弥生時代再考~プロローグ |
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2012年10月30日
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?~統合様式と宗教の関係~」~第1回プロローグ~
このブログでは、かつて「インドを探求する」シリーズで、インドの歴史と仏教などを追求していますが、今回、新たな視点を加え、再構築してみようと思っています。その新たな視点とは、統合様式(支配様式)と最先端の観念との関係構造(統合様式は宗教を含む最先端の観念を規定する)です。
前回、当チームで追求した「シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」では、日本の仏教に触れ、共同体や本源性(受入体質など)を色濃く残してきた地域における仏教の成立と発展の仕方に独特のものがあることが分かりました。
それは、その最終回、【「何か」を信じるのではなく「全て」を受け容れてきた日本人~】のタイトルのように、とことん受け入れ、改良して共同体に溶け込んで発展してきた日本の仏教像でした。
仏教の発祥の地、インドでは、日本同様、本源性を残しているといわれます。「インドを探求するシリーズ」でも分析されていますが、その教えは、遠く離れた日本や東アジア地域の人々の心には、深く、広く行き渡っているのに、発祥の地インドでは、消滅してゆく歴史をたどっています。現在のインドの仏教徒は、人口の1%も満たない状況のようですが、私たちの身近な宗教である仏教の原点の地では、日本とは相当異なる状況があり、改めて考えてみようと思います。
その成り立ちと歴史は、よくまとまっている「インドと探求する」等を通して、他国の仏教の成立と発展を見てゆく中で、支配階級と観念との関係構造を明らかにして行き、「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?」を追求していきたいと思います。
一般的に教科書的には、13世紀イスラム教の侵略で、インド仏教は、滅ぼされたと言われます。また、その前史のアショカ王時代は、国教ともなり、インドでは広範囲に定着していたとされます。しかし、少なくともインドの仏教信者は、現在では、ほとんど存在しないという傾向にあるようです。
仏教は、大衆のために作り出されたものとも考えられがちでありますが、実は、その教えは民衆に向かっていないようにも思えます。
民衆を巻き込んだ、主だった戦争も少なかったインド地域では、日本と同じく、本源性を残し、共同体を存続してきた長い歴史があったようです。
そのようなインドの人々は、アーリア人が持ち込んだバラモン教とその発展系であるヒンドゥー教、その身分制度であるカースト制度に、生活全般を委ねているように見えます。
また、この地域は、ほぼ、ヒンドゥー教の世界であり、2000年も継続するカースト制度=身分序列が事実として存在します。一体、それらは、どういったもので、この収束力の違いはいったいなんでなのでしょうか?
私たちは、カースト制度=身分制度、仏教=民のための宗教、アーリア人=牧畜の好戦的人種と捉えていますが、そこには、多分に私権社会の否定形、及び、先入観、思い込みが混入しており、実態は相当異なるのではないか?という疑問を抱きました。
仏教は、民衆を支配するために必要だった観念なのかもしれません。カースト制度は、力の序列に基づいた身分制度でもありますが、一方で、社会秩序(共同体)を維持するための制度であり、同類闘争(=戦争など)を止揚するための制度だったのではないでしょうか?さらに、アーリア人を十派一絡げで認識していますが、彼らは、渡来人としてインドの土着民をどういう形で融合し、支配・統合しようとしたでしょうか?戦争をせずに、観念支配するところは、実は、朝鮮半島からの渡来人と日本列島の縄文人との関係に近い構造を見出せるようにも思います。さてこうした背景をもって今回のテーマを決めました。
■このシリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?~統合様式と宗教の関係~」の各回のタイトルは下記となります。
●第1回 プロローグ~
・問題意識とテーマです。一般的に仏教が発祥の地 インドでは根付いていないと言われます。ここには、多分に現代社会のパラダイムによる見方が混入し、私たちが考える以上に仏教という認識がことなるものではないだろうか?という疑問を提起しました。
●第2回 仏教とインドの歴史(概要)
・既に記事になっている「インドを探求する」シリーズと「宗教ってなに?番外編~インドに仏教が根付かなかったのはなぜ?」をダイジェストでご紹介しながら、その概要を把握していきます。
●第3回 各国の仏教の成立と発展:インド編
・インドでは、仏教は民衆のためのものであったのか?そうでないとすれば、それはいったい、どういったものなのか?その成立と発展を見ていきます。
●第4回 各国の仏教の成立と発展:タイ編
・仏教国で有名なタイですが、南方上座部仏教が現在は主流であります。王室を含め、多くの民衆が、南伝仏教=小乗仏教を信仰していますが、精霊信仰とヒンドゥー教も混じっているようです。もともと、タイ族はピー信仰という精霊信仰を持つ人々の国でしたが、仏教が席巻したのはなんでなのでしょうか?
●第5回 各国の仏教の成立と発展:チベット編
・大乗仏教系密教=北伝の仏教の原点と言われるチベット仏教。中国との対立は記憶に新しいところですが、チベット仏教は、仏教の原点の解明に近い位置にあり、その成立過程をみて行きたいと思います。
●第6回 各国の仏教の成立と発展:中国編
・中国地域への仏教の伝来は、1世紀頃であるが、北伝の大乗仏教が伝わっているようです。政府統制下にある中国仏教協会を中心とした活動を政府が公認し、活動はしているものの、その実態はかなり複雑なようです。
●第7回 各国の仏教の成立と発展:朝鮮半島編
・高句麗、百済、新羅における仏教とは?を参考に展開します。新羅は、仏教を新しい政治とともに導入しています。百済・新羅・高句麗とも国家統合と仏教導入に関係しているようです。
●第8回 各国の仏教の成立と発展:日本編
・葬式仏教に代表される日本の仏教は百済からわたったとも、聖徳太子が伝えたとも言われますが、物部氏と蘇我氏の廃仏派と崇仏派の派閥闘争のなかで中央集権のために使われたとも言われています。「シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」を通じて、支配者との関係を見ていきます。
●第9回 なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?~統合様式と宗教の関係~
・インドの本源性と支配者の論理・仏教の関係構造のまとめです。
インドの社会状況から、統合様式と最先端の観念である生産様式や身分制度、宗教や文化はどのような関係になっていたのか?集団や国家を統合するために最先端の観念が生みだされるとしたら、インドにおける仏教の位置づけはどういったものだったのか?を通じて、統合様式(支配様式)が最先端の観念(生産様式や宗教)を規定するという構造を解明していきます。これは、唯物史観(生産様式が全てを規定する)という観念が正統であるか?どうか?を再考するものです。
※インド・中国・日本の仏教は、「仏教の歴史について ~インド・中国・日本~」も参考になります。
追求を深める中で、新しい視点や事実の発見があった場合は、それを組み込んで追求テーマを改良してゆくことも必要になりそうです。さて、どうなっていくでしょうか?乞うご期待!
投稿者 2310 : 2012年10月30日 TweetList
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