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2007年04月03日

遊牧民は飢饉に際して、その巧みな言葉で、王に支援を要請する

😀 くまなです。
前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して供犠(生け贄)、みそぎ、断食などを行い、神だのみをすることを紹介しました。では、神だのみが一向に効果をあげず、さらに旱魃が飢饉を進行させると彼らはどうするのか?
旱魃というとこんなイメージでしょうか
chikyuno-keikoku10.jpg

さすがにプライドの高い遊牧民も、救援を仰ぐことになる。
血縁ある諸部族、妻・女性を通じての姻族、また友好部族。友好な手づるを利用して牧地の確保、畜牧の分散、水場や食料の分与の以来に奔走する。助け合いの精神が行き届いている砂漠の世界なので、依頼された部族も出来るだけのことはした。
しかし近隣部族だと状況は似ていることも多く、遠隔地にある部族や大河流域を自領に確保する部族のほうが頼り甲斐があった。さらに有効な救援は王都や主要な町に、窮状を訴える使節を派遣し、援助をあおぐことであった。

その言葉巧みなやりとりを紹介します。
(これは旱魃に襲われたキラーブ族のアブー・シャードというベドウィンが、ウマイヤ朝カリフ・ヒシャーム(在位724~743年)に代表を送って助けを求めたときの記録に残るやりとりです。)

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僅か十四歳で、まだ前髪を垂らし、イエメン製の縞模様の外套を着込んだ少年カリフに声をかけた。しかしカリフは意に介さずに、家臣に「子どもを連れてくるくらいでは、何か切実(な要望)があるわけじゃあるまい!」と捨て台詞を残して去ろうとした。
しかしこのベドウィンの若者は即座に
おお信者の長よ!私めが使節の中に入っているといって、あなたを傷つけるわけでも、あなたの品位を落とすわけでもありません。私にとっては大いなる栄誉なのです。
ここに参内した皆はある願いごとであなたにお目通り願ったのです。でも皆余りに恐れ畏んでしまったために、その願いごとをことばに出せないままでいるのです。
ことばを交わすことこそ物事を開示すること、黙っていたのでは閉じられたままにすぎません。ものごとは公にしない限りは知ることができないのではありませんか」と言った。
カリフは少年の語りにおどろいて、彼に話しかけた「ならば願いごとなるものを申してみよ」と。
少年はそこでことばを継いで言った、
実を申しますと、我々はこの三年の間、飢饉に悩まされております。最初の年は筋肉が我々の体から脱け落ちました。二年目には、脂肪分というものが全くなくなりました。三年目になると骨という骨からその髄が出てしまったのです。
あなたの手の中には余分な予算がありましょう。その予算がもし全能で栄光あるアッラーに帰するものなら、どうぞその被創造物達にお分け下さい。
またもしそれがカリフ様のものでありますれば、どうぞ慈善行為としてそれらをお分け願いとう存じます。アッラーは慈悲深いものに報いるでありましょうし、被創造物に与える報いを奪うようなことはなさりませんでしょう。
また支配者と臣下との関係を見ますれば、魂と肉体との関係と同じです。どちらもそれだけではやってゆけないはずではございませんか。

この段になってヒシャームは舌をまいて言った、
この若者は余にその三つの中のいずれの弁明も許そうとはしないとは!」。
カリフはベドウィン達に十万ディナールの援助金を配分するように命じ、この若者にも十万ディルハムを与えるよう命じた。
しかし若者は「私めへのお金を砂漠の民への贈り物として加えて下さい。私自身特に必要とはしませんし、部族に対して逸脱行為はしたくありませんから」、と答えた。

>(引用は、丸井英二編「飢餓」-堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)
14歳にして、この言葉の巧みさと、王に対したときの度胸。これが遊牧民族の教養として培われたものだとしたら、支配階級に取り入ってその富を掠め取ったのが遊牧民発の交易部族(参考⇒古代商人の前身は遊牧民)だというのが、とてもリアリティをもってきます。
さて、いつも王様が支援してくれるわけではありませんし、そんなつてが無い場合だって多々あるでしょう。
神だのみも尽き、王へのつてもなかった場合はどうしたのでしょうか
続きは次回にしましょう。お楽しみに
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投稿者 kumana : 2007年04月03日 List  

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