2012年10月17日
2012年10月17日
弥生時代再考~プロローグ
みなさん、こんばんわ。 😀
311の震災から1年半が経過しました。福島では現在も放射能が漏れ続け、あるいは放射能を浴びた土や建材の処分地も決まらないまま除染が進まず、震災復興は阪神大震災の時に比べ、遅々として進みません。さらに政治はこの状況下でますます混迷を深めており、対中や対米など緊急の課題を目前に判断保留が続いております。
マスコミや金貸しなど諸所の作為や思惑が背後にあるとは言うものの、日本中が思考停止に陥り続けている現在、改めてこの国の成り立ちと国民の本質である受け入れ=縄文体質について検証しておく必要を感じています。
今回はその第一弾として日本が大きく転換する事になった弥生時代について再度検証しておきたいと考えています。弥生時代再考はその為のテーマとして設定しました。
これまで当ブログでは弥生時代は渡来人と縄文人の平和裏の融合の時代であり本格的な支配、被支配、固定階層化による序列社会の登場(=私権社会)は騎馬民族が登場する古墳時代を経てというように考えておりましたが、そこが本当だろうか?というところが疑問の原点です。
私権原理がどのように登場したのか?まずは世界の文明史を貫通する歴史構造から押えていきたいと思います。
遊牧と農耕(遊牧の画像はこちらよりお借りしました)
投稿者 tano : 2012年10月17日 Tweet