって思いました。
市場(交換取引)に変わる新しい集団のあり方、縄文人から何を学べるのか楽しみです♪

投稿者 ぴんぐー : 2010年1月26日 23:44

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