日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第3回 舶来志向と工夫思考 |
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2017年04月13日
日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第4回「自然を肯定視した民」
桜が散るのを見て儚さを感じ、山に威厳を感じ、川や海には命を感じる。
文明が進み都市化が進んだ現在でも尚、地震や噴火、台風の度に文明の無力さを突きつけられる。
日本語、海洋民、受け入れ体質、先に3つの縄文由来の日本人の特性を見てきましたが最も重要で根源的な特徴が今回紹介する 「自然を肯定視した民」というテーマです。これは縄文人もそうですが、そもそも人類が洞窟に隠れ住み、ひたすら自然を注視する中で否定ではなく肯定すべき対象として自然を捉えなおし、その果てに精霊という今日の科学技術に繋がる統合観念を生み出した、その状態こそ自然を肯定的に見たことから始まったのです。
ところが、弓矢を発明し洞窟を出た人類は外的である動物と対等に闘えるようになっただけでなく、動物を家畜として飼いならし、科学技術の発見、発展と共に万能観を得てやがて恐ろしい自然であっても克服、支配できるものとして対象化していきます。それが多神教から一神教への転換、「自然が神」から「人が神」になり、「神が自然を従属させる」という奢った観念が登場する。それが西洋キリスト教社会の始まりでもあり、砂漠の中で登場したイスラム教の登場につながるのです。
一方で、豊かな自然に恵まれていた縄文社会は人類本来の精霊信仰がそのまま延長し、アニムズム、多神教、自然観を育み、激しい略奪に合わなかった島国ゆえの影響もあり、現在に至るまでその自然観は私達の“こころ”に存在しているのです。自然を否定し、コントロールするか、肯定し、畏れ敬い感謝するか、人類は5000年前にその岐路に到り、辺境の少数民族と日本人だけが自然を100%肯定視している民族として現在も残っているのです。
では、なぜ残ったのでしょうか?
★文明とは何かを考える事がそのきっかけになります。
参照:文明とは何か~人類が自然をコントロールし始めた事が文明の始まり
>西アジアで1万年前にブタ、ヒツジ、ヤギの飼育が始まる。
人類は栽培=植物をコントロールした事で動物も同様にコントロールするになった。文明とはこの栽培、飼育をもって始まったと言える。
歴史書では6500年前に始まる4大文明をもって文明史の始まりとしているが、これは私権社会としての文明の始まりであり、それに繋がる文明の起点はさらに5000年遡る事になる。
その後、人類文明の向かった方向は自然界を”コントロール”から”支配”へと進み、今その自然から大きなしっぺ返しを受けようとしている。
「人類も生物同様に逆境において進化した。ただ、進化の方向が正しいのか否かである。必ずしも進化=正しい方向性とは言えない」
文明が始まって1万年を超えて、この進化は間違っていたと気が付く時が近づいている。文明の転換期を迎え、人類が存続しえる為には、現在の逆境を前に1万年前とは別の選択肢を模索する事が必要。少なくとも正しい方向性に向かわなければ次の進化はない。それは自然をコントロールする事と反対の、自然の摂理に従い、自然に学び、自然から恵みを得る方向に人類の叡智を使って転換していく事が求められているように思う。
★なぜ日本人がそういった自然観を持つに到ったのでしょう?やはり四季折々の自然環境、豊かな水資源、食料、縄文人はそれら自然の恵みを最大限得る為に創意工夫、道具の追求を重ねたのです。
参照:日本人の特異性はすべてこの豊かな自然環境が作り上げた~寺田寅彦氏より
>日本における自然界の特異性の種々相の根底には地球上における日本国の独自な位置というものが基礎的原理となって存在しそれがすべてを支配しているように思われる。
第一に気候である。現在の日本はカラフト国境から台湾まで連なる島環の上にあって亜熱帯から亜寒帯に近いあらゆる気候風土を包含している。
温帯の中での最も寒い地方から最も暖かい地方までのあらゆる段階を細かく具備し包含している。こういうふうに、互いに相容あいいれうる範囲内でのあらゆる段階に分化された諸相がこの狭小な国土の中に包括されているということはそれだけでもすでに意味の深いことである。たとえばあの厖大ぼうだいなアフリカ大陸のどの部分にこれだけの気候の多様な分化が認められるであろうかを想像してみるといいと思う。
温帯における季節の交代、天気の変化は人間の知恵を養成する。週期的あるいは非週期的に複雑な変化の相貌そうぼうを現わす環境に適応するためには人間は不断の注意と多様なくふうを要求されるからである。
このようにわれらの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈愛をもってわれわれを保育する「母なる土地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭むちをふるってわれわれのとかく遊惰に流れやすい心を引き緊しめる「厳父」としての役割をも勤めるのである。厳父の厳と慈母の慈との配合よろしきを得た国がらにのみ人間の最高文化が発達する見込みがあるであろう。
日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を充分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした、というのである。
★寺田寅彦氏は自然災害が多いがゆえに自然に対し深い視座を持てたとしています。
世界中の地震の8割以上が日本で起きている、そういう火山でできているような日本列島は逆に過酷な自然外圧も同時に備えていました。自然に反逆する意思を断念した民族でも合ったのです。それは今回の原発事故でまさに私達自身がライブで感じていることです。
>このように我らの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈愛をもって我々を保育する「母なる大地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭を振るって我々をとかく遊情に流れやすい心を引き締める「厳父」としての役割も勤めるのである。
人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した。何故に東洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかったかという問題はなかなか複雑な問題であるが、その差別の原因をなす多様な因子の中の少なくとも一つは上記のごとく日本の自然の特異性が関与しているのではないかと想像される。
すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くて、その慈愛に対する欲求が充たされやすいために住民は安じてその懐に抱かれることが出来る。一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさが身に染みて、その禁制に背き逆らう事の不利をよく心得ている。その結果として十分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめてきた。
★最後に日本人の自然観をまとめた投稿を紹介しておきたいと思います。
世界中から日本を訪れるのは爆買の為だけではない。この日本の自然観に触れることもまた世界中の人々の新しい需要なのでしょう。
1.根底にあるもの
①寺田寅彦(日本人の自然観、寺田寅彦随筆集第5巻、1948)
「日本のように多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然のこと。」
「地震や風水の災禍が頻繁でしかも全く予測の難しい国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っているからである。」
2.自然崇拝、自然との一体感
①野中涼(環境問題と自然保護-日本とドイツの比較、1999)
「日本人は長い間、この世界をただ主観的に、個別的に、無数の個体の集合としてとらえる傾向が強かったので、「自然」というすべてを総体的にとらえる抽象語を持たなかった。「天地山水」とか「山川草木」や「すべてあめつちの間にある事」などと呼んでいた。自然を客体化させ、それにヨーロッパ語の”Natur”や”Nature”に相当する用語としての「自然」を当てて使うようになったのは、ヨーロッパの科学文化の衝撃を受けた1900年前後のことである。」
3.共生の考え方
①安田喜憲(日本文化の風土、1992)
「日本の自然観の特色は、円環的・循環的。限られた資源を有効に利用し、自然を破壊し尽くさない、自然=人間の循環系に立脚した文明を継承、発展。対して、西欧は、自然=人間搾取系であり、自然の側から見れば、一方的に搾取されるといった自然搾取型の文明の性格を持つ。その搾取型の地域システムの核となっているのが「家畜」」。
投稿者 tanog : 2017年04月13日 TweetList
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