シリーズ「インドを探求する」第5回【インド・アーリア人社会の浸透】 |
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2010年06月26日
シリーズ:「国家と市場」第4回 【何をするにもお金がかかる社会】
場所を借りるにもお金がかかる(貸し会議室)・・・・、
・・・教育にも金がかかる・・・・。
これまで3回にわたり、武力支配国家の誕生~その統合限界と矛盾、その隙間をついた交易→市場の発生とその後の拡大までの一連の流れをみてきました。
どんな生物でも、絶対的な生存圧力でさえ活力源として生きて(=適合して)ゆく。しかし人類における武力統合⇒身分制度の共認は、絶対的な私権圧力を活力源としながらも、その拡大の可能性が閉ざされるという、”絶対矛盾”を孕むことになります。
そこからの”抜け道”として市場が発生しましたが、その後の市場拡大は、「私権の強制圧力」という”抑圧”からの解脱として、一貫して快適さ、便利さを追い求めた結果といえます。そうして、この便利さ、快適さは誰もが手放せないものとなります。
その結果、現代は【何をするにもお金が掛かる】社会となりました。
なぜそのようになったのか、その普遍構造を押さえ直してみたいと思います。
いつものように応援をよろしくお願いします。~by saah
【超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会】(るいネット)より
市場時代を通じて、市場を拡大させた主動因は、私権の強制圧力による抑圧からの解脱としての、快美幻想への可能性収束=快適さや便利さの希求である。逆に云えば、人々が私権の強制圧力からの解脱手段としての快適で便利な快美生活を手放せないことが、何をするにもお金がかかる社会が出来上がった原因である(そしてそれこそ、人々が精神を破壊し、環境を破壊して止まない原因でもある)。
このように、市場拡大の原理的なテコとなっているのが価格格差の幻想共認だとすれば、具体的なテコとなったのは交換手段とりわけ交換取引の評価指標としてのお金の共認である。
もし、万人に共認された評価指標があれば、交換取引の成立機会は飛躍的に増大する。実際、交換の為には指標が必要⇒交換効率を上げるには普遍指標が必要という流れで、万人に共認された評価指標(=お金)が確立されたことによって、市場は飛躍的に拡大していった。
そして、いったんお金が万人の共認する最先端価値=評価指標となってしまうと、(国家によって施される場合を除いて)芸能であれ、情報であれ、全てはお金と引き換える事の出来る形に商品化しなければ供給できなくなり(∵メシが喰えない)、国家の施しの元を成す税も、お金で徴収される様になる。
ところが、市場(交換取引)は私権闘争を原動力としており、従って、お金が万人の評価指標として社会的に共認されたものであるにも拘わらず、それは専ら私的な充足の為にのみ使われ、社会統合の為には(国家以外)使われない。従って、市場は社会統合には、殆ど寄与しない。(そこで、もし人々が、私的な充足の為だけではなく、社会統合の為に、例えば『認識形成の場』にお金を使う様になれば、大変面白いことになる。近く、それを提起したい。)
つまり、
①市場拡大の主動因は、人々の快美幻想への可能性収束である。
↓
②市場拡大のテコとなったのは、
・原理的には価格格差の幻想共認であり、(=楽して儲かる)
・具体的には交換手段としてのお金の共認である。(交換の効率化→機会の増大)
↓
③一方、交換指標としてお金が共認されると、全てはお金と交換出来る形に商品化することでしか供給出来なくなる。
↓
④その結果、「市場が拡大する=あらゆる物が商品化される」と、何をするにもお金が掛かるようになる。
こうして、人々の快美欠乏への収束が市場を拡大させ、その手段として生み出された「お金」により市場拡大を加速・実現しつつも、お金がなくては生きていけない社会にしてしまった。
また、日本で税がお金で徴収されるようになったのは、明治時代からのようです。
(写真は「国税庁HP」より)
明治維新期に行われた地租改正と、田畑永代売買禁止令の廃止により寄生地主制が進展した。地租改正により土地所有者は金銭によって税金を払う義務が課せられることになったが、貧しい農民には重い負担であり裕福な者に土地を売り渡し小作人になっていった。寄生地主の中には質屋などの金融業を兼業し、小作人を中心に金銭の貸付を行っていたものも少なくなかった。これにより、農村内での貧富の差は一層拡大された。こうして獲得した富を商工業に投資し、近代的な資本家に転換していった者もいる
(「ウキペディア」より)
(「こちら」よりお借りしました)
その為税が支払えなく、仕方なく土地を手放さなくてはならない人々もいました。
そして、何をするにもお金がかかる事例は、
実際、社会空間では、何をするにも電話代や電車代や飲食代が必要である以上、お金を使わない(社会空間での)活動など殆ど在り得ない。仲間の集いや地域の祭りさえ、お金がかかっている。
(「お金は、現実の必要度を測るモノサシ」より引用)
の通りです。
もともとは解脱の為の市場の拡大であり、その為に共認されたお金であるが故に、その使い道もまた私的充足の為にのみ使われる。よって社会統合の為には使われない。
ここに又新たな”統合限界”を生む土壌がある。
次回は、この統合限界とは何か、その構造を探ってみたいと思います。
投稿者 saah : 2010年06月26日 TweetList
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コメント
投稿者 うらら : 2010年9月13日 14:38
こんばんは。うららさん
コメントありがとうございます。
>肝心の庶民の間で脈々と続いた?ものは何なのかがよくわかりませんでした。
庶民の間では、宝器、祭器の埋納などに見られたよう生死観・自然観(精霊との期待・応望関係)を基盤として、生活に密着した習慣・風習として継承されたと考えられます。
>それから、「記号的な鹿」はオットセイにしか見えないのですが・・。
確かに到底、鹿とは思えませんね。
祭祀階級にとってみれば、庶民に理解されるような記号では意味がないため、鹿もこのように記号化されたようです。
投稿者 yoriya : 2010年9月18日 21:34
凝りの単純化・抽象化が祭祀階級=統合階級内の暗号と化していった、というのはおもしろいし、よくわかるのですが、肝心の庶民の間で脈々と続いた?ものは何なのかがよくわかりませんでした。
要するにどういうこと?
それから、「記号的な鹿」はオットセイにしか見えないのですが・・。