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2014年05月02日

日本人の可能性について記事紹介 ~現実を肯定的に受入れる、共認原理に基づいた組織運営~

みなさん。こんにちは。

暖かくなってきましたね!夏を予感させる陽気になってきました。 日本の気候は、四季に象徴されるように暑かったり、寒かったりで本当に変化が多いのが特徴です。そんな厳しい環境にいながらも我々の祖先たちは、厳しい自然環境を受け入れ、皆と課題を共有して、これまで暮らしてきました。暑い季節は、どのようにしのぐか、寒いもまた同じで、その工夫が様々な部分に我々日本人の工夫思考となって現れています。自然への同化、感謝を通し、いかに外圧を克服するかといった視点から、今では世界でも群を抜いた「工夫思考・追求力」を構築したといえるでしょう。

さて、GWに入り、普段よりちょっとお時間もあると思いますので、ここで私達日本人についてのいいところを振り返ってみましょう。いくつか記事を紹介します。

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シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~最終回・「何か」を信じるのではなく「全て」を受け容れてきた日本人~ http://web.joumon.jp.net/blog/2012/10/1448.html   みなさんこんばんは。 「日本人は何を信じるのか」シリーズ。今回はその最終回となります。 自らを無宗教と言いながら、初詣、お盆、クリスマス、葬式仏教等、諸々の宗教イベントを生活の中に取り入れて、しかも何の矛盾も違和感も感じない私たち日本人。 敬虔な外国人からは「無節操」「信仰心薄弱」とも取られますが、果たしてそうなのでしょうか。また、日本人のこの本質はどこから来るのでしょうか。 「日本人は何を信じるのか」 このお題を当シリーズにて三ヶ月に渡って追求して来ましたが、 その結果、一つの事実が見えてきました

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白川郷

この点、私はかねてから、「自然宗教」と「創唱宗教」という区別が日本人の宗教心を分析する上では有効だと考えている。 「創唱宗教」とは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人たちがいる宗教のことである。教祖と教典、それに教団の三者によって成り立っている宗教といいかえてよい。代表的な例は、キリスト教や仏教、イスラム教であり、いわゆる新興宗教もその類に属する。 これに対して「自然宗教」とは文字通り、いつ、だれによって始められたかも分からない、自然発生的な宗教のことであり、「創唱宗教」のような教祖や教典、教団をもたない。 「自然宗教」というと、しばしば大自然を信仰対象とする宗教と誤解されがちだが、そうではない。あくまでも「創唱宗教」に比べての用語であり、その発生が自然的で特定の教祖によるものではないということである。あくまでも自然に発生し、無意識に先祖たちによって受け継がれ、今に続いてきた宗教のことである。

(中略)

ここでいう「無宗教」とは、 「創唱宗教」に対する無関心という意味であることをもう一度確認しておこう。 「無宗教」だからといって宗教心がないわけではないし、ましてや欧米人がいう「無神論者」というわけではない。 あくまでも 「創唱宗教」に対して無関心だということであり、多くの場合、熱心な「自然宗教」の信奉者であることはすでに見た通りである なるほど! 確かに私たちは特定の教義や観念に収束する事こそ希薄ですが、 一方で自然の恵みに感謝し、その怒りを畏れ、そしてそれと共に生きてきた祖先や地域の仲間達を想い感謝と喜びを分かちあう精神を持っています。

日本人は古来より、様々な祭事でもってその感謝の念を皆と共有し、その充足感を活力源として受け継いできました。この想いもまた立派な「信仰心」なのではないでしょうか。 さらに、当シリーズの記事から、この精神性の源泉をわかりやすく紐解いている物を幾つか紹介します。 儒教が武家社会や豪商・豪農クラスに、さらに庶民へと拡がり始めたことにより、来世や死後の世界よりも現世こそが人々の最大関心事になって行きました。 その結果、人々は特定宗派の教えにはより無関心となり、「無宗教」になる土台が作られました。

(中略)

日本の近世における庶民は、農村では共同体の中で暮らしていましたし、都市部の町民たちも長屋など隣近所との付き合いを通じて共同体的暮らしをしていました。 日々の生活は楽なものでは無かったにしろ、西洋の農奴のように支配者の所有物のような存在ではなく、信じ合える仲間や集団が実在し、共同体は残り続けました。 現実生活の中には生産を通して仲間との充足があり、現実は決して否定するような対象ではなく、人々は現実の中に生きていくことが出来たのだと思います。 だからこそ人々は、誰かによって人工的に作られた「あの世」や「救済」、すなわち「創唱宗教」を信じる必然性がなく、現実社会をそのまま対象化して生きることができました。 (5.近世における宗教観 より抜粋)

 

縄文人から受け継いできた自然信仰をルーツとする日々の習俗や祭りは、自然と共に生きる共同体成員の活力生成のため必要なものであったからこそ残り続け、人々の生活と密接に結びつき切り離せないものとなって行きました。 (5.近世における宗教観 より抜粋) 「葬式仏教」とは教義教典に基づいた「創唱宗教」ではなく、縄文以来日本人に伝わる「自然宗教」に、祖先崇拝や生死感、他者への想いを塗重ねていったものです。 「仏教」はそれを儀式として顕在化するために活用したに過ぎず、そこで示したかったのはより深いところにある私たち日本人の精神性であったと言えます。 (6.葬式仏教とは より抜粋) 等々。 調べれば調べるほど、日本人の特徴が明らかになってきました。

 

そもそも現代においては、何かを「信じる」という言葉に、どこか「求める」「すがる」「思い込む」といった自分発のニュアンスが込められています。例えば一神教の信者が「私は神を信じる」といえば、それは神と自分との契約であり、そこに救いと現実否定の正当化を求めています。「自由」や「個人」といった近代観念を絶対と「信じる」のも、架空観念にすがって現実否定をするという意味では宗教信者と変わりはありません。果ては「自分を信じる」等という言葉もよく聞きますが、これこそその真骨頂といえます。略奪と私権闘争を繰り返してきた西洋においては、人々は現実逃避と自己正当化の為の観念を必要とし、結果、宗教や近代観念が誕生、浸透しました。しかし私たち日本人は、温暖で豊かな気候風土、なにより島国故に大陸の略奪闘争から隔離されて来た故に、長年にわたって共同体と共認充足の基盤を受け継ぎ培う事が出来ました。

 

日本は地震や津波など災害の多い国ですが、それすらも受け容れて、自然への畏怖と感謝の念を失うことはありませんでした。自然、仲間、全てを受け容れ、そこに日々の充足を見出してきた私たち日本人。そこに現実否定の宗教や観念が根付かなかったのも道理です。私たちは特定の「何か」を信じるのではなく、 「何に対しても」同化と共認の対象ととらえ、そこに充足感を見出してきました。私たちが「何を信じるのか」の問いかけに対し、答えに窮してしまうのも当然といえます。この事は、何らおかしな事でも恥じる事でもなく、むしろ私たち日本人は、縄文以来の人類本来の心の有り様を受け継いでいる。そしてそこにこそ次代を担う可能性を秘めているのだ、と胸を張って良いのではないでしょうか。

 

私たちは西洋を文明先進国と捉えるあまり、彼らが収束する観念もまた最先端と錯覚し、「何か」を信じない自らを世界標準から見て後進と捉える向きがあります。しかし、こうしたわずか数千年の歴史しか持たない観念群(近代観念に至っては300年にも満たない)等は、人類500万年の歴史の中で培ってきた同化能力と共認充足に比べればあまりにも浅く軽薄です。 まして、こうした宗教や近代観念が、戦争や搾取の正当化としてしか使われていない現在の社会を鑑みれば、頭の中で捏造した「何か」に収束するのではなく、自然との調和(感謝と畏怖)、仲間との共認充足、それらを培ってきた共同体基盤、これらによって育まれてきたこの日本人の精神性こそ現代社会の様々な問題を突破する可能性を秘めていると言えるのでは無いでしょうか。人々の期待や活力源が「自分発」「私権発」から「みんな発」「充足発」へと大転換しつつある現代、本シリーズにおいて「宗教」や「信仰心」といった観点から見えてきたこの日本人の精神性に深く着目する時期が来ているのではないでしょうか。

 

→日本人は、無宗教といわれ、信仰を当たり前と捉えた西欧人からはやや批判的?にも見られる面もありますが、実はそうではないのです。私達は、自然を受け入れ自然の中に同化対象を見つけ、共に課題を共有することで充足基盤を獲得してまいりました。架空の何かを信じるのではなく、徹底して現実の中に生き、自然を肯定的に受け入れていくことで充実した日々を送ってきました。その流れから、新しい物を肯定的に受け入れ、うまく取り入れるといった日本人の特性が今の「無宗教、無関心」に現れているといってもいいかもしれません。 続いては、外国人からみた日本企業の特徴についての記事を紹介します。

 

日本人が世界に誇れる3つの事 2.世界に普及させたい日本の現場主義経営 http://web.joumon.jp.net/blog/2013/08/1522.html

皆さんこんにちは。 「日本人が世界に誇れる3つの事」シリーズの2回目。 ルース・ジャーマン白石著「日本が世界に誇れる3つの事」より、今回は日本企業のあり方について考えたいみたいと思います。 題して「世界に普及させたい日本の現場主義経営」 著者であるルース氏はハワイ出身の日系女性です。 彼女は、世界中の様々な企業で働いた後、来日し空間デザインの企業で役員をされていました。そんな彼女の目から見た、世界に誇れる日本企業の「長所」がかれています。 世界の企業を見てきたからこそ、そして常に企業の第一線にいたからこそ見えてきた、実感と臨場感あふるる記事をまずは紹介します。

日本のオフィス街

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オフィス街

~中略   欧米企業は、席や部屋を明確に分ける事で地位や身分の違いを鮮明にし、企業秩序を維持しようという発想です。私権によって統合された企業は、その私権性をより鮮明にする事で、集団を統合し、またそれが成員の活力に結びついているといえます。 一方、日本企業の統合軸や成員の活力源は、欧米のそれとは全然違うようだ、という事をルース氏は気付き、驚きと共感を感じています。 以下、引用を続けます。     それまで「現場主義」という言葉は頭で理解していましたが、本当の意義に気づいたのは、自分がマネジメントをする立場になってからのことです。 そうやって日本企業を見たとき、幹部が社員にとって離れた存在となっている欧米式よりも、現場に常にいて、社員と風通しのいいコミュニケーションを行える環境を整えている日本式経営はすぐれていると強く感じました。

(中略)

大学は学ぶところですが、企業も実は学ぶところなのです。 新人が役員クラスと言兼を交わしたり、経営についての考え方を教えてもらったりするなかで、学び、企業の一戦力として育っていくのです。

(中略)

ルース氏は「現場主義経営」という言葉で日本企業の特徴を表現しています。 この現場主義経営、その中身は何なのでしょうか。 そもそも日本に欧米的な「企業」という生産体の概念が入って来たのは明治以降です。高々100年ちょっとの歴史しか有りません。 欧米では、植民地経営の為の、共同資本による効率的な冨の集中、運用の必要から16世紀には既に「株式会社」が誕生しています。 1600年設立の「英国東インド会社」等は特に有名ですが、これらは金融資本を背景に植民地支配という遠隔地からの搾取、収奪を目的とした団体であり、その原動力は徹頭徹尾私権の獲得でした。個々の私権獲得が最大の目的であり、その為に繋がった営利団体こそが欧米における「企業」のあり方であり、今も昔も変わりません。 これに対し、農耕民族である日本人の生産体は、ずっと「共同体」でした。

 

自然も含めた集団の「調和」を旨とし、個の利益より集団の充足を第一としてきました。 この、古来より育まれた、共認充足を第一とする日本人の「心の有りよう」が、現代の企業にも受け継がれているといえます。 ここに日本企業の独自性を見ることが出来るのではないでしょうか。 ルース氏が感銘を受けた日本企業の美点も、この縄文的な精神性にその根本を見出すことが出来ます。彼女が言う「現場主義経営」の原点もここにあると考えられます。

ミーティング

ミーティング風景

バブル期以降、日本にも外資系企業を中心に欧米的な企業経営の手法が持ち込まれました。 しかし、個を前提とした成果主義、能力主義といった評価概念が日本に根付くことはありませんでした。 これも、日本人の心に色濃く残る縄文体質、共同体性を鑑みれば当然かもしれません。 これに対し今注目されている、そして実際に「勝っている」のが『共同体経営』です。 今日本においてこうした会社が増えつつあります。 以下に参考となる記事を紹介します。

『共同体経営とは?』-6 日本的経営とは? ~特徴と歴史~

http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/01/001455.html

共認社会を実現してゆくのは、共同体企業のネットワーク

期待応合と共認充足を紐帯とした全員参加型の経営方式。事実を皆で共認し、成員への期待、役割、評価を鮮明にして共認充足を最大の活力源とする「共同体経営」こそがこれからの企業の姿であり、これは欧米的な運営手法では到底実現できません。それこそ、外圧と成員の意識を的確に掴む「現場主義経営」が必要となってきます。

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全員参加型の経営会議

注目すべきは、世界の様々な企業を見てきた欧米人のルース氏がこの日本型の企業経営を評価している点です。先進国においては、私権企業による経営が既に限界を迎えている事は周知の事実です。この突破口の一つが企業の共同体化であり、縄文体質を色濃く残した私達日本人は、その実現のさきがけとなりうる。 ルース氏の記事はその可能性を指し示していると言えるのではないでしょうか。 さて次回は、「日本人が世界に誇れる3つの事」シリーズの最終回。 どうぞご期待ください!

共認時代に入った今、私権原理での統合形式ではなかなか組織はうまく動きません。多くの日本企業経営者はそれを強く感じているのではないでしょうか。そもそも、長い年月の間共認原理で生活してきた我々日本人には私権原理に則った「企業」というスタイル自体もフィットしているのかは非常に疑問です。市場社会の中では統合形式を一気に変えることは難しいですが、その中身自体は常に共認原理で運営されていたのかもしれません。

 

上記の例からも現場の意見を重視する。経営者も成員と共に考える。そんな皆で共に課題を突破しようとする意識はどの時代も変わらなかったとも言えます。今、共同体経営を取り入れた企業は急激に増加しています。彼らの成果も着実に伸びています。なぜか。それは仕事自体に充足感を得られる度合いもこれまでの私権原理に比べると格段に向上しているから=活力アップしているからといえるでしょう。

 

今回は以上2つの記事を紹介しました。 私達日本人の特徴は、「現実を肯定的に受け入れる」、「自然に同化し感謝を忘れない」「共に課題を共有し共認原理で課題を突破してきた」といったことがあげられます。いかがでしたでしょうか。私達日本人のルーツが特性を認識することで、新たな気づきを得られると幸いです。今後も縄文ブログでは日本人についてもっともっと追求していきますので、よろしくお願いします。

投稿者 katsuragi : 2014年05月02日 List  

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コメント

最近の科学が明らかにしたことは、日本の文明は、4大文明と並んで、最古参でした。他の文明は一時栄えても、砂漠化をして、斜陽になりました。日本の文明は、欧米史観や、シナ史観によって歪曲をされてきましたが、血球との調和という意味で、米国の衰退に対応して、唯一の世界に拡大すべき文明でしょう。

投稿者 小林常雄 : 2014年5月6日 10:53

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