シリーズ「人類の部族移動」その1~人類史を追求する意義と視点 |
メイン
2011年03月12日
「カナートの結婚」に見るアラブの性意識
イラン高原では水は人々にとって極めて貴重でさまざまな風習や言い伝えがある。その中には最も大切な水と婚姻関係を結ぶという非常に珍しい風習が残っている。イランには村落の数以上にあると言われているカナートの豊かさを願う風習である。
以前から度々紹介してきた「カナートイランの地下水路」の著書の中よりこの風習の実態を紹介しておきたい。この話は水に対する人々の願いの強さというより、アラブ世界での性意識という点で、注目しておきたい。
それにしても東北地方太平洋沖地震の今後が心配になります。
この縄文ブログでも今後の復興を応援していきたいと思います。
イランには水にまつわる風習が数多くみられる。水乞いの一形態として、一部の地方で行なわれる「カナートの結婚」という珍しい慣行もその一つである。
「カナートの結婚」の起源については明らかではないが、19世紀の地誌には次のように書かれている。
「サマーンには、ラク・ドンベと称するカナートがある。このカナートに妻がいないとカナートの水は涸れるとの言い伝えがあり、村民は一人の女性をカナートと結婚させている。「カナートの妻」には未亡人が選ばれ、彼女は夏と冬に少なくとも月1回は裸になって、カナートの水の中に身を横たえる。そうすればカナートの水は常時流れるが、そうしないと水は涸れてしまう」
これはバフテティヤーリー地方ラール地区サーマン村に関する記述であるが、同地方の他の地区でも同じような慣行が観察されている。この地方の農民たちは水にも「男」と「女」があると考え、音を立てて早く流れていれば「男」、ゆっくりと流れていれば「女」とみなしている。
同じ地方のシャハレコルド市北部の村ボンには、アッパース朝のハールナル=ラシードの妻、ズバイダの命令で作られたというカナートがある。土地の人は、このカナートの水は「男」であり、水量が減少するのは「女」の水を探しに行くからであると信じている。そこでカナートの心をとらえるために、カナートを人間の女性と結婚させてきた。村の古老によると、これまでにカナートは3回結婚し、その時にはいつも水量は増大したという。「カナートの妻」には村に住む未亡人が選ばれ、本人と村民が同意したら、婚姻の文書作成など普通の結婚と同じ手続きがとられる。披露宴も張られ、楽人も呼ばれる。花嫁はこの地方の慣例に従って馬に乗せられ、夫となるカナートの出口(マズハル)に連れていかれる。村民は音楽に合わせて踊りながら、行列を成して花嫁についていく。
最も新しい例では、1930年ごろに「カナートの結婚」が行なわれた。この時には、2時間ほどしたら水が溢れてきた。そして、カナートが「女の水」に気をとられることのないように、「カナートの妻」は年1,2回カナートの中に入ったという。
この慣行は他の地方でも見られる。
エスファハーン州のホセインチュでは、年に1回「カナートの結婚」が行なわれる。結婚の時期が近づくと、村の老婆たちが集まって「カナートの妻」となる者を決める。「カナートの妻」は夏、毎週木曜日の夜、カナートの中で水浴びをする。彼女は村民から報酬として小麦を受け取り、それは2人分の年間消費量に相当する。
また、テヘラン州の別の村では村の何人かの長老が婚姻契約書に署名する権限をもっている村のアーホンド(イスラム教の僧侶)を同伴して「カナートの妻」となる女性の家に行き、ここで正式の結婚の契約文書が作られる。その翌日、「カナートの妻」は一人で、村民に悟られないようにカナートの出口に行き、裸になってカナートの中に入り、地下水路の中に座る。
カナートの妻はザネ・カナートと呼ばれ、身寄りのない貧しい未亡人がなる。この村のカナートの妻は、70歳ほどの老婆である。与えられる報酬が2人分の小麦1年分とはいえ、実際は1人が最低限の生活をすることを保障しているに過ぎない。現在では「カナートの結婚」も社会福祉的性格を帯びたものになってきている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上要約、抜粋ーーーーー
このイランに現在でも残る「カナートの結婚」はカナートが広く作られるようになったペルシャ時代初期からあったと思われ、その歴史はざっと見ても2700年はある。
貧しい村落共同体にとってカナートの水は生命線であり、その水が涸れる事は村落の解体を意味する。故にその代償として集団で選ばれた「女」を送り、水乞いをしたというのは、カナート以前にすでに女性が何らかの交渉時の材料になっていた事を伺わせる。遊牧部族の場合の婚姻とはつまり、そのような形で集団と集団を結びつけたり、集団の存続をかけて与える儀式の一つであったことがこの「カナートの結婚」から見て取れる。
もちろん農耕集団でも婚姻を通じて部族間の友好を強めたり、緊張緩和をするというケースは多くあるが、カナートの結婚のように女性を自然に対して捧げるような行為は少ない。
またその場合、多くは働き手である男が交換される事が多く、女性は集団内に残る事になる。このようにイスラムの社会では婚姻においても集団規範を色濃く残し、個人が原点であり、女を略奪婚として演出する一対婚の西洋とは基本的に捕らえ方は180度異なる。
アラブ世界での婚姻は略奪ではなく捧げるもの、あるいは繋ぐものという考え方がいまだにあるように思われる。
遊牧民は非常に厳しい自然圧力が在り、闘争性を重視する男中心の社会になる事は必然構造にある。しかし同時に闘争に参加できない女性は、遊牧ゆえにより一層性を磨き、集団の存続の為にその力を役立てようとしたのはこれまた必然構造であったのだろう。
“>カナートの構造について
投稿者 tano : 2011年03月12日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/03/1211.html/trackback