| メイン |

2018年01月01日

2018年 働き方を通じて日本人が再生される

当ブログでは過去年末年始特集としてその年のるいネットの佳作、秀作を紹介しその中から来年に繋がるようなテーマを探してきました。昨年は機は熟した“動き出せ日本人”と題して2017年の変化を期待しました。2017年はどんな年だったか、はたして日本人は動き出したのだろうか?
そして2018年はどう変化していくのか?年始に際して少し考えてみたいと思います。

2018年は混迷からの脱出ではないかと思います
世界情勢も日本経済も政治も2017年決してよい方向には向っていない。混迷の一途です。昨年は「働き方改革」という言葉が流布しました。しかしスローガンだけで実態の処は決して改革ではなく時間短縮で人々を締め付け、窮屈にするだけでした。働き方改革というのなら働く意味や活力を持って仕事をするには、を追求しなければならないはず。その足元が全く議論されず制度だけを決めていく。その政府の方法論には毎度の事ですがうんざりさせられます。

 にほんブログ村 歴史ブログへ

しかし働き方を変えよう、見つめなおそうという議論の発端にはなりました
2018年、政府や会社にまかせず、改めて働くとは何かを考えてみてはどうでしょうか?「自らの生きる場を自ら考えて、自ら作っていく」=働くとはどう生きるか~になるのではないでしょうか?働くことの中にこそ日本人のメリットがたくさん詰まっていると思います

今回はこの働くに関する3つの記事を紹介します。(リンクをクリックすれば本編に繋がります)

 公務員、大企業も安泰ではない 共認形成力+手に職 こそ日本人の武器リンク

今、「ブラック企業」という言葉が流布しています。確かにブラック企業およびブラック労働は存在しますが、それらは「夢があるかどうか」でかなり種類が違うと思います。夢や未来のないブラック企業やブラック労働は大問題です。しかし、「夢のあるブラック労働」は、むしろ日本の強みの源泉になっているのではないかと私は思っています。
例えば、日本の誇るマンガやアニメの制作現場、特に下積み中の若手制作者たちの職場環境は、労働時間や給与の観点から見れば、間違いなくブラックの部類に入ります。しかし、話を聞いてみると、彼らの多くは自分の将来のために喜んで働いている。他にもゲーム開発者、日本料理の料理人、お笑い芸人など、同様に過酷な「修業期間」のある職種は数多くあります。これらを「夢のないブラック労働」と一括りにするのは問題です。その大変な期間を乗り越えるからこそ一人前になれるわけで、ブラックといって敬遠していては十分な技術が身につきません。
実は、これらの職種はいずれも「日本人メリット」のあるものばかり。夢を見据えたブラック労働による修業システムこそが日本の強みを支える差別化ポイントだというのは、決して言いすぎではないと思います。やりたいことがあるのなら、まずは修業の現場に飛び込むことです。そこでの経験が、後に「日本人メリット」として、きっと自分の身を助けるはずです。
逆に、私は「ホワイト企業」への就職はお勧めしません。これまでお話ししてきたように、公務員ですら今後は決して安泰ではないのです。どんなに安定していると思える企業に入っても、一寸先は闇。それなら、ホワイト企業で安穏としているよりも、自分の興味に従って夢のあるブラック企業で自らを鍛えた方が、確実に将来のためになります。

働くことは、苦役ではなく活力源、そして私権対象ではなく共認充足対象リンク

働くことは、私権対象ではなく共認充足対象
人びとの期待に応えることは活力源であり、働くことは人びとの期待に応えられる対象である。
そして時代は、これまでの手法・常識はまったく通じない答えのない未知の世界に入っており、限られた経営層だけでは答えが見出せない。
人びとの期待に応えるためには、社員の誰もが組織の当事者として経営者として、皆と追求し続け主体的に組織を動かすことができる「共同体」こそが時代に適している。
強制圧力を脱した共同体の中で、内発喚起された主体発で仲間と可能性を求めて追求し、人々の役に立つ仕事をすることほど、楽しく活力がでるものはない。
(若者を中心に)人びとにとって働くことは、苦役ではなく活力を得る対象に、私権獲得の対象から人びとの役に立ち共認充足する対象に、大きく転換している。それを時代遅れの旧い価値観念(労働は苦役)、それを盾に社会的に強制圧力をかける労基法、それを正当化し大衆洗脳するマスコミは、人びとの本源欠乏を封じ込め、人びとの充足対象を奪う対象でしかない

働くは「端(はた)楽(らく)」。この日本語に込められた深い意味リンク

■働くのは「端(はた)を楽(らく)」にするため
その中でも大きな足跡を残したのは、二宮尊徳であろう。尊徳は各地で疲弊した農村の立て直しを指導した。その数は600カ所にも及んだと言われている。尊徳の手法は非常に合理的で、武士の減俸をして支出を抑制し、減税によって農民の労働意欲を高め、新田開発を奨励し、販売戦略や生産性向上の指導まで行った。
同時に農民たちに「勤勉」と「貯蓄」を説き、お金が貯まったら、困っている人たちのために貸してあげなさい、と教えた。この積立貯金を「報徳金」と呼び、村々は「報徳会」を作って、自分の村が豊かになったら、次の村に貸してやるようになった。尊徳は働くのは自分のためでなく、「端(はた)を楽(らく)」にするためだとまで説いた。

■「企業は社会の公器である」
二宮尊徳の思想は、今も日本人の勤労観の根底に流れている。日本の企業経営者には「企業は社会の公器である」という考え方が根強い。グローバル・スタンダードでは、企業は株主の個人的な財産であるから、自由に売り買いできるものである。儲からなくなったら、売り飛ばしても良いし、会社を畳むのも自由である。それによって地域社会が廃れようが、従業員家族が路頭に迷おうが、資本家の知ったことではない。
しかし、日本の健全な企業経営者は「事業を通じて世の中の役に立つ」「地域社会に貢献する」「顧客の信頼をうる」「従業員の生活を守る」といったことを使命だと考える。自分個人の利益を追求するのは恥ずかしい事で、世のため人のために尽くすことが立派だと考えるのが、ごく普通の日本人である。

投稿者 tanog : 2018年01月01日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/01/3268.html/trackback

コメントしてください

*