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2007年05月03日

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教

前回、十字軍について書きましたが(こちら)、調べる中で実はもう一つ驚いたことがあるんです。
ひょっとして常識 かもしないけど、私はそーとー驚きました
ゼヒ、読んでください
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ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
この3つは、違う宗教なんだけど、実は神様 は同じなんです。
そう、元をたどればおんなじ宗教ってこと
キリスト教はユダヤ教がもとになってるのは有名な話だけど、イスラム教もそうだったってゆうのは、驚きです。
ではでは、ユダヤ教から始まり、キリスト教→イスラム教へと変化していく過程を調べてみたいと思います 😀
ユダヤ教
紀元前1000年頃モーセ(開祖)が、神からお告げを受けた預言者として布教を始め、ユダヤ教が誕生。

ローマの支配者にとって、帝国の一角にユダヤ教徒が存在することはべつに異存がなかった。悲劇の原因はむしろ、「帝国の臣民」に甘んじることをよしとしないユダヤ教の特異性にあったといえよう。
ユダヤ教は、「ヤハウェ」を唯一絶対の神とし、それ以外の神を認めない「一神教」という形態をとっている。しかも、ユダヤ教徒は自分たちこそがヤハウェから繁栄を約束された「選ばれた民」だと自負していた。もともと、他の宗教に対しては非妥協的な態度を示す傾向にある。
Purple Chamber

当時ローマ帝国は、土着の民間信仰に寛容で、多くの宗教が共存してた中、ユダヤ教は自らを「選ばれた民」と自負し、他宗教を認めず、他民族との同化を拒みつづけるやっかいな存在だったようです。
キリスト教
イエスは風紀の乱れたユダヤ教を改革しようとし、司祭を非難したりと反抗的な態度をとったため迫害され、最後には磔にされてしまう。
イエス自身はユダヤ教徒で、死後弟子達がイエスの教えを広めたのが「キリスト教」と言われるようになった。

イエスはユダヤ教の祭司集団に危険視され、ローマ総督によって処刑されたのだが、それによって人類が背負っていた「罪」は消え、あらゆる人々に「救い」への道が開かれたとキリスト教徒は考える。しかも、この事実はあらゆる人々に伝え知らせなければならないとされたから、布教は広範囲に及び、しかもきわめて熱心なものとなった。
キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には従順そのものだった。戒律の遵守などの「行為」ではなく神を信じる「心」こそが重要であり、「救い」はこの世ではなく、死後にもたらされるとされたので、体制を変革するような意図を持たなかったのである。むしろ、布教のためには権力を肯定し、これに接近することが効果的だと見抜いていたらしい。
とくに、ローマ帝国が危機にみまわれ(第9章参照)、従来の諸宗教が動揺した3世紀頃から、キリスト教は権力機構の内部に改宗者を増やしつつ、「帝国の精神」の乗っ取りをめざすようになる。曲折を経ながらも、この戦略は功を奏した。392年、キリスト教は帝国唯一の公認宗教の座をえるにいたった。
Purple Chamber

キリスト教は権力を利用して爆発的に布教したようですね。
こうして、国教の地位を築いたキリスト教徒は、過去迫害を受けた報復としてユダヤ教徒を迫害するようになります。
イスラム教
6世紀の終わり頃、メッカの商人ムハンマドが開祖。
神はユダヤ教やキリスト教と同じではあるが、自分こそが神の言葉を正確に伝える「神の使徒」であり、それを信じる者が真の一神教徒だとした。

ムハンマドがあまたの宗教家と違う点は、政治指導者と軍の司令官をも兼ねる異色の天才だったことにある。彼は622年にヤスリブ(のちのメディナ)の町で自らに従う人々からなる「共同体」を結成し、外交と戦争を駆使しつつ、わずか10年でアラビアの都市や遊牧民を大部分従属させたのだった。
イスラームはいわば、ムハンマドのめざす新たな国づくりのための理念だったとも解釈できる。実際、ムハンマドが伝えた啓示には結婚、訴訟、刑罰、商取引など、社会生活に関わるものも多い。「すべての信者は神の下に平等である」ことが強調されたのも、雑多なアラブ人集団を信仰によってまとめようとしたためであろう。
Purple Chamber

ムハンマドもキリストと同じく、違う形で「イスラム教」を創設しようと思っていたわけではなく、ユダヤ教~キリスト教を一つの流れとし、アラブ人の中に「神」を降臨させようとしただけだったようです。
そうして当初イスラム教はユダヤ教やキリスト教を兄弟教徒として歩み寄ろうとしますが、異端視され迫害を受けたため、両教徒を非難するようになってしまいます。
もとの神は同じでも、分派していって違う宗教になり、憎み合う様に なってしまうんですね。
不思議なようでもあり、でもそれぞれの私益を確保するために、宗教も形を変え利用されていったんだろうな、と想像できますね。

投稿者 pingu : 2007年05月03日 List  

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