「奥深き縄文ワールド」第3弾 |
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2007年12月21日
縄文:なんで子を大切にしたか?
縄文人は子供が亡くなった時 😥 大人とは別に、住居の近くなどに埋甕したそうです
逆位底部穿孔埋甕(うめかん)
住居の入口に逆さに埋められていた埋甕。不思議な文様がほどこされ、底には植木鉢のような穴が開けられている。内部から人骨は発見されなかったが、ミニチュア土器や土製円盤が発見されたものもあることから、赤ん坊の遺体を入れたという仮説が有力である。⇒出典
子を大事にした縄文人の想いが伝わってくる…子供への虐待や子育て放棄が横行する現代社会にとって、学ぶべき認識だと感じました。ぜひ読んでみてください 😮
byさーね
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レアメモリー諏訪の縄文時代より、尖石遺跡の埋甕遺構の事例を紹介します 😉
>埋甕遺構のその後の研究成果 埋甕遺構の発見例で、住居跡の外側で検出されたものは、口径が24cm、深さ26cmの土器と、口径36cm、深さ42cmの土器ですが、土器の中に砂が埋まっていただけで、何も見つからなかったのですが、ところが、土器の埋まり方が変わっていて、小さな方の土器は口縁部が下になっています。また住居跡の炉の近くの床下に埋められていた土器は、口径35cm、深さ40cmの物で、これも口縁部を下にして埋め込まれていました。さて、この埋甕遺構がいったい何に使われていたのか、大変興味深い問題でした。もし、木の実などを貯蔵するために使われていたとしたら、口が下になっているはずがありません。 縄文時代の他の遺跡の中でも、住居跡内や住居跡の玄関近くで、乳幼児を埋葬したと考えられる甕棺が多数発見されていますが、この甕棺も幼児甕棺ではないかと思われます。
>日常生活が営まれている住居内に、乳幼児を埋葬することは奇異に感じられますが、このような例は外国でも多く見られます。埋葬された乳幼児は死産児か、まだ名前も付けられなかった赤子だったのでしょう。縄文の人たちは、人の出入りの激しい所に乳幼児を埋葬することによって、子供の魂が再び母親の胎内に宿り、その再生を願ったと思われます。なによりも子を思う親の気持ちが、その遺体遠ざけることを拒んだのでしょう。
>三内丸山遺跡では、竪穴住居に近い北の谷の周辺に、880基を超える埋甕が出土しました。大人の墓の6倍近くの数になります。死産児は江戸時代ですら、出産の15%にのぼり、無事出産に成功しても、5歳になるまでに、およそ4分の1が死亡しているといわれています。縄文時代であれば、大人の3倍は多く死亡していたことでしょう。ただその遺体は、大人の墓地には埋葬されませんし、また保存されにくいので、その死の実態は依然、解明されていません。
>日本の各地の民俗例では、子供が誕生すると、後産の胞衣(えな)を土間の上がり框(かまち)や戸口の敷居の下に埋め、人に踏んでもらうと幼児が健康に育ち、産後の肥立ちもよいとされています。縄文時代の住居内の埋甕遺構は、その起源と推測されます。
この、遺跡例を見る限り、縄文人にとって子孫を残すことがいかに大変だったかが伝わってきます。厳しい自然外圧に晒されていた彼らにとって、集団の存続=種の存続が第一。出産や医療の技術もほとんど無に近い状態で、子孫を残すこと自体、大変であったと思います。だからこそ、子を想う気持ちも一段と強かったのでしょう
面白いものです。子を思う気持ちとは、実は集団第一=種の存続の意識があるから。常に集団第一=種の存続という縄文人の意識=自然の摂理を、現代人は改めて学ぶべきと感じました
投稿者 sawatan : 2007年12月21日 TweetList
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コメント
投稿者 とれまが人気ブログランキング運営管理局 : 2008年1月9日 12:23
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