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2009年01月08日

イスラム教の成立過程

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こんばんは~ 【チーム・宗教】さらに追求を続けます
イスラム教ってどういう宗教なんでしょう?
国連などのデータに基づいたバチカンの最新統計年鑑によると、2006年度の世界のイスラム教徒人口はカトリック教徒人口を抜き、世界第一位 。発表された統計によると、2006年の世界人口65億人のうち、イスラム教徒は19%以上、カトリック教徒は17.4%。(ただし現在は第2位というサイトもあったりしてはっきりしません 。キリスト教徒と拮抗しているのかもしれませんね。)
イスラム教徒(=ムスリム)が居住する地域は現在ではほぼ世界中に広がっていますが、そのうち西アジア・北アフリカ・中央アジア・南アジア・東南アジアが最もムスリムの多い地域。特にイスラム教圏の伝統的な中心である西アジア・中東諸国では国民の大多数がムスリムです。ただし、世界的に見ればムスリム人口の大部分は中東諸国以外の人々であり、世界のムスリムに占める中東諸国出身者の割合は20%に留まっています(このあたり不思議ですね)。
さて、今日は、このように広まったイスラム教の成立背景を調べてみます。
イスラム教は商人の宗教!
宗教から国家が成立?!
イスラム教国家が拡大したのはなんで?
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イスラム教は商人の宗教!
アラブの遊牧民or砂漠 の宗教と思われがちなイスラム教ですが、そうではありません。もともとはメッカの商人、大商人達の中から生まれた宗教なのです。
6世紀頃のメッカには、昔から信仰されてきた雑多な神々の像が数百体も祀られていました。また砂漠にしては珍しく、水が豊富に湧き出るザムザムの泉 があり、この地方を往来する隊商はみなこの泉を利用させてもらわないことには動きが取れません。クライシュ族は、このような伝統的な多神教と偶像崇拝の中心であるメッカを独占的に支配し、ザムザムの泉を押さえて、祭祀の関係でも隊商貿易でも莫大な利益を得て、権勢を誇っていたのです。
そこへ一族の中からムハンマド(570?~632)という男が現れ、伝統的な多神教と偶像崇拝とを真っ向から否定し、権力と財力を誇る者もアラーに帰依しなければ「間違いなく地獄に堕ちる」と説き始めます
メッカの指導者達は、そんなムハンマドをやっかい者とみなし殺害 しようとします。身の危険を察知したムハンマドはメディナに脱出 。これは622年のことで、ヒジュラ(聖遷)と呼ばれ、イスラム教徒はこの年をイスラム暦の元年としています。
イスラム教から国家が成立!
イスラム教が登場したのはアラブの部族社会からでした。当時のメディナはハズラジとアウスという2つの部族が激しい対立抗争 を繰り返し、住民は心の休まるいとまもない有様 。メッカに何度も巡礼に行った機会に、彼らはムハンマドの説くところに深く共鳴し、ムハンマドを指導者として迎え入れることによって、対立抗争が収まることを期待していたのです 。結果は、メディナの住民が期待していた以上の素晴らしい結果を生みます。アラーのもと、全ての者は平等であり、同胞であるという意識がみなぎり、対立抗争は嘘のように解消し、共通の目的のために全員が鉄の団結を固めるという状態になります。こうして、信仰、公私の生活、政治、軍事を打って一丸となったイスラム共同体(ウンマ)がメディナで初めて成立しました。
このイスラム共同体→イスラム教国家の成立過程は、キリスト教がローマ帝国という国家が先にあって、後から登場してきた過程とは違うとも言われます。
確かに、キリスト教がローマ帝国内で身分序列の下位に置かれた奴隷たちの救い(あの世での救済)として信仰され、それゆえに倒錯性が強いのに対し、イスラム教は、そういう救いという面はあるにはありますが薄く、私権や市場を肯定する面が強い(ある意味現実直視?)ように思います。
というのも、メディナを統合したイスラム共同体はその後外へ外へと武力支配を進めてゆくからです。それはキリスト教が表向き平和を唱えるのとは対象的です。
イスラム教国家の拡大、その原動力
唯一神アラーの信仰を確立し、拡大していくためにはどうしてもメッカの守旧勢力を打倒しなくてはなりません。彼らこそが伝統的な多神教と偶像崇拝をどこまでも守ろうとしている1番の強大な勢力であり、金銭的に大きな利権もからんでいたからです。ムハンマドはメッカとシリアの間を往来する隊商を片っ端から襲い、積み荷を略奪します 。略奪はメディナに移ってから1年半の間に7回にも !! また、ムハンマドは地盤の拡大にも努め、散在するオアシスの町や遊牧民の部族を味方に引き入れ、敵対する勢力があれば容赦なく軍勢を差し向けました。これはアラーの正しい教えを広めるためのジハード(聖戦) だったのです。
それまでアラビアの住民は多くの部族に分かれて、対立抗争 を繰り返していました。ほとんど全ての部族がイスラムに入信した結果、果てしなく続いていた対立に終止符が打たれたのです。そして仲間同士の戦いに費やされていたエネルギーが、イスラムの旗の下に統合され、外征へと向かいます 。 ムハンマド自身も跡を継いだカリフ(指導者)達も、部族の間で欝積していた戦闘意欲と略奪願望に捌け口を与えるため、アラビアから外に撃って出ることを奨励します。それは同時にイスラム勢力を拡大することにもなったのです。
また、イスラム教団国家が短期間にこの様な大発展を遂げたもう一つの背景に、現地住民の協力があったと言われています。イスラム教団国家の支配下に入ると、税金は数分の1に軽減され、行政や裁判なども極めて簡明かつ公正に行われたので、住民はイスラム勢の進出を喜んで迎えたのです。信仰の面でもイスラムへの改宗を強制するようなことはせず、住民の自由に任せました。
人頭税さえ払えば改宗を強制しないというのは、まさに商人の宗教=実利優先(?)だからこそだなと思いました!
★もともとアラブ部族の多神教も、部族闘争を正当化するものでした(ex.自部族の守護神を奉り、競い闘う。) それがイスラム教という一神教によって一本化され、私権闘争の規模は部族から国家へと引き上げられたのです!!
参考、引用させていただいたサイト
『セカンドクラスの添乗員』
『世界史講義録』
『平成4年9月松戸オリエント協会発会記念講演 「イスラム教とはなにか」』

投稿者 mituko : 2009年01月08日 List  

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