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2020年09月17日

縄文体質は未来を拓く 第4回~BIは”はたらく”を労働から仕事へ変える

ベーシックインカム(BI)の社会でどう人々を動かしていくか?これらのキーワードをベースにどう可能性へと繋いでいけるか、多少無理かもと思いつつ、やはり突破口は日本人の持つ本源体質でありそれを産み出す縄文体質である事は直感ではあるが、ほぼ間違いないだろう。縄文体質は未来を拓く「プロローグ」

第4回は“はたらく”を扱います。

以前の記事に縄文人の労働観を以下のように書きました。

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縄文人の仕事は、狩猟・採集ですが、縄文時代前期には小豆や大豆の栽培が始まり、晩期には粟・黍・稲がすでに伝来していた可能性が高いといわれています。
現代とは違って、上下関係などないフラットな集団で、誰のために働くかといえば、当然みんなの役に立つことをし、強制されることなく、自らすすんで、やりたいだけやるのが、縄文人の「はたらく」だったのです。
豊かな自然の恵みに感謝しながら、自然に逆らうことなく共生して生きてきた縄文人に、現代社会は学ぶことは多いと思います。

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強制されない、主体的に、自然の摂理に従ったという辺りが縄文人の仕事への基礎意識で、当然ながら使い使われるという雇用の意識とはかけ離れています。唯一有るのは皆の為に体と頭を動かすという事です。そして一日が終わり恵みに感謝する。
それは縄文人だけでなく人類が私権社会に入る前には当然誰しも持っていた労働観かもしれません。

BI制度の導入は既に各国(フィンランド、イギリス、他)で実験されており、何もしなくてもお金が入る社会になって人々の意識はどう変化するか報告が上がっています。
いずれも“働く意欲は上昇する“ “やらされてきた労働から人の役に立つ仕事へ” 意識は転換すると報じられています。
その仕組みはいわゆる奴隷としての受け身の(食べる為の)労働からの解放です。

人は束縛やノルマから解放されるだけで、はたらくことに主体的になれるのです。

 今回も3つの投稿からそれを見つけていきます。

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働き方改革が楽しくないのはなぜだろう2~序列のない縄文組織から学ぶ~】

なぜ「ボス」がいなくても組織が成り立つのか なぜボスがいないんですか?
共同体の真ん中に権力を置かないことで、みんなが等距離にある状態をあえてつくりだしていたと考えられます。心理学的にいうと『中空の原理』ですね。 しかし、組織的に狩りをしたり、木の実を収穫したり、工事をしたりする際に、ボス的な存在なくして、どのように協業を成り立たせていたのでしょうか?
階級が上の“ボス”ではなく、各種の協業ごとに“リーダー”的な人はいたと思います。リーダーがいなければ成し遂げられなかったような事業の痕跡も残されていますし、埋葬されていた人物の副葬品からは、例えば弓矢をそなえられた狩りのリーダーや、マダイの頭や亀の甲羅で作った装身具を持った漁の名手などが推測できます。 リーダーはいたんですね。

そう。ただ、それは弥生時代以降に見られる、特定の原料・設備・技術などを独占し、直接生産にかかわらないような“ボス”ではなかったと思います。
縄文時代には、個々の能力差、得意分野の『違い』は存在していましたが、取り分の大小が決まるような『階級』はおそらくなかったはずです。 どうしてそう思われますか

理由はいくつかあります。たとえば集落内に、溝や塀などで区画されたり、特別な場所を占有したりする居住跡がないこと。特別な構造や規模の施設、財産を副葬した大きな墓などがないこと。みんなにほとんど差のない土坑墓が用意されていたことなどが挙げられます。 縄文時代の人類は、どうしてそのような組織を実現できたのでしょうか?それは縄文人が、努力=物質的対価、経済的対価というような思想ではなかったからだと思います。

 ■労働中心の世界からの移行
スタンディングいわく、個人や企業が抱える高額な債務、経済的に不安定な労働者層の増加、そして多くの企業が世界的なサプライチェーンの健全性に依存しているという事実により、今日の世界経済は根本的に脆弱化するという。新型コロナウイルスは、一時解雇という厄介な問題、金融不安、医療システムの過重な負担、社会の分断とともに、経済の崩壊をもたらすかもしれないのだ。
だが、ベーシックインカムはそうした事態に歯止めをかけると、スタンディングは考えている。多くの政府は、最終的にはUBIを一時的な緊急措置として実施するようになるかもしれない。
しかし、国民が一度でもこの制度を試して給付を受ければ、UBIは定着するはずだというのがスタンディングの意見だ。「UBIはすぐに、わたしたちの社会で理にかなった制度だと認められるでしょう」とスタンディングは話す。
長期的には、この政策が「労働ではなく仕事」を中心に築かれる社会の土台になるのではないかと彼は話す。スタンディングが考える理想の世界では、不安定な経済状態から解放された人々は、自らの時間を共同体の仕事や芸術、有意義な余暇につぎ込むようになるのだ。

お金をもらうと怠けるって本当? ベーシックインカム実験中のフィンランドを訪ねました。

何もしなくても生活に最低限必要なお金をもらえたら、人は働かなくなるのだろうか。ベーシックインカムが話題になると、必ずといっていいほどこの点で賛否が分かれる。フィンランドが今年1月から始めた2年間の社会実験は、その答えをついにもたらしてくれるかもしれない。現地で取材してきました。
子どもたちと自宅で遊ぶユハ・ヤルビネン。
ヘルシンキから北へ300キロ余り離れた町クリッカで暮らすユハ・ヤルビネン(39)を訪ねた。ヤルビネンは、フィンランドで始まったベーシックインカムの社会実験で、対象となる約18万人の失業者のなかから参加者に選ばれた2000人の1人だ。失業手当の代わりに毎月560ユーロ(約7万4000円)の現金を、今年1月からベーシックインカムとして受け取っている。

実はベーシックインカムの方が、失業手当より金額が少し少ない。それでもヤルビネンは、受給者の一人に選ばれた通知をフィンランド社会保険庁から昨年12月29日に受け取った時の気持ちを、興奮気味に振り返る。「新しい人生が始まったみたいだったよ」
失業手当と違い、ベーシックインカムには受給の条件が何もない。職探しをする必要はないし、仮に働いて収入を得ても、減額されることなくもらい続けることができる。
ヤルビネンは看護師の妻とともに、6人の子どもを育てている。以前は木材の窓枠をつくる会社を営んでいたが、目の回るような忙しさに加え、不動産のトラブルなども重なり、7年前に精神的に参って働けなくなった。会社も破綻した。以来、失業手当を受け取ってきたが、職業紹介所に通っては担当者に就活ぶりをチェックされ、「奴隷のようだ」と感じていたという。ここ数年は民俗調デザインの木製の太鼓を作って知人たちに売ってきたが、失業手当を打ち切られると生活できなくなるため、おおっぴらな商売はできなかった。

自分としては、望まないことをやりたくないだけ。意欲はあるのに働けない。そんなジレンマを解消し、もう一度挑戦できる機会をくれたのがベーシックインカムだ、とヤルビネンは言う。実験が続く2年間で、太鼓づくりを中心にビジネスを育て、起業家としての土台をつくろうとしている。「いまは自分のやりたいことができる自由を手に入れて本当に幸せだ。これから働いて収入を増やしていきたい」

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これら3つの話から
BI後の社会で人々の意識は解放され、新しい意欲の湧く働き方、本来の仕事の楽しさを見出していく可能性が高いのです。さらに私権時代の最中でも人の為、集団の為、社会の為に働くことに意味を感じていた日本人はその縄文的資質を再生し、より豊かに様々な方向性に仕事の意識が広がっていくでしょう。
ひとつは趣味の世界を仕事にする人、ひとつはお金にならなくても好きな事、得意な事を手掛け役に立つ人、ひとつはリスクが減った為、起業して新しい仕事を模索する人。ひとつは無償でも、そのままボランティアを仕事にしてしまう人。いずれも労働意欲はBI前より上昇し、働く事の意味を噛みしめていく時代に入るでしょう。

ただ、一方で、これまで私権社会で勝者としてふるまってきた人は活力を一時的に衰弱させ、働く目的や意欲を失うかもしれません。しかしそれは資本主義の社会が一握りの支配者と多くの奴隷で成り立っていた事を逆転させただけで、いわゆる金の亡者や権力を己の最高の価値においてきたマイノリティーの人たちの姿です。ただ、彼らもいつまでも活力を失ったままでは生きていけない。やがて同様に役に立つ、やりたい事の仕事競争の中に身を投じる事になると思います。

私が興味を持つのは、縄文体質が果たして今の日本人にどれだけ残っているかという事ですが、日本が現在世界でトップを切って活力を衰弱させているとしたら、それは縄文体質が残存している所以であるとも考えられ、イギリスやフィンランドで成功した以上の効果と変化を遂げるのではないかと期待しています。

投稿者 tanog : 2020年09月17日 List  

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