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2010年02月20日

「私権文明を問い直す」シリーズ4~東洋と西洋

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            (キリスト)                     (孔子)
当シリーズの4回目は、前回に引き続き、「私権文明」の成り立ちを追ってみます。
前回と今回の2回で、西洋と東洋の違いを押さえ、現代の市場社会につながる文明、思想はどちらの流れを汲むのか、その基底構造はどうなっているのかに繋げて行きたいと考えています。
まず私権文明を問い直す意義のおさらいですが、
①文明の発祥の地とは、全て掠奪闘争が行われた地である。
②故にそこに建設された国家とは、掠奪闘争の覇者が作ったものである。
  つまり今日の文明とは、掠奪闘争によって生み出されたものである。
③今日に繋がる人類の罪悪といわれるものは、シリーズ1回目の性闘争→掠奪闘争と、それに続く上記の、掠奪闘争→支配国家が生み出したもの。
④人類が作り出した文明の帰結が今日の様な人類滅亡の危機となっている。

以上が私権文明を問い直す意義といえます。
上記のことを事実として認めるか否かは、「文明」というものの実態を色眼鏡(固定観念)をかけずに見れるか否かに掛かっています。
私たちは、どんな課題を追求するにしても、固定観念を捨てて、「事実」を直視することからしか、答えは見えてこないのだと思います。
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実現論:第二部(私権時代)ロ、「私権文明を問い直す」~続き

 それに対して、モンゴル高原は見渡す限りの大草原であって、そこには同じ遊牧部族しかいない。加えて、イラン高原ほど乾燥が激しくない。従って、ここでは掠奪闘争というより覇権闘争の色彩が強く、皆殺しも発生したが、それより支配・服属という形が主流になる。
従って、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての本源性を強く残すことになる。東洋人は、概ねこの遊牧→掠奪の北方モンゴロイドが、採集→農耕の南方モンゴロイドを征服した混血であり、従って東洋人は小氏族(大家族)の本源性を色濃く残しており、西洋人ほど自我を肥大させていない。

同じ掠奪闘争といっても、西洋と東洋では、大きくは片や「皆殺し」(西洋)、片や「支配・服従」(東洋) に分かれていきます。その主原因は、
 ①イラン高原は諸部族混在。モンゴル高原はほぼ遊牧のみの単一部族
 ②乾燥度が異なり、イラン高原はきわめて深刻な食糧危機に陥っていた。
これが掠奪闘争の度合いの違いに結びついたと考えられます。

 この様な意識構造の違いは、夫々の思想の違いに典型的に現れている。
同じ二六〇〇年前頃に、西洋ではユダヤ教(→その後キリスト教)、東洋では儒教が登場するが、西洋の観念信仰が自我に基づく極めて独善性・排他性の強い唯一絶対神を非現実世界に構築したのに対して、東洋の儒教は残された本源規範に基づく仁・義・信など、現実世界を導く関係規範に収束した。
本源集団・本源共認を破壊して自我に収束した西洋人は、非現実の世界に失われた本源価値を(架空観念として)再構築するしかなく、かつそれが自我に基づくものであるが故に独善的・排他的な絶対観念(ex. 唯一絶対神)への思い込み信仰となるしかなかったのに対して、本源的集団と本源的共認が残存している東洋人の方は、本源規範を私権秩序と整合させることによって現実世界を律しようとした訳である。

掠奪闘争の激しさの違いが、本源集団の残存度の違いに繋がり、その結果生き残った人々の精神的なよりどころの違いへと繋がっていきます。
精神的な拠り所であるはずの本源集団が壊滅した西洋は、頭の中でしか本源価値を構築できず、「架空」観念へと収束せざるを得ない。
これが後の欺瞞観念(だましの観念)へと発展してゆきます。
本源集団を残した東洋は、集団内に残る規範と、現実の私権社会とを融合させる道をとった。これが現代の私たちの心に残存する本源性の中身といえるでしょう。

 本源集団を破壊した私権文明が滅亡の危機を迎えた今日、東洋人の心の底に残る本源集団性・本源共認性は、人類再生の基盤を成すものとして極めて重要になる。中でも、島国ゆえに一七〇〇年前まで掠奪闘争に巻き込まれることなく原始文明を発展させてきた日本人の心の底に残る本源的な共認体質は、極めて貴重である。
もし、人類に絶滅を免れ得る資質が残されているとしたら、それは東洋人、とりわけ日本人の心の底に残された、類い稀なる縄文人的精神基盤なのではないだろうか。

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東洋と西洋では上記のような本源集団の残存度と、それゆえに収束すべき思想が欺瞞観念か、より現実的な規範を土台とした思想かと言う違いに繋がっていきます。
現代の市場の根底をなす構造が「騙し」であるとすれば、それは西洋発の欺瞞観念から繋がっていることになりますし、近代市場自体が西洋から発展したことを考えれば、それは明らかだと思います。
とすれば、一方の東洋的思想、本源的な精神基盤というものが、今日危機を迎えた市場社会に取って代わる、新しい社会の構築への残された可能性といえるのではないでしょうか。
掠奪闘争→私権文明がその後今日の社会へとどう繋がってゆくのかは、次回以降整理していきたいと思います。

投稿者 saah : 2010年02月20日 List  

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コメント

>おそらくより前から中国南部が南方系採集部族の一大センターとなっており、長江と連動する形で日本にも同系の南方採集部族のセンターが出来ていた、それぞれ中国南部と日本で文明を発展させていた・・・ということではないだろうか?
安田喜憲氏は三内丸山と中国の関係をかなり研究している学者です。
長江文明の中心に良渚文明がありますが、同時期に三内丸山で良渚とまったく同じ形のヒスイの玉が発見されています。この事は三内と中国がかなり緊密に繋がっている証であり、ihiroさんの見解を裏付けます。
この件について以前るいネットに下記の投稿をしましたので参照下さい。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=14934

投稿者 tano : 2010年5月7日 00:30

コメントありがとうございます。
>この事は三内と中国がかなり緊密に繋がっている証であり、
縄文時代、長江と縄文はかなり密接に繋がっていたのは事実だと思います。
おそらく縄文とだけではなく、東南アジアやインド方面とも同系の文明圏だったのではないかと考えてます。それがだんだん北方系に押されて縮小していったのではないでしょうか?
その名残が、日本人やポリネシア人に残っているというところでしょうか?
私権時代がどん詰まりになった今、それが今後どう繋がっていくのか可能性を探りたいところです。

投稿者 Hiroshi : 2010年5月8日 19:24

 逃げたということが原因ですが、逆に世界のほとんどを一時期ですが、南方採取部族が制覇していたということになるのですね。
 南方採取部族が世界に散っても適応できたのは、自然への同化力が高かったということが原因とも考えられますね。
 

投稿者 norio : 2010年5月8日 19:38

>南方採取部族が世界に散っても適応できたのは、自然への同化力が高かったということが原因とも考えられますね。
そうですね、モンゴロイドは古代に既に北極圏から熱帯地方まで広く分布していました。それは自然への同化力でもあり、モンゴロイドの自然への適応力ともいえますね。
白人や黒人が、古代には比較的狭い地域にとどまっていたのとは対照的です。

投稿者 Hiroshi : 2010年5月15日 19:19

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