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2018年09月27日

縄文体質とは何か? 第3回 職人気質に見る追求姿勢と自然感

日本人は勤勉であると世界から賞賛される民族です。 現代の日本の製品も、丈夫で長持ちし、性能もよく精密で、今でも日本でしか作れない高度な技術も多数存在します。 建築の世界でも、カーテンウォールの歪みも一切なく、きれいに風景が写りこむ景観は他国では見られない職人技術ですし、奈良時代から続く寺社仏閣建築の巧みなディティールや大工の職人技は日本の世界に誇れる文化を伝えています。

他国の金襴豪華な美術品やシンメトリーで権威的な建物と違って、日本の芸術は素朴で、あいまいで、調和があり、まさに自然と一体となってその感覚を素直に表出しているところが特徴といえます。

こうした日本人の職人気質は、やはり縄文時代に培った自然感や集団気質に由来しています。

第3回はこの職人気質について考察していきます。

自然を征服する西洋民族と異なり、自然を敬い、自然災害の恐怖も受け入れ、自然を観察する中でその原理、性質を追求し、様々な独自の技術が開発し続けた縄文人は、まさに追及する民族であり、そのあくなき追及姿勢が、現代の職人気質の原点となっているのです。

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以下るいネットから引用します。

【縄文人の先端技術】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=314953

縄文人は当時世界でも最先端の技術力と工夫思考を誇っていた

土器(おそらく世界最古の可能性が高い) 青森県大平山元(たいだいやまもと)遺跡(無文式土器)最古のものは1万6500年前といわれる。2009年までは世界最古といわれていた。 隆線文土器(装飾付土器)も1万4500年前には登場。これらの最古に近い土器は東日本に多い 1.6万年前頃から温暖化が始まり、木の実が豊富に取れるようになったため、アク抜きや煮炊きに使用されたといわれている。

世界的には土器は、南アフリカ、西アジアは約9000年前 これに匹敵するのはロシアのクロマトーベ遺跡(シベリア南部)で1万5000年前 防寒や調理用の魚油を採取するために、魚を煮ていたといわれている これ対して中国の湖南省で2009年に、1万8000年前の最古の土器が発見されたと中国が発表。ただしこの発見には中国学者しか関与していないこと、長江文明は縄文文化よりも数千年後に開花していることなどから信憑性が疑問視されている。 その後の土器の発達度合いから考えて縄文土器が最古の土器である可能性が高い

磨製石器 日本が世界最古。3万年前の黒曜石を研磨した石器(局部磨製石器)。刃先部分が研磨されている。また一部を研磨した石斧も発見されている。 また秋田から奄美群島にかけて135箇所で、2万9千年前から2万1千年前の地層からこの局部磨製石器が発見されている。

全面を磨いた磨製石斧も縄文時代のものが世界最古。木材の伐採や加工のために用いられていたとされている。また丸ノミ型石斧も1万2千年前のものが発見されている。そのころ丸木舟の(全長5~7m、幅60cm前後のものが多い)の製造が盛んになる。ケヤキ、栗、楠木などの丸木の中を火で焦がし、石斧で削ってつくったようである。また、ヒスイ等を研磨するなどの目的でも使用されている。石器の中には伊豆諸島から運ばれてきたと考えられる石材もあり、すでに一万年前の縄文人は航海術に長け、海洋を往来していた可能性が高い

世界では磨製石器は、メソポタミアでは1万年前、中国では9千年前頃に登場する。 それらをもって旧来は、「新石器時代」の幕開けとしていたが、他にもシベリアには2万2千年前 、ケルト人の源郷とされるオーストリア中部では紀元前2万6千年前、南半球のオーストラリアでは、2万5千年前の局部磨製石器が発見されている。これらは、他の地域から見て傑出して早く、石器は旧来の時代区分と異なり各地で多様に発達していた。 また丸ノミ型石斧はグアムやフィリピンでも発見されているが縄文時代よりも遅い。

漆塗りの器等 約9000年前 副葬品から出土(北海道函館市の垣ノ島B遺跡) 土器に文様を描くため、或いは水漏れを防ぐために土器に塗る。竹かごや木の皮に塗って、それらを補強する。などの目的で用いられていた。また弓矢の柄に塗って柄を補強していた可能性も高い。漆は管理栽培されていたとされる。

浙江省、河姆渡(かぼと)遺跡で発見された漆椀は、いまから約7000年前。漆塗りの木弓が8000年前である。木弓については河姆渡遺跡の歴史から考えて、もう少し遅いのではないかとも考えられる)

【3~1万年前に世界最先端の技術が日本列島にあったのはなぜか?】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=314857

1)縄文人のルーツ 東南アジアで発生したD2系遺伝子を持つ人類の一派は5万年前のスンダランド中心での火山爆発によって北上を強いられ、一部はチベットへ、さらに4万年前頃の温暖期には北上しバイカル湖南まで到達。その後温暖化、寒冷化を繰り返すが、寒冷地に留まったD2系はバイカル湖周辺で細石刃石斧等の道具を発明する。寒冷地で住む事で様々な道具や居住に関する技術を蓄えていく。 それでも3万3千年前の極寒冷期に耐えられなくなり移動。シベリアを横断し樺太から日本列島に入り込んで南下する。

2)日本列島の環境要因 彼らの工夫志向が開花したのは日本列島の気候、地形にもよる。 ①日本列島は南北に長く、モンスーン型気候で四季がある。現在のような四季が形成されたのは日本海に暖流が流れ込んだ1万2千年前以降だが、それ以前にも南側地域には似たような状態にあったと思われる。②また、日本列島は降水量が適度に多く、水資源が豊かにある。 ③大陸地域と最も異なるのが海岸と山が近接している事である。日本列島は起伏に飛んだ山岳が大半を占めており、言わば火山の島が海に浮かんでいるようなものである。逆に言えば海の幸、山の幸を同時に得る事もでき、自然の恵みが豊かだった。 ④大陸から切り離された事で、外敵となる肉食動物が少なく、比較的安全に食料を得る事ができた(早期に洞窟から出ることができた) ⑤自然災害が多かった~これも技術を生み出した要因。 自然に対して恵みを得ると同時に、数年単位で台風や地震、火山などの災害にも巻き込まれた。自然を恵みの対象と見ながら、時に畏怖の対象として畏れる環境にあった

3)総じて~ 日本列島に世界最先端の技術が登場したのは上記のような出自と環境の複合的な要因によってある意味必然的に、奇跡的に登場したと見ることができる。西洋や中国の技術が自然を克服し登場したのに対して、日本の技術は自然に同化し恵みを受け、自然から学び取る事で作られていったという点で対照的であった。逆に言えば克服するより同化する方がはるかに早く技術が登場、発展するのは道理でもある。 日本が作り出した技術は古来何らかのルートで世界に流れた可能性もある。磨製石斧や土器、漆が海を渡った縄文人によって伝えられた可能性もなくはない。しかしそういう発想や、その事で優位に立とうとしない日本人の性格もまた、これらの最先端の技術があった事を世界に知らせる術がない事の一因となっているのかもしれない。

【日本=美の大国~縄文からの遺産】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=207887

日本の文化には3つ層がある。欧米化されたもの、農耕アジア的なもの、そしてそれ以前の縄文的なもの。この中で最も日本らしさに影響しているのが最後の縄文的なものである。狩猟採取時代の感覚が日本には残っている。

欧米のキリスト教文化圏でも中国・韓国の儒教文化圏でも、「どんな生き方が正しいか」という倫理観、道徳観が生き方の規範となる。 ところが日本では「どんな生き方(死に方)が美しいか」という美醜の観念が生き方の規範となる。卑怯者=醜き者とされるのが最もツライ。

美的感覚も他のアジアと全く異なる。アジアの国々の人にとっての美の基準は「鮮やかな色彩」「きらきらした輝き」「均一に整った美」「完成された不動の美」だ。 対して日本人は、「中間や曖昧な色」「鈍色に沈んだ美」「左右非対称の美」「常に生成変化をやめない未完成の美」「地肌のままの美」こそが美しいと感じる。まるで正反対である。

この感覚は縄文にまで遡る。自然の声を聞きながら、万物に精霊を見た縄文人の感覚が今も残っている結果だ。 日本の技術者・職人の優秀さは世界に知れ渡っているが、彼らは自然物のみならず、自分たちが作り出す無生物の材料や物の声を聞くことが出来る。 名人と言われる人の話を聞くと皆、「無心になりモノと一体になる」と言う。完全に同化してしまうのだ。

日本は「経済大国」「技術大国」と言われて来たが、現在、世界を席巻しているのは「美の大国」としてである。

投稿者 tanog : 2018年09月27日 List  

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