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2017年04月06日

日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第3回 舶来志向と工夫思考

縄文が現在の日本人まで貫通している~その事を最も象徴しているのが海外から流れてくる物資、技術、言葉をそのまま受け入れる舶来信仰と、受け入れた後すぐさま自らのものに変えてしまう工夫思考です。漢字文化からひらがなの発明、明治以降の西欧化から衣食住に到るまでの和洋折衷文化の発明など、外から中へ、そして日本風への流れは現在まで続いている日本人の本質です。真似文化、オリジナリティーがないなどとかつては自虐的に語られることもありましたが、この受け入れ(舶来)志向、工夫思考こそ縄文体質の延長にあるのです。

それでは過去2回と同様にるいネットと当ブログの記事から投稿文を紹介していきます。

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m282.gif なぜ縄文人が受け入れ体質なのか?

それは大陸の端という地理的要素だけでなく縄文時代を通じて他地域と異なる豊さがあった事が要因として挙げられています。戦争がなかった縄文時代=受け入れ体質の土台にあるのです。
⇒参照:縄文時代の受け入れ体質=受容の文化の形成過程1

>ユーラシア大陸では異文化や異民族同士の戦争や征服、殺戮が広まっていったのですが、その背景には食糧不足や部族の大集団化、遊牧や都市国家の出現、馬の家畜化などの要素が存在するのです。ところが縄文時代の日本においてはこれらの条件はほとんど満たされておらず、それゆえに戦争や征服よりも、異文化や異民族同士の協力関係のほうが優先されるようになったのです。
(中略)
それは日本人の民族性が原因であったというよりも、縄文時代の日本の地勢や風土によってごく自然にそうなったのだと解釈したほうがいいでしょう。むしろ逆に、縄文時代の日本の自然条件が波状的に流入する異民族同士の共生協力関係を促進させ、そうした状態が何千年も継続し繰り返されていくことによって、そうやって混在混血して6千年前ぐらいに出来上がっていった日本民族という集団の民族性が規定されていったのではないかと推測されるのです。
つまり、異なった文化に出会った時に過剰に敵視したり警戒したりせずに、相手側の文化の長所を取り入れ短所は排して、自らの文化の足りない部分を補ってより良いものにしていこうという考え方です。これが外来文化への受容性の高さと換骨奪胎の能力の高さに通じるのであり、日本文明の根本的原理である「和」にも通じてくるのです。

m282.gif大陸の文化はなぜ日本より進んでいたのか?

日本が受け入れ体質だったというのは裏返せば外から来る文化、文明が常に日本のその時点での技術より高いレベルに合った事を示しています。中国文明しかり、西欧文明しかりです。それは戦争を経験し、厳しい競争圧力のかかる私権社会を日本より数千年早く実現していた由来でもあり、受け入れー工夫の流れとは私権社会の産物を本源社会である日本で使えるように翻訳、転換する一工程だったのだと考えると合点がいきます。

参照⇒縄文人の本源性と当事者論

>大陸から切り離された地理的要素も無関係で、大陸においても極限人類や採取人類は同様の体質・価値観をもっていたはずです(近年まで現存していた採取部族がそうでした)。地理的要素がその後の日本人の体質に影響するのは、舶来信仰が強いという点です。
舶来信仰は“友好”“受け入れ”体質をベースに形成されましたが(渡来人を敵として戦闘を始めたなら生まれなかった)、世界の僻地故に、大陸からやってきた部族は常に進んだ文化をもっていることから生まれます。その最初が弥生人の渡来文化であり、その後大和、中国、明治の西洋、戦後のアメリカ信仰と、一貫して舶来信仰は働き続けています。

m282.gif受け入れ体質の元にはなんであれ“伝え広げる”という贈与体質があった。

職人の歴史を見ていくとこの受け入れ体質がそのまま職人の“真似て学んで広げる”志向である事が見えてきます。

参照⇒自考力の源流を歴史に学ぶ4~職人の歴史にみる「真似て学んで広める文化」

>中世で確立した日本の職人気質は後の戦国の世にも見ることができる。
種子島に火縄銃が伝来した1543年、時の殿様・種子島時堯の命によって、火縄銃づくりに取組んだのが刀鍛冶職人たちだった。彼らは刀鍛冶の伝統である製鉄技術や加工技術を駆使して、わずか1年でコピー完成させてしまう。火縄銃の製造技術は主家の島津家に献上され、さらに諸侯にも伝えられる。その結果、驚くことに伝来からわずか30年後には、日本の火縄銃保有量は当時のヨーロッパの全保有量を上回る規模になっていたといわれている。

明治の初頭、フランスの技術指導で建設した横須賀造船所を見学に訪れたフランスの海軍士官スエンソンは、当時の日本の職人を次のように評している。
「ひょっとすると日本の職人の方が西欧人より優秀かも知れなかった。日本のものよりはるかにすぐれている西欧の道具の使い方をすぐ覚え、機械類に関する知識も簡単に手に入れて、手順を教えてもその単なる真似事で満足せず、自力でどんどんその先の仕事をやってのける。日本人の職人がすでに何人も機械工場で立派な仕事をしていた」

また「黒船」で日本にやってきたアメリカのペリー提督も日本の職人の力に脅威を感じ、
「彼らの手作業の技能の熟達度は驚くほどである。日本人の手職人は世界のどの国の手職人に劣らず熟達しており、国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう。他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまうから、日本はすぐに最恵国と同じレベルに到達するだろう。」
と現在にいたる日本の発展すら予見していた。

縄文の「手の文化」を源流にした「真似て学んで広める文化」。
古代より「皆の期待と評価」を活力源に「同化」「追求」「成果の共有」を突き進めてきた日本職人の精神的土壌がここにあった。

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今、日本が数々受け入れてきた大陸の文化(=私権社会の産物)が行き詰まり、破綻が始まっています。逆にこの20年、日本人は舶来思考に変化が現れ、日本的なもの、和の精神が復活しつつあります。私権社会の枠の中では外から中へ、工夫して本源風にという力学が働いていましたが、ここに来て初めて自ら生み出し、中から外へ、日本から世界へ、そういう流れが始まっているのではないでしょうか?
それは社会が私権社会から共認社会へ、本源社会へ移行している事と決して無関係ではない現象だと思います。

投稿者 tanog : 2017年04月06日 List  

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