縄文人は他のアジア人とは異なり、独自に進化した集団。 |
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2020年08月16日
2020年上半期ダイジェスト「実現塾で扱われた様々な新認識」
縄文ブログ(通称)の上半期のダイジェストを紹介したい。テーマは「実現塾で扱われた様々な新認識」
当ブログの作成者は定期的に開催される実現塾に参加し、そこで得た新しい認識、追求すべきテーマを時々に題材にして紹介している。実現塾は歴史だけでなく、教育問題、経済問題、コロナ禍などの時事問題、金貸しの歴史、サル・人類史、生物史など多岐に渡る。しかしその殆どは我々人類、日本人、今を生きる私たちの課題に繋がっておりこの縄文ブログの追求と重なる。或いは多少無理やりにでも重ねて繋いでいけば、歴史認識に至る。
その意味で歴史を追求するとは過去ではなく今を追求する事に他ならないと感じている。
実現塾での新認識はおそらく書籍やネット記事には殆どない全く新しい認識ばかりであり、その多くは仮設と事実の重ね合わせから生み出された。何よりも次代を読み解くヒントが多く詰まっており、追求を刺激する認識が多くある。
上半期の実現塾から当ブログに紹介した認識
・現生人類はチンパンジーではなくオランウータンから誕生した
・最古の人類は海洋民族でありその移動手段は筏であった
・サルから人類へ、最大の獲得機能は観念原回路
・最古で現在まで続く支配者「奥の院」の出自は海賊
・奥の院と天皇家は繋がっている
・私権社会を作ったのはウバイド人であり灌漑農業がその起源
・人類は寒い北へなぜ、どうやって移動したのか。洞窟伝いに移動した説が有力
以下ダイジェストで紹介したい。
昨日の実現塾で現世人類誕生の新説が話された。
人類はサルから進化した。2足歩行した類人猿に至っては700万年前~500万年前に世界各地でサルが地上に降りる中で発生したが、それらの種は今日の人類には繋がっておらず、何度も新種が現れ、絶滅した。その中で現世人類に繋がる種は約100万年前~150万年前の間に脳容量がまだ800g程度までしか進化していないホモエレクトス(原人)が由来とされている。現在の学会の定説では20世紀前半に登場した「アフリカでチンパンジーから人類が誕生した」という説が最も有力とされているが、最近その説が大きく崩れようとしている。
これまではDNA解析で99%人類と同じチンパンジーが(当然)人類の祖先にあたるという説が何の疑いもなく信じ込まされてきたが、実はこの99%の元は人類とチンパンジーの全DNAのうち、一部が99%であるというだけであった。逆に言えばその一部(仮に3割程度)以外の残り7割は全く異なるDANなのである。そればかりか、人類の祖先がオランウータンあるという根拠は形態的なもの生物学的な事象から多くある。一説では28ほどの事象が一致する。その中でも決定的な根拠を下記に並べる。
・血液型は人類もオランウータンもA,B,Oを持っているがチンパンジーはAとOが少しか居ない。
・オランウータンは直立できる。チンパンジーもゴリラも2足歩行は短時間にはできるが、多くはナックルウォーク(4つ足歩行)である。
・人類もオランウータンも白目と黒目がある。ほかのサルには黒目しかない。それで表情が読み取れる
・身長がチンパンジーは90cm程度に対してオランウータンは1.7m~1.2mでその後原人の身長が1.5mである事と整合する。逆にチンパンジーが祖先だとしたらより食糧事情の厳しい人類になって身長が伸びたというのが整合しない。
・人類もオランウータンも正上位で性交渉する。他のサルは後配位である。
◆筏は古代特有の船舶ではない。その後の遠洋航海や物資運搬にも活用されてきた、さらに現代でも使われているスグレモノ
人類は数十万年前から竹を素材に筏を発明し、スンダランドから各地に島伝い、沿岸伝いに拡散したと書いた。しかし筏は所詮、初期の海洋技術でその後丸木舟や板舟を用いた大型船舶にとって代わっていったと考えられているが、実はこの筏、その後もかなり長い期間航海術の中心に存在していた。そして現在でも世界では筏を使っている地域が多く残っているそうだ。また、かなりの遠洋航海を筏で実現していた、それは筏が物資や大集団を運ぶ上で非常に有効であったからである。あの有名な徐福も筏で日本海を渡ったという説もある。
◆足の指が先祖帰りしたカタワのオランウータン~その後人類へとどのような道筋を辿って進化したか
足の指が先祖帰りしたカタワのオランウータン~その後人類へとどのような道筋を辿って進化したか
樹から落ちたオランウータンがその後どうやって現人類へ進化したか。さらに人類へと進化した私たちの祖先はどのようにして観念機能(言語機能)を生み出したのか。観念機能の登場はまだ仮説でしか提起できないが、このオランウータンから人類への進化の完成は巨大化した脳にあり、観念機能の獲得によってそれらは生み出された事は間違いない。
(中略)
先回の実現塾で語られた仮説を紹介しておきたい。
極限状態の空腹に常にさらされた人類は少しでも苦悩を緩和するために親和充足を強める。雄雌の性的親和、さらに日常的には発声、おしゃべり。おしゃべりと言っても観念機能獲得以降の言語機能としてのおしゃべりではなく単語となる音声や一体化する為の音声言語が中心であったろう。現在の類人猿でも2000種類の声を使っての言語があるという。当然始原人類はそれ以上に語彙を増やし、共感系の言葉が先行して登場した。この段階でも観念機能とは言えるが、サルから少し増えたに過ぎない。
観念の観念たる最大の機能は「どうする?」を追求する言語の獲得。或いは自然に同化
それを敬い畏れ、正体をつかむ「何=状況を捉える力」。(おそらく)メス発の親和言語や性を通じて獲得したエンドルフィンによる快感機能、これを母体にこの「どうする、何?」という観念原回路を生み出すことになる。自然の背後に精霊を見るという観念機能はこういう流れの中で登場した。押さえておきたいのは人類の場合、追求充足の前(或いは同時)に親和充足があるという事。
◆サルから人類へ、その分岐点となったのが自然を捉える追求力、対話の力~「自然は何を我々に期待しているのか」
人類がサル(オランウータン)から進化した最大のポイントは観念を生み出したという事だ。
木から落ちた(登れなくなった)カタワのオランウータンがいきなり人類になったわけではない。カタワのオランウータンの時代に洞窟に隠れ住み、生きながらえた時代が100万年ほど続き、その延長の中で歩行訓練、共認機能を通じての親和共認、性充足、その先に最大の外圧である自然外圧を自然現象として捉え、その過程で大自然の力=精霊を措定する事ができた。それを観念原回路という。前回の実現塾でも観念原回路についての議論が少しだけ為されたが、本格的には4月から始まる次の実現塾からになる。非常に楽しみではあるが、今回事前にこれまでるいネットで投稿されてきた観念についての投稿を復習しそれに備えておきたい。
(中略)
人類が最初に見た「精霊」は、おそらく生命力の塊のようなものだったろう。
しかし、それが言葉として発せられた時、おそらくその言葉は「ぴかぴか」とか「くるくる」というような擬態語だっただろう。そして、その擬態語には、生命の躍動感が込められていたに違いない。
人類の最初の言葉が擬態語や擬音語であったことは、乳児が発する言葉からも、又(最後まで侵略による破壊を免れた)縄文語→日本語に残る擬態語・擬音語の多さからも伺うことができる。
◆海賊の本質とはなにか? 「生き抜く事」と「自由」~村上水軍の教えより
日本は海の民であり、その歴史においては海賊が中心の時代もあった。
日本の歴史が海と深い関係を持ち、そして歴史をつくってきたのが「海賊」だったとも言われている。村上海賊は日本遺産として歴史資産となっている。
現在奥の院を研究する中で、海賊の考え方や思考が追求対象となっている
奥の院はコロナを仕掛け、コロナ後の世界にこれまでの金や地位を共認する私権社会から脱する新しい価値観、世界を生み出そうとしている。その為に現在の金融制度を一旦無効にし、ベーシックインカムで全国民に一人当たり月30万を配布して生活保障し、仕事とは何か、生きるとは何かを突き付ける追求型社会を提起しようとしている。奥の院がなぜそのような発想を持ったのか?海賊に同化する必要がある。
同じようにかつては日本も海賊社会だった。海賊が一番求めたのは何か?
それは奥の院も村上海賊も同じだった可能性がある。少なくとも陸を支配、私有する 土地という観念は持ち合わせていない。
最も守りたかったのは何か。・・・「生き抜く事」と「自由」であった。
この金貸しの最大の特徴は決して表舞台に出ない事。現在も世界中の企業や資本家を牛耳っているロスチャイルド家を実質上コンロールしているのも彼ら奥の院の存在である。この金貸しの特徴は、「資力第一」で「裏から操る方が利益大、損失小」という鉄則を持っており黒幕であり裏の存在として十字軍遠征以後の世界を支配してきた。宗教革命を引き起こし、近代思想を生み出し、共産革命を仕掛けた。第一次、第二次大戦も彼らが絡んでいる。今回のコロナ禍においても彼らが仕掛けた騒動である可能性が透けている。しかし、マスコミ初め彼らを決して上げる事はできない。政治的にも企業としても登場せず、常に為政者や国をそそのかし、対立を生み出し、その両者から利益を得てきた。市場とはそれ単独では存在せず、国家に巣食う寄生虫のようなものとはよく言うが、奥の院の存在そのものが市場の本質と近似しており、それは彼らの出自が海賊であり、略奪という最も効率の良い商売をしていたからだ。
奥の院も天皇システムも似た構造。
・出自は商人
・表舞台に出ない、裏から操作
・資力が第一
・歴史が永続してきた
・国家に寄生している
そしてこの構造とはきわめて長持するある意味非常に優れたシステムなのだ。
私権社会が終焉し、資力第一にしてきた彼らがそのまま生き延びるには資力から共認形成力(操作力)へ転換しつつある。しかし共認支配と本物の共認とは異なる。人々がその操作に気が付き、事実追求をベースにした本物の共認時代に転換できるか、それがこの優れたシステムに対応できるかどうかの分かれ目でもある。
◆ウバイド人もシュメール人も同じ民族である~灌漑農耕が私権社会への引き金となった
ウバイド人は黄金を理解していた、そこに目を付けがちだが、この文章で重要なのは灌漑技術の発見である。種から栽培し人工的に植物を生み出す農業は既に11000年前に人類史に登場しているが、灌漑技術はそれから下って約8500年前に登場したと言われている。灌漑技術とはそれまでコントロールできなかった“水資源”をコントロールできるようになったこともあって、河から水路を作る事で乾燥地であってもで水を必要な時に農地に供給する画期的な仕組みを編み出した。それまでは限られた湿潤地帯でしかできなかった農業を河川周辺であればどこでも農業が可能になり、多くの人を養う事が可能になり、都市の形成が始まるきっかけとなる。実際にメソポタミアでは1万人を超える都市国家が生まれている。
灌漑農耕の最大の謎は鉄がまだ登場していない時代に「どのように土を掘り、水路を固める等、大掛かりな土木工事をする事ができたのだろうか」という点。この謎には別途取り組んでみたいが、私が考えるに馬や牛に木製や石造の農工具を引かせて固い土を切り開いたのではないだろうか?またウバイド人は既に高度な土器文化も持っており、粘土質の河川周辺の土も水路の表面を突き固める材料として上手く利用した可能性がある。いずれにしてもこの時代に大土木工事をするというのは相当な人工と集団の結集が必要になった事は明らかで、乾燥地帯に登場した彼らが「厳しい外圧」を直視して生み出した人類最大の産業革命であっただろう。
◆人類が北方へ移動したのはなぜか?~石灰岩(洞窟)の分布が示す北上の証
先日、実現塾で出た仮説を紹介したい。
「人類が北上した理由は食料か逃走(=安全)か。逃走ではないか?南の温暖な地域は肉食動物が多く、また寄生虫や毒虫も多い。人類が安全に暮らすにはリスクが高い。何とか生きながらえる為に古代人が最初に考えたのは安全ではないか?安全で食料のある地を探した。その結果が寒冷地を目指す北上ではないか?或いは高地を目指す登山ではないか。食料はどうなる?そういう疑問もあるが、そもそも温暖な地に居てもまともに食料にはありつけない。せいぜい動物の骨の中の骨髄と、死体から発生した蛆虫である。さらに葉や根子、食べれるものは何でも食べた。北上したとて、そのような食糧事情であれば大きくは変わらない。蛆虫は死体があれば居るし、北上しても葉や根はある。それほど安全を確保するのは人類にとって食べる事より優先順位が高かったと考えれば整合する」
ではどうやってそんな長距離の移動を果たせたのか?ここが最大の謎になる。実現塾で出た仮説は洞窟を渡って行ったのではないか?という説。
洞窟などそんなに多く分布しているのか、あるいは各所に点在していたのか?この疑問が生じた。そこで今回の記事は洞窟の分布を調べてみた。・・・
投稿者 tanog : 2020年08月16日 TweetList
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