王朝文化が生まれた土壌とその産物 |
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2010年01月04日
縄文以来、女の充足パワーに導かれ男の闘争力が復活する!
2010年あけましておめでとうございます。
昨年暮れ、ふとポスターを見てたら目に留まった東京国立博物館での土偶展。
ポスターを眺めていると、なんと絶対見てみたいな~と思っていた憧れの縄文のビーナスもあるではないか。・・・・・というわけで、年末に見てきました。
今日はこの“縄文のビーナス”を中心にレポートします。
本物の縄文ビーナスは、写真でみていた印象より、もっとふくよかでなんともいえない優しい感じでした。表情はあどけないかわいらしい感じ。
そして頭の帽子みたいなものがすごく不思議。そこにぜんまいのような渦巻き模様がある。これはなんだろう?やっぱり帽子なのかなあ。
それにしてもどの角度から見ても、飽きない。・・・と思いながらしばし、何度も眺めてしまいました。
●縄文盛期の安定した充足感
いちばん気になったのが、表情。釣り目で、どこかポカンとしている表情。そういえば、この表情、長野県の縄文中期の土器に良く出てくるなあ。と思い、周囲を眺めると他にもあった。“人面深鉢”と言われる土器の中央と上部にもついているではないか。・・・・気になるこの表情は何だろう。
人面深鉢の中央の顔は、明らかに赤ちゃんが胎内から出てくるのを表している。とするとこの表情は子供の顔なのだろう。
うちの子もこれにちかい顔をするときがある。テレビを見て我を忘れているときだ。パカッ・・と口をあけて、凍ったように見入っているときがある。あれと同じ表情だ。
・ ・・・とするとこれは、子供が我をわすれて何かを見入っている表情じゃないかと思った。
・・・・何かに同化している姿ではないだろうか?それを子供の表情を使って表している。同化対象としては精霊しかありえない。
万物を生み出す不思議な自然・精霊、圧倒的に超越的な存在。しかし豊かな恵みも与えてくれる。そんな存在を、不思議な生殖力や充足力を持つ女性に仮託して表現した。そしてその胎内から生まれ出る子供を精霊との媒体、または化身として見たのではないだろうか?
でも・・・・あれこれ理屈を考える前に、この縄文のビーナス見ているだけで、何かホッとして充足できる、それが最大のパワーだと思った。男にとって女性や子供と同じ力を持っている。・・・・
(縄文の“ビーナス”と言われているけど、これはビーナス、いわゆる地母神とは全然違うと思う。ビーナスはこんな不思議な表情はしていない。)
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●縄文後期の閉塞感、私権文明の興隆
縄文の土偶は、縄文中期頃から始まり縄文晩期まで続いた。この縄文のビーナスの時代は、縄文中期(約5000年前)で縄文時代が一番力強い時代だった。その後の後期、晩期もいろんな土偶がある。しかしどこか閉塞した異様な感じに陥っていくように見える。
恐らく4500年前頃の長江文明の崩壊によって、連携・交流していた採集文明の中心部が崩壊し、私権文明に取り込まれ、採集文明の一方の極である縄文は孤立化し、寒冷化も相まって縮小していったからだろう。
そして弥生・古墳時代以降、ついに大陸からの戦争圧力と私権文明に取り込まれるようにして、日本も私権時代に突入していった。
●私権文明の閉塞と新たな潮流
しかし現在5000年の時を経て、古代から始まった私権文明は全面的な行き詰まりを迎えた。とりわけ40年前の貧困の消滅によって、私権欠乏は超衰弱。生存圧力の低下の結果、女発の充足志向が上昇して、社会の安定を重視する女原理主導の社会が復活した。これは、弓矢の発明によって外圧が低下した採取生産時代=縄文時代初期と同じ構造です。
貧困は消滅したとは言え、一方で特権階級の暴走、金融破綻etc目の前は、明日何が起こるか分からない危機だらけ。危機を突破し新しい秩序を形成していく期待は男の実現力・闘争力に委ねることになります。
女たちの期待に応え、新たな認識・新理論を武器に新たな秩序・安定基盤を実現する。新時代を築くその正念場が今まさに現在であり、これから数年の間なのではないだろうか? これは縄文時代にできなかったことのリベンジでもある。
新年の抱負も含めてつらつら綴ってしまいました。本年もよろしくお願いします。
(by Hiroshi)
新潮流は るいネット以下記事 参照
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
09夏なんで屋劇場ノート6「充足→安定・保守収束に応える実現力が問われている」
投稿者 ihiro : 2010年01月04日 TweetList
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コメント
投稿者 milktea : 2010年3月23日 11:03
こんにちは♪
例えば、一つの企業でいえば、好調なときに、体力を温存しつつ(危機に備える)、社員に還元していくという事ですよね。
それは国家でも同じことが言えますね♪
だからこそ、焦点になる金融業界のモラルが問われるのだと思います。
どちらにしても、「共に生きる」という概念無しに人は存続できないですね。
シリーズ、お疲れ様でした。とても参考になりました。