シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?~統合様式と宗教の関係~」~第1回プロローグ~ |
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2012年11月01日
日本の源流を東北に見る(6)~東北弁が残り続ける限り、縄文体質は残り続ける~
シリーズ『日本の源流を東北に見る』第6回目は東北方言をテーマに東北の地に流れる日本の源流を探ってみたいと思います。
東北弁と言えば、「ズーズー弁」ですよね。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で、堀北真希演じる「ろくちゃん」(青森県出身の設定)の東北弁を聞いて、何ともいえない懐かしさや、温かさを感じた人も多いと思います。でも、なぜ、東北出身でもない人が、東北弁を聞いてこのような感覚を覚えるのでしょうか。
それは、おそらく他の方言にはない、東北弁が持つ独特のイントネーション、そして鼻にかかった濁音の発音が、私たちを遥か遠い昔のふるさとへといざなうからではないでしょうか。
私たちがそのように考える理由は、東北方言のルーツの中にありました。
◆古語は辺境の地に残る
デンデンムシムシ、カタツムリお前の頭はどこにある
という童話に出てくる「カタツムリ」。柳田国男氏は、『蝸牛考』(1930)でカタツムリの異名について次のように分析しています。
カタツムリ方言形の分布を調べていくと、「デデムシ」は近畿や中心に中国地方へと延び、その外側の関東や北九州では「マイマイ」と呼ばれている。東北の秋田および四国西部では「カタツムリ」、九州熊本辺では「ツムリ」の形が残っている。また、東北の青森と九州中部では「ナメクジ」と称している。これを図式化すると、次のように近畿を中心に同心円を描いて日本の東北部と南西部へと分布していることが分かる。
柳田氏は、末端の地域により古い形が残存する傾向があるという「方言周圏論」を提唱しており、このカタツムリの呼称についても、中央部の近畿からカタツムリ→マイマイ→デデムシという順に新しい呼称を次々に送り出した結果であると分析しています。また、同じく中本正智氏(1985)も「文化と言語の動きをみると、強文化圏では言語が新しく生まれ、周辺の弱文化域では古層を残しやすい。東北と琉球のように地理的に遠く離れても、古層同士で類似した語形を認めることが多い」と述べており、辺境の地に古い言語が残りやすいと分析しています。
この説に一致する語として「顔」があります。「顔」は「カオ」と「ツラ」の二様の言い方があり、『日本言語地図』(国立国語研究所、1968)によれば「カオ」は日本の中央部、すなわち近畿、中国、四国で用いられていますが、東北地方と九州南部は同じく「ツラ」であり、沖縄本島では「チラ」と呼ばれています。「方言周圏論」に照らし合わせれば、「ツラ」もしくは「チラ」の方が「カオ」よりも古い語形を考えることが出来ます。
◆東北の方言は縄文語の名残
「カオ」と似た分布をしめすものに「とんぼ」があります。「とんぼ」の方言形は多種多様ですが、これらをまとめていくと、やはり「方言周圏論」にすっぽり納まるばかりでなく、縄文語の実態にせまる有力な手がかりを与えてくれると、言語学者の小泉保氏は著書「縄文後の発見」で述べています。
トンボの古語は「蜻蛉(あきづ)」であり、方言分布が
(東北地方) (本州中央部) (九州宮崎) (沖縄本島)
アケズ トンボ アケズ アケージュー
となっていることから、「トンボ」が新しい名称で「アケズ」が古形であることは明白です。
そして、小泉氏はアケズの変異形を地域別にまとめ、発音を頼りに時代を遡り、方言に分派する直前の言語(=縄文語)として「*アゲンヅ」を導き出します。(著書では、「アゲンヅ」の「ゲ」の左に半濁点、「ン」は小文字、が使われてます。)
さらに、そのアケズの原形である「アゲンヅ」に含まれる半有声の「ゲ」や前鼻音子音「ンヅ」は、東北方言でいまも聞かれる半有声の「ゲ」や入りわたり鼻音「ンド」に近似していることから、東北方言は原日本語の、すくなくとも縄文後期の音形をよく保持していると分析しています。
また、東北出身で、遠野物語研究所を設立した阿部順吉氏は日本語に比べ異質の美しさを帯びる「東北なまり」こそ、かつてこの列島全域に花開かせた古代以前からの(日高見国の)ヒタカミ系言語である「縄文語」であると、著書「縄文語の謎」で展開しています。
◆東北の言葉が残した本源性
東北弁はその特徴から、長い間、野蛮で粗放な訛り言葉として嘲られてきました。メディアなどではしばしば笑いの対象にされ、東北人自らも蔑んできた歴史があります。しかし、阿部氏は、それは大きな間違いであるとし、「遠野の言葉は生活に密着した日本の永遠のふるさと言葉」だと述べています。
現在の標準語は、濁音がないだけに澄んではいても冷たく響きます。それは、弥生人が日本に来て以降、異なる人種がコミュニケーションをとるために作られた人工言語が、徐々にカタチを変え、現在の標準語になっていったからだと考えられます。
しかし、渡来人にとって聞き分けにくい言語であった縄文語<こそ、何千年もの月日を重ねてこの日本に根付いた言語であり、縄文人の思考に合った言語であると言えます。そして、その末裔である東北弁は、やはり日本人にとって“ふるさとの言葉”なのです。
だからこそ、東北弁を聞くと、日本人の意識の深層に眠る、縄文時代の本源充足の回路が作動し、東北出身でなくても、懐かしさや、温かさを感じるのではないでしょうか。
東北人が最も縄文体質を色濃く残すことが出来たのは、縄文語を何千年にも渡って受け継いできたからだと思います。
(カッピカピ)
投稿者 hi-ro : 2012年11月01日 TweetList
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コメント
投稿者 風雅こまち : 2013年11月24日 20:06
なんであれ極めるということが得意な日本人。
それは、縄文人のDNAが働きかけているのかも
投稿者 tano : 2013年11月27日 01:50
No.1でなきゃダメなのは、極めるという自分との戦いですね。