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2008年06月23日

ヨーロッパ製世界史とは、欧米による植民地支配のための情報・思想操作

こんばんは、Hiroshiです。今日は、古代史から近代史まで貫いて、歴史を見る場合に注意する点を一つ上げたいと思います。それは"歴史”や"史観”とは一種の支配観念(支配のための観念・思想)であるということです。
るいネットにも
なんで日本の歴史教科書は内省的な内容になるのか?
という投稿がありましたが、これは日本の教育が、欧米白人支配派による植民地教育のための道具として十分に機能しているということを示しています。
ヨーロッパ製の世界史は、西洋の世界進出とともに始まり、植民地支配を正当化するための歴史が捏造されてきた事実があります。特に得意なのはイギリスでした。今日はその歴史経過と事実を辿ってみたいと思います。

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以下「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」より引用
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P30
ヨーロッパが経済的、工業的、軍事的に格段の進歩を遂げてその勢力を他大陸へと拡大していったこともヨーロッパ人の人種差別的優越感を高めた。それとともにというか、それにつられてというか、人種差別を正当化する思想家が続々と現れた。ジョン・ロック、ディビッド・ヒューム、モンテスキュー、ルソー、マルクス、マックス・ウェーバーなど。
それぞれが同じことを言ったわけではないが、アフリカやアメリカの原住民は土地を耕さず、活用していないから、奪っていいのだとか、アフリカは文明が成立し得ない暗黒大陸だとか、アジア人は倫理を欠き信用できないとか、アジアは停滞しているとか、いろいろヨーロッパ中心主義的なことを言い始めた

18、19世紀のローマン主義者、人種差別主義者は、現代ヨーロッパ文明の源流であるとされている古代ギリシャ文明が先住のヨーロッパ人と、入植したアフリカ人、セム人とが混ざり合った結果であったということに耐えられず、アーリア神話に従って、ギリシャ文明は純粋にアーリア人という白人種が作ったものであるとし、そこからアフリカ文明や近東文明の影響を排除しようとしたのである。
P254
しかし、このアーリア神話は、ちょっと考えればすぐわかると思うが、あまりにうまくでき過ぎている話ではないだろうか。18世紀、19世紀はヨーロッパ諸国による他国、他民族の植民地化と支配と搾取が最高潮に達した時期であり、ちょうどその時期に、インド=ヨーロッパ語が「発見」され、アーリア人種が出現し、さらに人種差別と植民地化と支配と搾取を正当化するような過去の「歴史」が作られているのである。
前出の津田元一郎『アーリアンとは何か』によると、インド人は百年も前から「アーリアン学説虚構説」を唱えているそうで、この学説の捏造こそ、西欧の植民地支配と最も本質的にかかわっており、この学説は「西欧優越の意識化を狙った植民地洗脳学説」だそうである。少々長くなるが、津田元一朗の分を引用してみよう。
・・・・アーリアンが西北インドからインドに侵入し、原住民を駆逐し、古代の輝かしいインド文化を創造したとするアーリアン学説は、インドに対して次のような諸点で格別な文化工作的意味を持っていた。
1.インド人のアーリアンもイギリス人と同様に、インドに植民地侵入をしたのであり、イギリスも同じことをしただけである。
2.ヨーロッパ人と上層インド人はもともと同一の種族であるとすることによって、上級階層をイギリス側に引き寄せることができる。
3.インドは北と南で人種が異なり、南の人々は来たの人々に駆逐された、と主張することにより、北と南との敵対意識を醸成し、分割統治に有利となる。
・・・・(中略)・・・・・
アーリアン学説は、このようにして、アーリアン西北インド侵入説によって、北インドと南インド、上層階級と下層階級の間に分裂的、敵対的感情を醸成し、植民地分割統治にきわめて効果的な文化工作的意味をもった。

イギリスの植民地支配は、単に軍事力によるだけではなく、思想戦略というか、情報操作を用いることがいかに巧妙であったかがよく分かるであろう。これは、イギリスだけのことではなく、イギリスから派生したアメリカも同じであって、そのことは、アメリカの戦後日本統治を見ても、これまたよく分かるであろう。インド人をアーリア人の血が入った、いわば劣化した白人としたのは、かって南アフリカで日本人を名誉白人としたのと同じく、敵に回したくない、あわよくば味方に引き入れたい非白人の一部を他の非白人から切り離し、白人の側に取り込むための便利な策略だったのであろう。
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(引用以上)
イギリスが世界に植民地を築いた18~19世紀は、イギリスという小さな島国の国家が数十倍の人口の国家を操作し、支配する必要が生じました。その必要から考え出されたのが、被支配国への分断支配であり、敵の一部を味方に取り込むための文化的・歴史的な思想操作=情報戦略です。そのためにアーリアン学説が捏造されたのです。
改めて
>なんで日本の歴史教科書は内省的な内容になるのか?
アメリカ・イギリスの思想操作・情報戦略が、第2次大戦に敗れた日本にも適用されました。それが東京裁判と教育統制・マスコミ支配です。この一連の情報操作により、欧米中心の世界史が正しく、日本が誤っていたという歴史教育が徹底的に行われるようになりました。
東京裁判に立ち会ったインド人のパール判事は、唯ひとり、英米主導の裁判に反論を唱え、日本無罪論を主張しました。上記の経過から英米のやり口が良く分かっていたのではないでしょうか?
欧米(特にアメリカ・イギリス)の情報戦略にピタッとはまり込んでしまっているのが、現在の日本の教育であり、マスコミです。その弊害は極めて大きい(気がつかないと全然わからないところが根が深いのですが)。その弊害については、改めて書きたいと思います。
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2008年06月23日 List  

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コメント

この婚姻様式はいつ頃のものなんでしょうか?
市当局とあるのは、現在も受け継がれているということなんでしょうか?
私権性はなかったということですが、庶民に私権性はなかったのか、封鎖されていたのか、支配層はどうだったのか、また、詳しく教えてください。

投稿者 simasan : 2008年7月29日 21:35

南米では族内婚が主流で、インカ族以外の農民も一族の共同体(アイユ)内の婚姻制だったと聞いた事があります。
古来の共同体のあり方をそのまま引き継いでいたのかもしれませんね。
それに対して、他部族の女を妾として娶ることもあったインカ王は特別だったように思いました。

投稿者 Quetzalcoatl : 2008年7月30日 23:42

その当時の社会状況がどうであったか?この辺を合わせて考えられるともっと鮮明に分析できそうですねっ!^^

投稿者 さーね : 2008年7月31日 20:37

いろいろとコメントありがとうございます。
simasan、記事で紹介した婚姻様式は、インカ帝国が滅びるまで続いていたものらしいので、1500年代の頃までのものです。又その後スペインに支配されてからのことは「インカ皇統記」では書かれていませんので、実際のところそれが引き継がれているのかは不明です。
さて、私権性についてですが、dokidokiさんの「インカの支配体制」でも書かれている通り、庶民には土地は与えられるが、恒久的に自分の財産として持つのではなく、その意味では王から耕作する土地を借りているともいえる形態のようで、完全な私有ではない様ですね。それは貴族も基本的には同じようで、“所有”しているのは太陽の子孫である王のみだったようです。
そこからは私権性は封鎖されていたというよりは、みなそれを納得づくで受け入れていたようです。
今後も詳細は調べていきたいと思います。

投稿者 saah : 2008年7月31日 21:34

Quetzalcoatlさん、たしかにインカ王は特別な存在だったようですね。王位を継がせるのは姉妹との間に生まれた長男のみであるにもかかわらず、その一方で妾をおおく抱えた理由も、王の「私権意識」なのかどうなのかが気になるところです。
王の領土支配のもととなっている意識と共に、解明が必要なテーマのひとつですね。

投稿者 saah : 2008年7月31日 21:44

さーねさん、
>その当時の社会状況がどうであったか?この辺を合わせて考えられるともっと鮮明に分析できそうですねっ!^^<
はい、当時の社会状況→帝国内の統治の仕方などと合わせて追求していきたいと思ってます。

投稿者 saah : 2008年7月31日 21:47

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