| メイン |

2009年01月09日

イスラム原理主義とは何なのか?

こんにちは。
【チーム・宗教】引き続き色々調べていきます
さて、mitsukoさんの投稿で、イスラム教の成立について記載されていましたが、今回は何かとよく聞く「イスラム原理主義」とは何か?ということで調べてみました 😛
「イスラム原理主義」というのは、基本的には、イスラム教の聖典であるコーランに書かれていることを忠実に守り、それをもってイスラム社会を形成しようという考え方のことを指すようです。
じゃあ、イスラムの教えっていったい何?と思い、さらに調べてみると・・・
続きはポチッとしてからお願いします
Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


☆イスラム教の教義って?
イスラーム(=イスラム教の意)はアラビア語で「アラー(唯一神)への絶対的な帰依」または「全き平安」ということを意味するものだそうです。そして、イスラム信仰の基本となるのは、「六信五行」と呼ばれるもので、これは6つの事柄を信じることと、5つの行動規範を指します。
<六信>
・唯一の至高神アラーを信じる
・天使を信じる
→天使はアラーの手伝いをする存在
・啓典「コーラン」を信じる
→正確には、コーラン以前にアラーが人類に与えたとする諸聖典も含む。それにはキリスト教の旧約聖書も含まれる。
・預言者を信じる
→コーランだけでも25人の預言者の記載がある。イスラム教の始祖であるムハンマドは最後の預言者とされている。
・最後の審判を信じる
→この世の生はかりそめであり、最終の審判とあの世の生活の存在があるということ。
・天命を信じる
→アラーが定めた運命のこと。
<五行>
・シャハーダ
→信仰告白のこと。

「私は、アッラーの他に神はなく、マホメットはその使わし人であることを証言いたします」と唱えること。
・サラー
→礼拝のこと。

毎日5回、メッカのカーバ神殿を中心とする6塔のモスクの方向に向かってアラビア語で礼拝を行う。
・サウム
→断食(ラマダーン)のこと。

ヒジュラ暦 (イスラム太陰暦) 第9月の昼間に一切の飲食、喫煙、香料、性行為などを絶つこと。但し病弱者、生理中の女性などは免除される。
・ザカート
→喜捨のこと。

現世の財産は悪魔が与えたものであり、来世の苦悩の源だが、その一部をアッラーに捧げれば、残りの分まで清くなる、という考えに基づく。
・ハッジ
→巡礼のこと。

特にムスリムによるメッカのカーバ神殿及びメッカ北郊の聖地への巡礼を指す。ヒジュラ暦(イスラム太陰暦)第12月7~10日までの間に行われる。
これをキッチリ守るのがイスラム教徒というわけですね
なかなか大変そうです
「喜捨」の部分などは、商人の宗教らしいなぁ、とちょっと思ってしまいます
では、わざわざ「イスラムの教えをしっかり守ろう!」という「イスラム原理主義」というものが登場したのは何でなんでしょうか?
それには、大きな時代の流れを捉える必要があります
イスラム教は7世紀に成立後、どんどん広まっていきます。しかし、15世紀以降に西欧の近代文明が発達し、その勢力争いが繰り広げられるようになると、西欧の近代思想(近代化→勢力拡大)に対し、イスラム社会は従属的とも言える地位へと貶められていきます。そして19世紀後半になると、西欧帝国主義による世界支配の時代へと突入します。
イスラム教はそのような西欧の支配に組み込まれつつ、それに対する対抗アイデンティティとしての位置を確保していきます。このプロセスは19世紀後半から1920年代にかけて起こります。これがイスラム原理主義の起源と言えます。
しかし、1920年以降、イスラム世界における西欧に対する自立・独立運動は、イスラム原理主義とはまた違う二つの流れを生み出しました。
一つは、西欧近代主義を取りいれ、自国を西欧と並ぶ国民国家にし、結果的に西欧からの独立を達成するという流れ。トルコなどがこの流れに属します。
もう一つは、民族解放運動です。これはアラブ民族主義思想と呼ばれるものによって、植民地の独立や半植民地状態にあった国の完全自立をめざすもので、社会主義を指向する流れです。こちらはアルジェリアやエジプト、今話題のパレスチナなどが属する流れでした。
結果的には、上記二つの流れはいずれも破綻し、輝きを失います。1970~80年代にかけてです。そこで再び日の目を見たのが「イスラム原理主義」です。
「イスラム原理主義」は、それまで西欧からの独立・自立・解放をめざす中心的思想であった民族主義、社会主義が崩壊し、独立・自立・解放の方向性を支えるイデオロギーたりえなくなったときに、それらの代替物として中東地域の民衆の中に根を下ろしはじめたのでした。
また、「イスラム原理主義」が突出した高揚を見せた背景には、イスラームに特有の思考法も関係していると思われます。
イスラーム復興の直接の契機となったのは、1967年の第三次中東戦争(アラブ諸国VSイスラエル)におけるアラブ諸国の大敗だと思われます。
もともとイスラームはユダヤ教の誤りを正す完璧な宗教として自己規定をしており、神はイスラーム教徒にこそ栄光をもたらすと信じられてきました。
しかし、ユダヤ教徒の国イスラエルにアラブが敗れたのはなぜなのか。この問いに対し、多くの信徒は「自分たちが世俗化し、イスラーム法を捨てたがために、神の怒りを買った」と考えたのでした 🙁
つまり、「イスラム原理主義」とは本来、社会体制の腐敗や文明社会の欠落を補うための社会理念であり、西欧社会に飲み込まれることなく、イスラム法を厳格に遵守するイスラム理想世界を目指すというものだったんですね。

投稿者 maru : 2009年01月09日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/01/695.html/trackback

コメント

面白いですね。
中国人の方の結果はどうだったのか気になりますが、中国人だけでなく、韓国、北朝鮮の人々とも比較して欲しいですね~。
どこに一番近いのか、あるいは、全然違うのか・・・。

投稿者 ピンイェ : 2009年2月10日 22:02

コメントしてください

 
Secured By miniOrange