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2007年03月20日

馬の家畜化により製鉄技術向上と戦争が激化した

 こんにちは、ベジ紀です。
 カッピカピさんやtanoさんが投稿されていますが、馬の家畜化は羊、牛、山羊に比べ、遅かったようですね。
 それには、馬はなかなかいうことを聞かず、しかも乗りづらく、乗ったら乗ったで、すぐに振り落とされる。しかも、うかつに馬の後ろに立てば、ものすごい力で蹴り上げられる。
 などなど、様々な理由がありそうですが、遊牧民が馬に着目したのは、その力にあったのではないでしょうか。
 そして彼らは、その馬の力を引き出すために、技術と道具を次々に生み出していった。
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 まずイラン高原の遊牧民が、馬に車を曳かせて「戦車」として活用。これがアッシリアなどにも採用されていきます。
 さらにスキタイが、馬を自由自在に乗りこなすために、鞍や馬の口に噛ませるハミ、蹄鉄らの「馬具」を洗練し、これにより「遊牧騎馬民族」が現れます。
 そして、「遊牧騎馬民族」スキタイ人は、「鉄の民」としても名高かったそうです。
 丈夫なハミやアブミ、とりわけ蹄鉄製造のためには、「鉄」が必要不可欠だったためです。
 さらに、機動力のある「馬の戦い」は、自然と近接戦よりも遠戦が主体になるため、これが「長槍」や「飛び道具」の開発を招きました。槍・矛・長弓・弩から鉄砲まで、これらが全て「馬の戦い」の現場で発達してきました。
 
 後に戦争で使われるほとんどの武器が、この時代の遊牧民によって作られたのでした。
 馬の家畜化は製鉄技術の向上に加え、戦争の拡大にもつながっているのではないでしょうか。

投稿者 jomon10 : 2007年03月20日 List  

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コメント

貢物として人を贈っていた?とは知りませんでした。
当時の中国では食人の風習があったので、食材であったとする説もあるようですね、驚き!でもちょっと考えにくいですね。http://homepage3.nifty.com/yoshihito/dorei-1.htm
こんな説もありますよ。
>大和王権が、畿内を中心とする西日本に確立した覇権を、後漢王朝に認めてもらうための遣使奉献であつたと考える。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/3-9kennsi.htm

投稿者 匿名 : 2007年3月31日 21:58

Anonymousさん、こんにちは。
食人の習慣があったというのは、初めて聞き、びっくりしました。
たんに飢餓状況だったからでは?とも思いますが、
どうなんでしょうか???
日本でも、飢饉になると、人を食べていたようですし。

投稿者 くまな : 2007年4月1日 01:18

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