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2007年11月02日

『日本人』と『大麻』の関係2

みなさんこんばんは
以前(2007年10月12日)に“『日本人』と『大麻』の関係” を紹介し、
>縄文時代、何故土器に大麻の縄の模様をつけたかについては又の機会に考察していきます!
>縄文時代も大麻のもつ神秘的な力について、認識していた可能性が高いですね。これについても又の機会に考察していきます!
と書きました。
0229.jpg
写真はネパールに自生するヘンプ(大麻)を、手紡ぎで2本取りにして撚り上げた糸です
今回は上記についてまさに考察されているサイトを見つけたのでまずは紹介します。
麻生結のひとりごと ←これね!
また、当ブログでは上記サイトを数回に亘って紹介しようと思いますが、全編を読みたい人や次投稿まで待ちきれない人は是非上記サイトまで訪れてください。
ではいつものように↓これよろしく。。。
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●縄文大麻の呪術性
日本では、昔から大麻の繊維から糸や縄、衣服、漁網、馬具、蚊帳、敷物など多様な品々を作ってきた。神道では大麻(おおぬさ)と呼ばれ修祓の具であり、神札であった。大麻(おおぬさ)は、古くは大麻草を加工して作られた文物であったが、単に素材というだけでなく、宗教性と結びつくような何らかの属性が大麻にあったのではないかという疑問が出てくる。
古代人も大麻に向精神作用があることは気づいていたはずだ。今ならば、大麻(マリファナ)といえば最初に意識を変えるドラッグが思い浮かぶだろうから、古代の人々も同じようなハイ体験をしたので大麻を特別な、神聖な存在と見なすようになったと考えるかもしれない。直裁的な説明でそれなりに納得できるが、一方、神道をはじめとして日本の伝統的な宗教の中で大麻をそのように使ったことを示す証拠や文献は見あたらない。縄文、弥生の遺跡から大麻を吸引していたことを示すものは未だ見つかっていない。どうも単純にハイ体験と結びつける発想は皮相的なのかもしれない。
大麻と日本の宗教について自分なりに歴史を調べてきたが、まだ完全に結論を出すには至っていない。それでもおぼろげながら大体、こんなふうなことなんじゃないかという見当はついている。
 
大麻と宗教、特にその歴史をさかのぼるとき、古代の人々はわれわれとは違った考え方、発想をしていたという面が見逃せない。大麻という植物そのものを特別な、神聖な存在だと見なすその起源は、宗教以前、呪術の時代にさかのぼる。それは縄文時代のことになる。

 
まず上記の問題意識に同意したいと思います。特に・・・
>特にその歴史をさかのぼるとき、古代の人々はわれわれとは違った考え方、発想をしていたという面が見逃せない。
・・・の部分、我々に棲み付いている固定観念を外さなければ、歪んだ視点でしか捉えられず大切な事実を見落としますもんね!

●縄文時代の植物文化
~前略~
縄文時代の人々は、主に採取・漁労・狩猟といった農耕以前の生活をしていたといわれる。金属やコロ、車輪、それに牛や馬のような家畜がない生活だった。大きなもの、重いものは、人が集団で縄をひっぱったりして運んだ。狩猟採取時代、世界どこでも生活用具は、石、骨、植物から作ったが、特に縄文の場合、植物文化ともいうべき植物を多種多様に用いた生活だったのではないかと思う。
 
人々の心の世界は、宗教意識が芽生える前段階、呪術的な世界に生きていた。呪術とは「超自然的存在や神秘的な力に働きかけて種々の目的を達成しようとする意図的な行為」(広辞苑)という。【続く~】

 
ここでキーワードとなっているのが“呪術”。
>呪術とは「超自然的存在や神秘的な力に働きかけて種々の目的を達成しようとする意図的な行為」(広辞苑)
としていますが、言い換えれば“精霊信仰”のことですね。ここはちょっと寄り道して、ではどのようにして“精霊信仰”が生まれたのか?おさえておきましょう。
極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。 るいネット【実現論】

【~続き】  糸、紐、縄を作る繊維は大麻だけでなく赤麻(あかそ)、苧麻(ちょま、からむし)、赤麻(あかそ)、科(しな)、楮(こうぞ、紙麻)、楡(にれ)、藤(ふじ)、葛(くず)と樹皮から繊維が採れるという共通点を持った植物を、おそらくそのときどきで手に入るものならなんでも使ったのではないかと思う。
 
日本の麻という言葉がヘンプ(hemp)と異なる点は、ヘンプが大麻(たいま)だけを指しているのに対し、麻は苧麻(ちょま)、黄麻(こうま)、亜麻(あま)洋麻(ようま/ケナフ)など靱皮(じんぴ)繊維の総称だという点にある。
こういう区分の仕方は縄文時代までさかのぼれる植物文化だと思う。というのは、野山の植物の分類は植物の外見、形状により共通するものをグループ分けする。ところが縄文人は、植物を用途によって分類し、茎から繊維が採れる植物は、みな麻と一括りにしたのではないかと思う。とはいえ、それらのなかで最も強靱な繊維は大麻だった。一説には現代の家庭菜園のような形で大麻の栽培も行われていたかもしれないともいわれている。

 
>縄文人は、植物を用途によって分類し、茎から繊維が採れる植物は、みな麻と一括りにしたのではないかと思う。
これはなかなか鋭い視点ですね!確かに縄文時代のような極限状況の中では“必要か否か”“使えるか否か”“敵か味方か”など生きる為=生活に密着した判断(捉え方)をしていたことは事実であると私も思います。
ここでちょっと途中ですが、まだまだ長くなりそうなので今日はここまで。
どうですか?大麻、なかなか奥深いでしょう?

投稿者 mrran : 2007年11月02日 List  

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