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2017年05月25日

人骨は多くを語る~沖縄の石垣島で2万7千年前の人骨が大量発見

5月20日にプレス発表されたこのニュース。考古学的にはかなり大きな発見だ。
毎日新聞と琉球新報での記事全文を転載しますが、特に今回の発見での特筆すべき点を記事の中から抽出しておきたい。
時間のない方はその部分だけを読んでいただければと思います。

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 7年間に渡る調査の集大成
2012年から継続した発掘調査は今年7月で終了。旧石器時代の人骨は全体で計約1000点出土した。同時代の人骨が確認された遺跡としては東アジア最大級で、科学分析による新たな知見も得られており、日本列島の旧石器人の研究に欠かせない遺跡となった。

 高度な分析方法で人骨年代精度が高まる
今回の遺跡調査の特徴は、人骨の科学的分析を進めてきた点だ。
骨内のたんぱく質「コラーゲン」を放射性炭素年代測定にかけることで、人骨の年代を直接測定できるようになった。
過去にも1万8千年前とされる湊川人の遺跡が発見されているが、年代は人骨に伴って出てきた遺物の測定によるものだったため、人骨が後世に流れ込んだ可能性が指摘され、沖縄での旧石器人の存在を疑う見解もあった。今回の調査は沖縄に確実に2万年以上前に旧石器人が居た事を証明するものとなった。

 2万年前の葬送方式は風葬だった
今回の発掘の最大のポイントは風葬という葬送方式が再現できる形で発掘できた事である。⇒旧石器時代の人骨が大量に出土した同遺跡は、墓地だった可能性が指摘されている。岩陰や洞穴の入り口に遺体を安置する、風葬に近い葬送法が考えられるという。
藤田研究員は「世界でも岩陰で人骨がばらばらで見つかることがあり、墓なのか分からなかった。世界的に価値が高い発見だ」と評価し「沖縄だけでなく、日本本土でも洞穴を墓に利用したのではないか」とも想像する。
死体を埋めずに空気にさらす「風葬」の決め手は岩陰で見つかった、国内最古となる全身骨格がそろった1体分の人骨だった。手足を折り曲げて葬られた姿勢が初めて分かった。それらを分析すると「古い人骨を押しのけて新しい遺体を置いたことが推測できる」

 DNAの抽出に成功、日本人のルーツ、食生活まで人骨から情報を得る
推定身長が165センチの人骨もあり、港川人など他の旧石器人骨より大柄だ。
当時の食生活についてもコラーゲンの組成分析から発見があった。同遺跡の旧石器時代の人間は、その後の時代の人間に比べ海産物を食べる割合が低かったことが判明した。氷河期のためサンゴ礁がなく、海産物が利用できなかった可能性が指摘できるという。
旧石器時代のものでは初めてで国内では最古となる、人骨からのヒトのDNA抽出にも成功した。そのDNAのパターンが、中国大陸南部や東南アジアなどが起源と想定されるパターンだったことが判明し、日本人のルーツを探る上で貴重なデータとなった。

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以下は記事の転載です。今後のさらなる発見にも注目が高まります。
記事を読んで驚くのは人骨の発見は多くの事実情報をもたらしてくれる。

考古学者の地道な追求にも頭がさがる。
多くの探求者の膨大な発掘の果てにほんのわずかの新しい事実が生み出されていく。
30060.白保竿根田原遺跡・調査

5月20日毎日新聞1面~

m259.gifDNAも抽出、日本人の起源手がかりに

約2万年前の旧石器時代の人骨が確認されたことで知られる沖縄県・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡(石垣市)で、ほぼ全身の骨格をそろえた人骨が1体分見つかった。旧石器時代の全身骨格の出土は、沖縄本島・八重瀬町の港川フィッシャー遺跡での出土以来2例目。2012年から継続した発掘調査は今年7月で終了。旧石器時代の人骨は全体で計約1000点出土した。同時代の人骨が確認された遺跡としては東アジア最大級で、科学分析による新たな知見も得られており、日本列島の旧石器人の研究に欠かせない遺跡となった。【大森顕浩】

img_d4fabbabbd67c82ab187299e6d299ccc24069全身骨格の人骨は、約2万4000〜2万年前(放射性炭素年代)の地層にあった岩陰の奥で見つかった。2014年にひざが一部露出、翌年から掘り下げて、頭骨など1体分の全身の骨の約8割がまとまって出土した。ひざの関節部分や背骨などが接合しそうなほど近い位置で見つかっており、体が横たわった状態がうかがえるという。
日本の旧石器時代の確実な人骨は、酸性土壌の多い本土では静岡県で確認された「浜北人」だけ。一方、化石の保存に適した石灰岩質が広がる沖縄県では山下町第一洞穴遺跡(那覇市)など数多く発見されているものの、全身骨格の発見は港川フィッシャー遺跡で確認されたのが最初。約1万8000年前(放射性炭素年代)の4体のみだった。今回の骨格は港川とほぼ近い年代にあたるという。

土肥直美・元琉球大准教授(形質人類学)は「遺体が埋められていないまま、自然にばらけて白骨化していく様子がうかがえる。全身骨格は体形などの特徴がはっきり分かり、大変重要」と指摘する。

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白保竿根田原洞穴遺跡は旧石器時代から近世の人骨やイノシシ、鳥などの動物の骨、土器や石器などが出土する複合遺跡。石垣島の空港建設に伴う調査で発見された。沖縄県立埋蔵文化財センターが10年に緊急調査、12年から5カ年計画の本格調査を続けてきた。
これまで確認した旧石器時代の人骨約1000点は、頭骨や歯、四肢の骨などで、全身の骨がまんべんなく見つかっている。同センターの分析で、現時点で十数人分の人骨に相当すると判明した。

同遺跡の特徴は、人骨の科学的分析を進めてきた点だ。骨内のたんぱく質「コラーゲン」を放射性炭素年代測定にかけることで、人骨の年代を直接測定できるようになった。白保竿根田原洞穴遺跡の発見以前は、沖縄では旧石器そのものが見つかっていなかった。沖縄の旧石器時代の人骨も洞穴内での発見が多く、年代は人骨に伴って出てきた遺物の測定によるものだったため、人骨が後世に流れ込んだ可能性が指摘され、沖縄での旧石器人の存在を疑う見解もあった。同遺跡の人骨から約2万年前の年代が測定されたため、旧石器人の存在を科学的に証明することができた。

当時の食生活についてもコラーゲンの組成分析から発見があった。同遺跡の旧石器時代の人間は、その後の時代の人間に比べ海産物を食べる割合が低かったことが判明した。氷河期のためサンゴ礁がなく、海産物が利用できなかった可能性が指摘できるという。

旧石器時代のものでは初めてで国内では最古となる、人骨からのヒトのDNA抽出にも成功した。そのDNAのパターンが、中国大陸南部や東南アジアなどが起源と想定されるパターンだったことが判明し、日本人のルーツを探る上で貴重なデータとなった。

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旧石器時代の人骨が大量に出土した同遺跡は、墓地だった可能性が指摘されている。同遺跡では、人骨が特定の場所に複数人分が集中する形で出土している。人骨には片面だけ粘土や土が付着したり、動物がかんだ跡とみられる傷もあった。人骨が長期間露出していた環境がうかがわれるため、岩陰や洞穴の入り口に遺体を安置する、風葬に近い葬送法が考えられるという。

調査を担当した沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座久宜・調査班長は「旧石器時代の人骨出土数は国内最大。約2万年前に人類が石垣島まで到達したことを示す貴重な成果。その後も洞穴が断続的に利用されていた点も重要だ」と振り返る。今後は新たに出土した人骨からも年代測定やDNA抽出を試みるほか、保存状態の良い頭骨を基に顔の復元などの研究を進めるという。土肥さんは「日本人の起源や、東アジアでの人類の拡散につながる新しい研究成果がこれからも出てくるだろう」と期待している。

5月20日毎日新聞 25面~

沖縄県・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で見つかった世界でも例のない大量人骨は、旧石器時代に何度も繰り返された葬送の痕跡だった。手足を折り曲げた遺体を風葬のように岩陰に置いたとみられ、洞穴を墓にしていた実態が明らかになった。「風葬のような葬送方法が分かったのは前例がない」と国立科学博物館の藤田祐樹研究員(形態人類学)は驚きを隠さない。

死体を埋めずに空気にさらす「風葬」の決め手は岩陰で見つかった、国内最古となる全身骨格がそろった1体分の人骨だった。手足を折り曲げて葬られた姿勢が初めて分かった。骨の関節がはずれてばらついた様子は、沖縄で長く続いた風葬の人骨と似ており、遺体が長期間地上で露出していたことを物語る。

屈葬の姿勢は縄文時代に多くみられ、手足を縛って災いを防ぐ、胎児の姿勢にして再生を祈願する、などの説がある。当時の死生観について、沖縄県立埋蔵文化財センターの金城亀信所長は「類例がないのでなんとも言えない。今後の課題だ」と話した。
国内の旧石器時代の人骨の出土は沖縄県がほとんどだが、散乱して見つかっており、遺体の姿勢までは分からなかった。藤田研究員は「世界でも岩陰で人骨がばらばらで見つかることがあり、墓なのか分からなかった。世界的に価値が高い発見だ」と評価し「沖縄だけでなく、日本本土でも洞穴を墓に利用したのではないか」とも想像する。
保存状態の良い頭蓋骨(ずがいこつ)は計4点見つかり、河野礼子・慶応大准教授(自然人類学)は顔の復元に注目する。「4点の顔が似ているかどうかで、洞穴に葬られた人たちの血縁関係がどの程度近いか推測できる。また、全身骨格からは体つきや健康状態も分かる。どの地域から来たのかもうかがえる。日本人のルーツのヒントになる」と期待する。【大森顕浩】

琉球新報より~

「あおむけて膝を胸の方に折り曲げた姿勢(屈葬)で葬られた」-。19日に沖縄県西原町の県立埋蔵文化財センターで開かれた同県石垣市の白保竿根田原(さおねたばる)洞穴遺跡に関する記者会見。日本で初めて旧石器時代の墓地と確認された同遺跡で見つかった「4号人骨」の葬られた際の姿勢について、土肥直美元琉球大准教授はこう説明した。琉球弧に広く分布する風葬は、2万7千年前には始まっていたことになる。研究者らは「旧石器時代の葬法の状況が分かるのは国内で初めて」と興奮気味に語った。

 遺跡からは1千を超える人骨片が出土し、それらを分析した結果、少なくとも19人がそこに葬られていることが分かった。5カ所にまとまって人骨が集中しており、墓地である可能性は早くから指摘されていた。しかし、人工物が全く見つからず文化的活動の証拠を見いだせず、墓地と打ち出せるかどうか慎重に検討されてきた。

決め手になったのが「4号人骨」で葬られた姿勢が明確になったことだ。屈葬と呼ばれるその姿勢こそ文化活動の証拠だった。他のバラバラで見つかった人骨も、発掘を進めながらその位置関係を3次元で精密に記録してきた。それらを分析すると「古い人骨を押しのけて新しい遺体を置いたことが推測できる」と土肥さんは語る。

県立埋蔵文化財センターで20日から一般公開される1号から4号までの人骨。1、3号は頭骨だけで、2、4号は全身の骨格がほぼ残る。これらの骨の形や状態からは、当時の暮らしも垣間見えた。4体はいずれも成人男性で、20代半ばの2体と高齢とみられる2体。推定身長が165センチの人骨もあり、港川人など他の旧石器人骨より大柄だ。

高齢とされる2号、4号では、下顎より上顎の歯のすり減り方が著しい。河野礼子慶応大准教授は「食生活からは考えにくい。特殊な歯の使い方をしていた可能性がある」と指摘した。この男性の頭骨からは日常的な冷水刺激によるとされる外耳道骨腫が確認できた。長年、潜り漁をしていたのではないかと想像が広がる。

形質人類学が専門の土肥さんは10年以上、八重山で旧石器人骨を探し続けたが手掛かりがなかった。そこに現れたのが竿根田原遺跡だった。人骨を「この人は…」と説明する土肥さんの言葉には、はるかな昔を今に伝えてくれる人骨への敬意が込められていた。

 

投稿者 tanog : 2017年05月25日 List  

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コメント

いつも分かりやすく説明していて
学の無い自分でも楽しんで拝見しております。

投稿者 岳 : 2017年6月4日 22:35

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