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2021年02月11日

これからは東洋医学が注目されていく(その3)東洋医学の基礎となる「気」の概念とは・・。

東洋医学を把握しようとすればすべては「気」の概念を掴む事だ。
気象、元気、病気、殺気、気合、気になる、気持ち悪いなど、私たちの日常使う言葉の中には「気」という言葉がたくさん使われる。では気とは何かを考えた事は意外とない。おそらく東洋医学の概念がそこはかとなく我々の日常にも取り込まれているのだろう。
今回はこの「気」の概念を固定したい。参考にさせていただきたのは山田慶兒氏著書の「中国医学はいかにつくられたか」です。

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感応場としての人体)

生理学のいちばん基礎になる概念は気である。気ということばは、きわめて広い意味からごく限定された狭い意味まで、さまざまな段階にわたって用いられる。そのしくみを知る事が、そのまま生理学を理解することにつながる。
気の理論によれば天地の間(宇宙)には気が充満しており、万物は気からできている。人も万物のひとつであり「荘子」が述べた様に、気の凝縮したものに他ならない。気とはなんだろうか。ひとことで言えば、連続的な液体である。といっても、別にむずかしく考える必要はない。要するに、何か空気や水のようなものを思い描けばよい。古代中国人はしばしば気中に在る人を水中に住む魚にたとえた。気は発散して希薄になった時は気体、凝縮して濃密になると液体、さらに濃密になると固体という、3つの状態にとって現れる。
水が蒸気になったり、凍ったりするようなもの、人の生死はしばしば水ができたり溶けたりするのに例えられた。凝縮を通しておこる気体と液体と固体のあいだの状態の変化、それが気の運動の一番基本的なすがたである。人体でも、それを構成する気と外から摂取する気(息や飲食物)のあいだで、たえず三態間の変化がおこっている。

摂取した気は、こうして一部は身体を構成する気となり、一部は身体を構成していた気の一部と一緒に排出される。呼吸、消化、循環、排泄といった生理現象も、つきつめれば気のこの運動にたどり着く。気は流体だから、運動は波として伝わっていく。気の充満する空間は一種の場と考えてよい。気の場のなかを波が伝わる。その現象が感応である。感応の原理を北宋の哲学者程伊川はこう表現している。

「感有れば、必ず応有り。凡そ動くことあれば皆感を為す。感ずれば即ち必ず応有り。応ずる所復た感を為し、感ずる所復た応有り。已まざる所以なり。」

この言葉は池の中に石を投げたとき、波が広がり、浮かんでいる舟や岩やあるいは岸にぶつかって、返す波となる情景を心に描けば、直ぐにわかるだろう。
感応の無限連鎖反応といおうか。べつの言葉で表現すれば、部分と部分、そして部分と全体がたえず響き合い、秩序をつくりだしている感応場、それが気の世界である。共時的な場といってよい。
人体もまたひとつの感応場であり、脈診と脈法がそこに根拠を置いていることはすでに述べた。天地と人、大宇宙と小宇宙のあいだにも、とうぜん感応関係が想定されていた。この問題にはいまは立ち入らないが、天人相関と呼ばれるその関係は、理論においても診療においても、古代医学の重要な指針のひとつであった。

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一旦今日はここまでです。
気の概念を以ってモノを捉えれば色々見えてくるように思います。
気が波のようにぶつかり跳ね返り、響き合い、全体として秩序を保つ。
健康とはこういう状態を言うのでしょう。逆に病気とは気が滞り、固まり、流れず停滞する状態。
病は気からとはよく言われますが、この気を動かす事こそ健康の秘訣であり、「感ずれば即ち必ず応有り」として活動を続けることが生きるという事かもしれません。

次回はこの気をさらに細分化して臓器や血流の話に展開していきたいと思います。

 

投稿者 tanog : 2021年02月11日 List  

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