2007年12月29日
2007年12月29日
やはり勾玉は胎児!
mrranです。
まずはこれ↓読んでください。
>厳しい自然外圧に晒されていた彼らにとって、集団の存続=種の存続が第一。出産や医療の技術もほとんど無に近い状態で、子孫を残すこと自体、大変であったと思います。だからこそ、子を想う気持ちも一段と強かったのでしょうなんで子を大切にしたか?
>生まれた子どもが元気に健全に育ってほしいという願い、産んだ女性が健全であってほしいという願い、そして子どもが生まれたことを皆で祝い、女性をねぎらう状況がうかがえます。
>未だ飢えと隣り合わせの縄文人にとって、集団規模を維持することすら大変なことだったはずで、子どもが生まれなかったり、育たなかったりすることは集団にとっての死活問題です。だから集団の維持は最上位の課題だったはずです。 縄文人、再生への祈り
縄文人の子を思う気持ちがひしひしと伝わってきますね。 😥
そこで勾玉。勾玉は腎臓、三日月信仰からくる三日月説、説胎児をかたどった胎児説等様々な解釈が存在しますが、私は縄文人の子を思う気持ちの強さから胎児説が有力であると考えています。
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投稿者 mrran : 2007年12月29日 Tweet