シリーズ「沖縄に在る“力”に学ぶ」~岡本太郎が見た沖縄の力」 |
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2014年05月27日
日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~7、戦後日本の失われた帝王学~
みなさんこんにちは★
前回は、明治期の帝王学について、明治時代の富国強兵と近代国家を担う人材の育成について紹介してきました。
明治期の統治者の論理は、何はともあれ、植民地支配の圧力を跳ね返すべく、富国強兵・殖産興業に代表される中央集権的な国を作り出すことにありましたが、それは共同体を解体することに他ならないものでした。そして、国家を食い物にする国際金融資本家(=金貸し)や欧米列強の思惑にはまり、官僚・軍部の暴走から、戦争へと突き進んでいく所までみてきました。
今回は、終戦から1970年豊かさ実現(=貧困の消滅)までの時代をみていきます。この時代の帝王学はどのようなものであったか紹介していきます。
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1.私権収束と背後に居る金貸し
戦後の日本の人々は、自由・平等・博愛の名のもと私権闘争を正当化する近代思想、個人主義に洗脳されて私権に収束し、国も会社も家庭も個人も私権により統合されていました。日本人の持っている共同体性は根底に残しつつも、このときは私権性が共同体性を上回るほど私権に収束していたのです。その結果、市場は拡大し’70年豊かさを実現しました。
なぜこのようになったかというと、裏には金貸しの戦略(市場原理で日本を支配し吸い上げる)がありました。実態は、金貸し支配の中で、彼らにいいようにされていたのです。
<以下、参考記事>
金貸しは、国家を相手に金を貸す より金貸し支配の構造まとめ①
2.共同体性を残し続けた為に実現出来た高度経済成長
敗戦後の日本は高度経済成長に入り、’70年豊かさが実現されましたが、敗戦後の日本が短期間で高度経済成長を遂げることができたのは何故でしょうか。
前述したように、実態は金貸しの思惑に踊らされて国民は私権に収束しましたが、それだけで他国に類を見ない急成長を遂げる事は困難なはずです。普通であれば己の私的権益を得るために他を蹴落とし、争いも起きるものです。
しかし日本人は、私権に収束しつつも共同体性を残していたため一億総中流という言葉に象徴されるように、日本国民皆で豊かになりました。このような、お上や支配者と切り離された日本人特有の共同体性、勤勉性を母体にした国民性(労働観や企業理念)が日本の国力の基盤にあるのです。
日本人の労働観(働く事を美徳とする日本人の勤勉性の原点は?)
日本人の労働観についてネットで検索してみると、日本人の勤勉性の中心に江戸時代の仏教思想があり、生活の全てを修行と捉えるようになったことがその起源であると説明している例が多いようです。しかし、仏教思想は日本だけのものでは有りません。日本だけで仏教思想から勤勉性が育まれ、それも全国民の共通認識になったのですから、日本には仏教思想以前から、労働は良いこととする価値観が根強くあったと思われます。
江戸時代以前に遡って、日本人の勤勉性が育まれたことを説明している事例を捜してみました。これには大きく二つあり、水田によって育まれたとする説と、原始共同体(縄文体質)が残存していたからとする説です。
水田も説得力のある説だと思いますが、水田は日本だけではなくアジアには多くあります。これに対して、大陸では異民族による侵略、虐殺、服属によって原始共同体が完全に破壊されましたが、日本は異民族が渡来しても原始共同体を残存したまま、異民族を融合して来ており、これこそが日本の特殊性だと思われます。
原始共同体では、仲間のために役に立ち、仲間に認められることが最大の充足源であり、だから自分が楽することよりも、人のため仲間のために働く事こそが良いことだという価値観が育まれたと思われます。この原始共同体の価値観=縄文体質が中心にあり、そこに水田、自然の恵み、仏教などの要素が加わることで、働く事を美徳とする日本人特有の価値観が形成されたと思われます。
○高度経済成長を実現させた母体ともいえる、企業経営の特徴については以下の記事を紹介します。
写真はこちらからお借りしました。
写真はこちらからお借りしました。
日本人には、共同体のエネルギーと、勤勉な性格、高い規範意識があったために、私権収束しながらも、根底にある共認充足を基盤にみんなが豊かになるという方向(集団性)に向かえたのです。だからこそ高度経済成長が実現されたのです。
一方で、経済成長が実現されましたが、益々日本は米国の圧力に翻弄されていき、統合者はついに日本を守るという視点を失っていきます。次に当時の日本の統合者についてみていきます。
3.失われた日本の帝王学
戦後の日本の統合者をみてみると、田中角栄までは一定私権に収束しながらも、日本古来からの帝王学(=共同体を守るという教育)に基づき、日本を守るという共同体意識を持ち合わせていた為に、金貸しの圧力にさらされながらも日本を本気で守るという視点がありました。しかし、ロッキード事件にて失脚してしまいます。
その後の中曽根康弘は田中角栄と全く正反対で、金貸しの思うままに行動し、金貸しと手を結び、日本を欧米の属国へと導きはじめました。そしてさらに金貸しの圧力が高まり、その後の統合者は益々全体性を失い、金貸しの言いなりになっていきました。
<参考記事>
より
リンク
~前略~
「角栄は権力を掴み取ることにかけては天下一品だったが、持続させる力は皆無だった。 中曽根は理念のない風見鶏だが、権力というものを知り尽くし、様々な形で利用しながら掌握していく手法は天下一品だった。 角は早々とポシャってしまったが、最後に笑ったのは中曽根であった」。これが、角栄と中曽根を評する世間一般の見方なのだろうか。この見立てをどう評すべきか。れんだいこは異見を持つ。この論者は、角栄の政治能力より中曽根のそれの方が優ると云いたいのだろうが事実はどうか。れんだいこ史観によれば角栄の方が数段勝り、中曽根などは風見鶏であちこちするぐらいしか態を為さなかった。
その関係がロッキード事件を境に逆転する。なぜ角栄が失脚し、中曽根がその後の政局を握ったのか。これには秘密の要因がある。その扉をあけると、角栄が現代世界を牛耳る国際金融資本ユダヤに終始距離を置き、中曽根が身も心もサインアップしていたことが分かる。為に角栄が罠を仕掛けられ、中曽根は如何なる窮地でも救われた。国際金融資本ユダヤは角栄を恐れるあまり失脚せしめた。中曽根は手駒に使うのに按配が良かったので利用され、褒美として大勲位の称号が与えられた。それだけのことである。
中曽根芸は小泉に踏襲された。中曽根はレーガンと「ロン―ヤス」日米関係を取り持ち、小泉はブッシュと親密な関係を結んだ。これが小泉の歴代3位長期政権の秘密である。決して政治能力の為せる技ではない。中曽根よりもなお忠実に政策忠勤したことによってである。中曽根と小泉は何度も窮地を救われている。そのたびに云いつけられた通りのお仕事を命ぜられ売国奴してきた。それだけのことである。そう読み取ればよいだけのことである。
(後略)
角栄政治と中曽根政治、福田政治との差異考その2より
リンクところが、「ロッキード事件」以来風向きが変わる。角栄が捕縛される度合いに応じて中曽根の台頭が著しくなり、遂には中曽根の方が「田中君云々」なる傲慢不遜な謂いを為すようになった。角栄の生前中は貫目の違いで無理であったが、角栄が政治能力を失うや、こう発言するようになった。角栄全盛時代の史実は、中曽根は角栄の前では子ども扱いされる風見鶏に過ぎなかったと云うのに。
1980年代前半、鈴木政権の後を受けた中曽根政権の登場により恐ろしいことが始まった。中曽根は日米の反動権力と結託して、「大国的国際責任論」、「戦後の総決算」を標榜しつつ、それまで営々と積み上げてきた世界史上未曽有の奇跡的復興を遂げ、その後の高度経済成長政策も成功裏に推移しつつあった戦後構造の見直しに着手した。
これにより、角栄の日本列島改造論に基づく諸計画の解体シナリオに手を染めていった。「日本列島改造論」に対することごとくその否定に向った。これが、その後の日本経済失速の要因であると思われる。この解体計画が小泉政治に色濃く継承され、2011年現在は菅政治に引き継がれ今日に至っている。延々30年近くの解体事業のお陰で、今や気息えんえんとする日本に変わり果てている。
(後略)
写真は、こちらからお借りしました。
このように中曽根以降の統合者には、日本をどうするよりも、己の利権や地位を優先する統合者が台頭したといえるのではないでしょうか。このとき、日本古来の共同体を守るという帝王学も消え失せていたと考えられます。その後の日本は、金貸しに利益を持って行かれることを幾度となく繰り返します。
4.日本人の可能性
統合者は全体的視点を失い、金貸しに都合良いいように日本の資産や文化等が欧米に奪われていきました。震災等の自然災害に何度も直面し、日本が失ったものは計り知れません。
しかし、それでも日本人は何があっても立ち上がります。
それはこれまでみてきたように、日本人はたとえ私権収束したとしても、深い部分に共同体性を残し続けている為、共認充足が私権充足を上回り、共認充足を母体にどんな困難からでも復活できるのです。これこそが日本人の可能性です。
統合者が日本古来の共同体性に基づいた、共同体を守るという帝王学を失っても、国民は共同体性を失っていなかったのです。高度経済成長や幾度の復興を実現できた原動力は、共同体性を母体にした日本の国民性にあったのです。
突き詰めれば、日本人のベースとして失われず残し続けている「縄文体質」こそが日本人の可能性です。
画像はこちらからお借りしました。
<参考記事>
○復活力。叩き潰されても復活しようと考えるのが日本人の特性だ
○お正月特別テーマ【日本人の可能性2】日本人の資質(勤勉性・共同性・充足性)
このようにみてみると、共同体を守る視点を失った統合者など、もはや不要なのです。では、これからの日本に必要な帝王学、あるいは帝王学に代わるものとは何なのか。
次回、シリーズ最終回でみていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました!!
投稿者 katsuragi : 2014年05月27日 TweetList
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コメント
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2015年7月1日 01:25
日本人の共同意識と戦後の私権意識の強まりのバランス、という言い方は、説得力ありますね。
共同意識と私権意識は相反するように見えながら、日本人はバランスよくつかいわけている知恵者ですね。